今月16日に次期首相に就任する民主党の鳩山由紀夫代表と、外相に内定している岡田克也幹事長は10日午後、共産党の志位和夫委員長らと国会内で会談し、米軍の核搭載艦船の日本通過・寄港を黙認していた日米両政府の「核密約」問題について、新政権発足後に実態解明に向け調査する考えを表明した。鳩山氏は、調査を求めた志位氏に対し「真相究明は何よりも大事だ」と強調。岡田氏は「代表も私も(真相を)明らかにすべきだとの立場だ」と述べた。
新政権発足後、外務省の事務当局に調査を指示するとみられる。
外務省は「密約は存在しない」との見解を崩していないが、衆院選で政権交代が決まったのを受け「新しい政権になったときに指示を仰ぎながら必要な対応を取る」(藪中三十二事務次官)と調査に協力する姿勢を示している。調査の進展によっては政府見解が変更される可能性も出てきた。
志位氏は会談で「核密約について調査し、日本に持ち込ませないよう取り組むとした、これまでの鳩山氏の発言を評価する」と言明。米政府が過去にいったん公開しながら現在は非公開扱いになっている関連資料を鳩山氏らに提供した。
その上で「外交交渉でどう取り上げるかは、新政権の判断だ」として、米政府にも調査に協力を要請するよう促した。
核密約は1960年改定の日米安保条約で定めた「事前協議」の対象に、核を搭載した米軍の艦船と飛行機の日本への通過・寄港、飛来を含めないとした秘密合意。共同通信の取材に、次官経験者4人が外務省内に文書があり、官僚側の判断で一部の首相、外相だけに伝えていたと証言した。
(2009年9月10日 20時56分 共同)
...................................................
http://blog.goo.ne.jp/kanayame_47/e/26fffea868413c79d1113ffd0bd5c59c
核持ち込み「議論あった」--外務省の薮中三十二事務次官
朝日新聞2009年8月24日22時48分
核兵器を積んだ艦船などの日本立ち寄りは核の「持ち込み」に当たらないとの日米の密約について、外務省の薮中三十二事務次官は24日の記者会見で、持ち込みの定義をめぐり、「そのときどきの話はあったと承知している」と述べ、日米間で見解の相違があり、議論があったことを認めた。今後、密約をめぐる文書の有無を調査するかについても含みを持たせた。
総選挙での政権交代をめざす民主党は、密約問題を追及する構え。鳩山代表は米国でも調査したうえで、半年から1年で結論を出す方針を打ち出している。また、鳩山氏は首相就任後、米側に「持ち込み禁止」の確約を改めて求めるとしている。これまで「密約はない」と完全否定してきた外務省が、民主党政権が現実味を帯びる中、姿勢を修正しつつあるとも言える。
薮中氏は、日米間で事前協議が必要となる持ち込みに「立ち寄り」が含まれるかどうかなどについて、「かつていろいろなやりとりがあったということは、我々としても聞いている」とも述べた。ただ、「それが密約うんぬんという話ではない」として、密約はないとの基本的な立場は崩さなかった。
米国の核兵器をめぐっては91年、ブッシュ大統領(当時)が艦船や潜水艦に積む戦術核兵器の撤去を打ち出し、92年には米政府が撤去完了を宣言。これ以降は、日本に立ち寄る米軍艦にも核兵器は搭載されていないことになる。薮中氏は「91年以降、通常艦船に載せないということを含め(持ち込みをめぐる議論が)今の問題としてあるわけではないと私は理解している」とも強調した。
民主党が求める密約の調査に関し、薮中氏は「今この時点で特にそれを具体的に何か考えているわけではない」とした。外務省はこれまで密約について「存在しないということに尽きる」などとの立場を繰り返し表明。薮中氏は6月29日の会見でも「存在しないものについて改めて調査することは今考えていない」と述べていた。(鵜飼啓)
.....................................................
http://blog.goo.ne.jp/kanayame_47/e/1b54b84451797b078d651a767c4f64e3
「核密約」日本政府が米側に公開を取り消すよう要請していた
2009年8月26日3時48分
日米両国の「核密約」の根幹部分が記された公文書が99年に米国で公開された際、日本政府が米側に公開を取り消すよう要請していたことが分かった。文書は、核兵器を積んだ米艦船や航空機の日本への立ち寄りを事前協議なしに日本が認めることを確認した内容。日本からの要請の直後、米国務省によって再び機密指定されていた。
当時の政府関係者が匿名を条件に経緯を証言した。米国の公開文書を封印するよう日本側が求めた事実は、日本政府が「核密約」の存在を国民の目から隠そうとしたことを示している。「核密約は存在しない」という一貫した日本政府の主張が崩れ、情報公開の観点からも批判を招くことは必至だ。
問題の文書は、60年の日米安保条約改定を前に、核兵器を積んだ米艦船や航空機の立ち寄りや通過をそれまで通り認めることを日米で確認した59年の「安保条約討議記録」など。60年6月に米国務省北東アジア部が作成した「議会用説明資料集」の中に含まれていた。当時のハーター国務長官が、議会に安保条約改定の批准承認を求める際の答弁用資料として用意されたと見られる。
米国の公文書は原則として作成から25年を超えると公開の対象となる。「資料集」は99年秋までにいったん機密指定が解除され、全文が公開された。しかし、「討議記録」など密約に関連した部分だけが、同年12月13日付で再び非公開文書に指定され、公開文書から削除された。「安全保障上の機密情報」が含まれていたことが理由とされた。
元日本政府関係者は「文書の公開を知って、ただちに(機密指定の)解除を取り消すよう米側に申し入れた」と証言する。「米国の文書公開の判断はずさんだ」とも指摘し、公開の際に日本側の事情が考慮されていなかったとの見方も示した。申し入れは、外交ルートを通じて行われたという。
99年12月当時、小渕内閣の河野洋平外相の下で外務事務次官を務めていた川島裕・宮内庁侍従長は先月、核密約問題についての朝日新聞の取材に「コメントする立場にない」と述べている。(倉重奈苗)
◇
〈安保条約討議記録〉 60年の日米安保条約改定の際に新設された「事前協議」制度の具体的運用について、当時の藤山愛一郎外相とマッカーサー駐日大使の合意を記録した文書。事前協議について「米軍機の日本飛来や米海軍艦艇の日本領海・港湾への進入に関する現行の手続きに影響を与えるものとは解釈されない」と明記。核搭載米軍機や艦船がそれまで通り自由に日本に飛来・寄港できることを担保する内容で、「核密約」の根幹を記した文書とされる。この解釈については63年に、当時の大平外相とライシャワー駐日大使が秘密会談で改めて確認している。
◇
■我部政明・琉球大教授(国際政治学)の話 米国務省の正式な手続きを経て公開された外交文書が再び非公開となることは異例で、日本政府の関与を聞いて、やはりそうだったのかという思いだ。核密約を確認した63年の大平正芳外相とライシャワー駐日米大使(いずれも当時)の会談記録もいったん公開された後、非公開になっている。日本政府の関与が疑われるケースはほかにもある。
情報公開をめぐっては「原則すべて公開」の米国とは対照的に、日本は「公開するものを選ぶ」のが実態だ。特に改定日米安保条約、沖縄返還協定、日米防衛協力などの分野の記録の重要な部分は公開されていない。我々研究者は、米国の公開資料を通じて日米交渉の経緯をやっと知ることができる。いつまでも国民に知らせることができないというのはなぜなのか。また「ない」と主張し続けるのなら、なぜその部分が日本にはないのか。説明責任が政府にはあるのではないか。
http://www.k4.dion.ne.jp/~yuko-k/adagio/okinawa.htm
新政権発足後、外務省の事務当局に調査を指示するとみられる。
外務省は「密約は存在しない」との見解を崩していないが、衆院選で政権交代が決まったのを受け「新しい政権になったときに指示を仰ぎながら必要な対応を取る」(藪中三十二事務次官)と調査に協力する姿勢を示している。調査の進展によっては政府見解が変更される可能性も出てきた。
志位氏は会談で「核密約について調査し、日本に持ち込ませないよう取り組むとした、これまでの鳩山氏の発言を評価する」と言明。米政府が過去にいったん公開しながら現在は非公開扱いになっている関連資料を鳩山氏らに提供した。
その上で「外交交渉でどう取り上げるかは、新政権の判断だ」として、米政府にも調査に協力を要請するよう促した。
核密約は1960年改定の日米安保条約で定めた「事前協議」の対象に、核を搭載した米軍の艦船と飛行機の日本への通過・寄港、飛来を含めないとした秘密合意。共同通信の取材に、次官経験者4人が外務省内に文書があり、官僚側の判断で一部の首相、外相だけに伝えていたと証言した。
(2009年9月10日 20時56分 共同)
...................................................
http://blog.goo.ne.jp/kanayame_47/e/26fffea868413c79d1113ffd0bd5c59c
核持ち込み「議論あった」--外務省の薮中三十二事務次官
朝日新聞2009年8月24日22時48分
核兵器を積んだ艦船などの日本立ち寄りは核の「持ち込み」に当たらないとの日米の密約について、外務省の薮中三十二事務次官は24日の記者会見で、持ち込みの定義をめぐり、「そのときどきの話はあったと承知している」と述べ、日米間で見解の相違があり、議論があったことを認めた。今後、密約をめぐる文書の有無を調査するかについても含みを持たせた。
総選挙での政権交代をめざす民主党は、密約問題を追及する構え。鳩山代表は米国でも調査したうえで、半年から1年で結論を出す方針を打ち出している。また、鳩山氏は首相就任後、米側に「持ち込み禁止」の確約を改めて求めるとしている。これまで「密約はない」と完全否定してきた外務省が、民主党政権が現実味を帯びる中、姿勢を修正しつつあるとも言える。
薮中氏は、日米間で事前協議が必要となる持ち込みに「立ち寄り」が含まれるかどうかなどについて、「かつていろいろなやりとりがあったということは、我々としても聞いている」とも述べた。ただ、「それが密約うんぬんという話ではない」として、密約はないとの基本的な立場は崩さなかった。
米国の核兵器をめぐっては91年、ブッシュ大統領(当時)が艦船や潜水艦に積む戦術核兵器の撤去を打ち出し、92年には米政府が撤去完了を宣言。これ以降は、日本に立ち寄る米軍艦にも核兵器は搭載されていないことになる。薮中氏は「91年以降、通常艦船に載せないということを含め(持ち込みをめぐる議論が)今の問題としてあるわけではないと私は理解している」とも強調した。
民主党が求める密約の調査に関し、薮中氏は「今この時点で特にそれを具体的に何か考えているわけではない」とした。外務省はこれまで密約について「存在しないということに尽きる」などとの立場を繰り返し表明。薮中氏は6月29日の会見でも「存在しないものについて改めて調査することは今考えていない」と述べていた。(鵜飼啓)
.....................................................
http://blog.goo.ne.jp/kanayame_47/e/1b54b84451797b078d651a767c4f64e3
「核密約」日本政府が米側に公開を取り消すよう要請していた
2009年8月26日3時48分
日米両国の「核密約」の根幹部分が記された公文書が99年に米国で公開された際、日本政府が米側に公開を取り消すよう要請していたことが分かった。文書は、核兵器を積んだ米艦船や航空機の日本への立ち寄りを事前協議なしに日本が認めることを確認した内容。日本からの要請の直後、米国務省によって再び機密指定されていた。
当時の政府関係者が匿名を条件に経緯を証言した。米国の公開文書を封印するよう日本側が求めた事実は、日本政府が「核密約」の存在を国民の目から隠そうとしたことを示している。「核密約は存在しない」という一貫した日本政府の主張が崩れ、情報公開の観点からも批判を招くことは必至だ。
問題の文書は、60年の日米安保条約改定を前に、核兵器を積んだ米艦船や航空機の立ち寄りや通過をそれまで通り認めることを日米で確認した59年の「安保条約討議記録」など。60年6月に米国務省北東アジア部が作成した「議会用説明資料集」の中に含まれていた。当時のハーター国務長官が、議会に安保条約改定の批准承認を求める際の答弁用資料として用意されたと見られる。
米国の公文書は原則として作成から25年を超えると公開の対象となる。「資料集」は99年秋までにいったん機密指定が解除され、全文が公開された。しかし、「討議記録」など密約に関連した部分だけが、同年12月13日付で再び非公開文書に指定され、公開文書から削除された。「安全保障上の機密情報」が含まれていたことが理由とされた。
元日本政府関係者は「文書の公開を知って、ただちに(機密指定の)解除を取り消すよう米側に申し入れた」と証言する。「米国の文書公開の判断はずさんだ」とも指摘し、公開の際に日本側の事情が考慮されていなかったとの見方も示した。申し入れは、外交ルートを通じて行われたという。
99年12月当時、小渕内閣の河野洋平外相の下で外務事務次官を務めていた川島裕・宮内庁侍従長は先月、核密約問題についての朝日新聞の取材に「コメントする立場にない」と述べている。(倉重奈苗)
◇
〈安保条約討議記録〉 60年の日米安保条約改定の際に新設された「事前協議」制度の具体的運用について、当時の藤山愛一郎外相とマッカーサー駐日大使の合意を記録した文書。事前協議について「米軍機の日本飛来や米海軍艦艇の日本領海・港湾への進入に関する現行の手続きに影響を与えるものとは解釈されない」と明記。核搭載米軍機や艦船がそれまで通り自由に日本に飛来・寄港できることを担保する内容で、「核密約」の根幹を記した文書とされる。この解釈については63年に、当時の大平外相とライシャワー駐日大使が秘密会談で改めて確認している。
◇
■我部政明・琉球大教授(国際政治学)の話 米国務省の正式な手続きを経て公開された外交文書が再び非公開となることは異例で、日本政府の関与を聞いて、やはりそうだったのかという思いだ。核密約を確認した63年の大平正芳外相とライシャワー駐日米大使(いずれも当時)の会談記録もいったん公開された後、非公開になっている。日本政府の関与が疑われるケースはほかにもある。
情報公開をめぐっては「原則すべて公開」の米国とは対照的に、日本は「公開するものを選ぶ」のが実態だ。特に改定日米安保条約、沖縄返還協定、日米防衛協力などの分野の記録の重要な部分は公開されていない。我々研究者は、米国の公開資料を通じて日米交渉の経緯をやっと知ることができる。いつまでも国民に知らせることができないというのはなぜなのか。また「ない」と主張し続けるのなら、なぜその部分が日本にはないのか。説明責任が政府にはあるのではないか。
http://www.k4.dion.ne.jp/~yuko-k/adagio/okinawa.htm