かめ設計室*3丁目通信

2005年4月より、西新宿にて一級建築士事務所かめ設計室がはじまりました。3丁目からのかめバー通信。

人口密度と環境

2006年05月13日 | 数の風景
 ニッポンイチの人口密度は中野区、次いで豊島区となる。この2区は数字以上に密度は多い気がする。TB記事にあるようにアパートや下宿が多い。住民票さえ移していない多くの学生まで含めればさらに跳ね上がるはずだ。
 ただ、密度と比例するようにその環境は悪いのかと言えばそうでもない。消防車も入れない(4mに満たない)道路こその安らぎがある。子供が道で遊ぶ。植木が道に溢れ、静かでとても暮らしやすい。そりゃぁ災害の時には危険かもしれないが、普段は間違いなく安全だ。まちをつくる尺度は一つではない。こういう場所は密集市街地として国は共同立替えを推奨する。僕たちの住む場所も密集市街地に指定されている。だが住民は誰も相手にしない。
 繰り返すが、ニッポンイチの人口密度を誇る中野区は、ほとんどの建物が既存不適格だろうが、かなり暮らしやすい町だ。建築基準法は誰のためにあるのだろうか。

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3 コメント

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うーん (神戸の震災)
2006-05-18 01:43:04
遥か記憶の彼方に追いやられていると思いますが、神戸の震災を見てどのように感じられましたか?



何百という方が生きたまま焼かれていった悲惨な出来事でした。



あたり一面完全に焼けてしまって、建物が何一つ残っていない地域は密集地区でした。



誰もが安易に路地の魅力を口にします。

そして、ほとんどの方がその発言の裏にある責任については意識していない。



谷中などの路地空間は非常に魅力的です。

しかし、その谷中でも密集市街地の改善に対する取り組みは行われています。



今の暮らしで不都合がないから、問題視しないという考え方に違和感を覚えます。

最悪の体験を通じた中で何が大切なのかを捉える必要があるのではないでしょうか。



あと、建築基準法は人の安全を守るために存在しているはず。

そして、残念なことに人の豊かな暮らしまでの規定はできていない。

ただし、法に対してソフトな部分への期待を持つという行為そのものが意味の無いことだと考えています。



最後に、震災後7ヵ月後に神戸を訪れた時に見た最悪の風景をお伝えします。

小学生が夏休みの宿題の絵を書いていました。

その対象は、撤去が済んでいなかった崩壊した木造住宅です。



愕然として、立ちすくみ、そして涙が溢れ出た瞬間でした。





明日路地で遊んでいる小学生が、3ヵ月後彼と同じ行為をしているかもしれないですよ。



いかがお考えでしょうか?
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返事 (かめ)
2006-05-19 00:12:52
設計屋としての態度を考えています。

もちろん自然災害に強い町は望ましいものです。

その立場からの意見はひとつの正論だと思います。

だけど正論は一つではないと思っています。

多くの異なる主張、異なる体験があるはずです。

それらはなるべく捨てたくないと思います。

「体験を通じた中で何が大切なのか」と捉えたら、

それはひとつではないという再認識です。

神戸震災後の再開発が決して善とは言わない態度です。
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Unknown (Unknown)
2006-05-19 22:56:21
僕がお聞きしたかったのは、神戸震災後の再開発についてではありません。



密集地区についてはご存知かと思いますが、非常に多くの方々がかかわりながら、今この瞬間も厳しい戦いを行っている領域です。



僕も関わっていたことがあるので分かりますが、何を選択すべきかを求められる仕事です。

スタンスというか、態度というか、正直簡単には立ち位置を決められない仕事だと思います。



だから、今回のブログの内容が建築家としての他の方から見れば専門と見られる職業を営んでいる方にしては、安易に路地を語りすぎているのではないかと考え、コメントをいたしました。



震災後の再開発が答えではないのは誰でも分かっています。しかし、今のままでも良くないのは誰でも分かっていると思うので。



僕の理想は、小規模共同建替の連続、建替時における道路拡幅が現実的ではないかと思っていますが。(色々な答えがあるとは思いますが。)

こういった話の中であれば、現在の都市の文脈を継承しつつ、都市の更新が可能だと思います。

ただし、莫大な労力と時間とが必要ではありますが。



あと最後に、密集に対して態度を決める必要はないと思います。

安全と魅力との接点をどこに見出すのかという話しなだけだと思っています。
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