かめ設計室*3丁目通信

2005年4月より、西新宿にて一級建築士事務所かめ設計室がはじまりました。3丁目からのかめバー通信。

渡邊洋治からの伝言

2007年02月07日 | 建 築
 軍艦ビルこと第三スカイビル(1970年)。大江戸線の東新宿駅の地下出口を出たところに今もある。もうほとんど入居者はいなくなってしまった。立ったまま死んでいる屍、意志だけがそこに立っている。
 早稲田大学での3日間だけの渡邊洋治展。そこで現代によみがえる渡邊洋治というシンポジウムが開かれた。
 「渡邊洋治ほど不当に扱われた建築家はいない」と言っていたが本当にそうだ。だから多くの人は名前さえ知らない。彼の扱われ方はいつも異端だが、学ぶところ大。内藤廣氏は「現代の建築に欠けているモノの全てがある」と評していた。

 『常識から脱した「やり過ぎ」。これは常識外に立てば、決してそのようなことはない。が、しかし建築は、最終的に他者の手に渡すモノであるから、「責任」をもって「やり過ぎ」ることが必要なのである。』渡邊洋治

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4 コメント

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ご参加ありがとうございました (さかい)
2007-02-08 11:58:39
ちあきさんから受け継いだバトンを、何とか後ろに繋げたかな、と思います。最後の宴が修論発表と重なるなど、劇的でした。
そして、自分にとっても、展示にむけて手伝ってくれた人たちのイメージをどう編集するか、いろいろと試行錯誤のできるよい機会でした。
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よかった (かめ)
2007-02-09 00:17:24
そうそう、編集って関係性の問題だから。そういえば、ちあきちゃんも松岡正剛が好きだったな。
チームでやるの大変だけど、一人ではない種類の感動があって、いいのよね。
さて、ご苦労様でした。今度はかめに遊びに来てください!
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軍艦 (maru  -- つのはず)
2007-02-13 19:00:28
少し前に、この建物のすぐ近くに戦前から住んでいた方から 戦後話を聞いたことがあります。
戦中その人は疎開していて 戦後戻ってくると、木造の我が家(長屋)は無くなり 一面が焼け野原で、高い建物は伊勢丹までなかった。
闇市の時代、夜になると新宿駅から伊勢丹の通り沿いにズラッと露天が並び、夜はボワッと灯りがともり そのあたりだけがやけに明るく
怪しい雰囲気だったとか。
道路拡張に伴い、家を引きずって移動したり、転居したり、
戦後のどさくさにまみれて、あそこの○○さんが・・・して 新宿駅からこの周辺土地を強引に・・・。
などの生々しい話は 新宿の今の街並みに関係していてとても参考になりました。
花で飾った路面電車がたまに夜走るのでゴールデン街のほうへ見に出かけたり、
あげた凧の糸が切れた時は、新大久保駅のほうまで、取りに行ったりなんて話もいろいろ。
今はホテル郡の中に古びたお屋敷が挟まっていたり。そんな土地に軍艦マンションは建っているんですね。
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Unknown (かめ)
2007-02-14 23:24:42
とってもコメントで読むにはもったいない話をありがとうございます。現代の細分化された町並みとはスケールが違って見えてきて、とてもおもしろい文章でした。
角筈から西新宿へ、柏木から北新宿へ、名前から受けるイマジネーションがそのまんま風景ですね。
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