赤城おろしの冷たいからっ風にも、日本一暑い夏の日にもめげず
頑張る上州かあちゃんの日記です
高宮宿
彦根への玄関口
宿場町とともに、多賀大社の門前町として
栄えた町
多賀大社一の鳥居
この鳥居から多賀大社まで3キロ
高宮上布という麻織物の問屋としても
賑わったそうです
本陣跡
当時の表門だけ残ってました
むちん橋
この橋は、
川渡しや仮橋が有料だった時代に
渡り賃をとらなかったので
「無賃橋」と呼ばれたそうです
この橋を渡ったところで
高宮宿は終わります
間の宿
宿場と宿場の間にあって
休憩などをしたところ
高宮宿と愛知川宿の間の宿
石畑です
大手商社、丸紅・伊藤忠商事の創業者
伊藤忠兵衛の屋敷跡
伊藤忠兵衛記念館
忠兵衛の本家を開放していました
庭も立派でした
忠兵衛さんは60代で亡くなったそうですが
奥さんは100歳過ぎまで
長生きで
忠兵衛のアシスタントとして
近江麻布の仕入れなど一手に
切り回ししていたそうです
この奥さんの最も重要な仕事は
新入店員の教育でした
伊藤忠本店に採用されると、まず
この、奥さんのいる本家で
1か月間
じっくり店員としての行儀作法や
そろばんを教育していたそうです
今の、伊藤忠商事に入社した
新入社員も、徹底的に
新人教育を受けるんでしょうね
今回の2月1日から3日に歩いた街道歩きは
ここまででした
先に進みたいところですが
次回は
少し戻って
鵜沼宿から美江寺宿まで歩きます
今週末から歩く予定ですが
天気が超~~心配です
雪の中歩かなくちゃかも泣
摺針峠を越えるとこんなお出迎え
峠を越え鳥居本町に入ると
米原市から彦根市に入るようです
鳥居本宿 江戸から63番目
多賀大社の鳥居がここにあった事から
この名がついたとの事
有川家
この宿の名物
赤玉神教丸・・・
腹痛や下痢に効くそうです
昔は多くの店でこの丸薬が
売られていたそうですが
今では、この有川家一軒のみ
街道の真ん中あたり
街道の曲がり角です
建物は200年の歴史があります
明治天皇行幸の際には
小休所となったそうです
この薬
彦根城近くの薬局でも
見かけました
昔からこの薬に
お世話になってる人いるんだろうね
合羽所
もう一つの名物が「合羽」
和紙に柿渋で防水を施し赤く染まった
合羽との事
だけど・・・
こちらの合羽は廃業
今は看板のみ・・・
柿渋で染めた合羽は
今、需要はないよね
脇本陣後
説明文も読めない木の標柱
問屋もかねていたらしい
彦根道 道標
宿場の出口に道標が・・・
右 彦根道
左 中山道
小野小町塚
小野小町誕生にちなむ小町塚
小野小町って
ここらへんで生まれたって
説があるらしく
生まれたばかりの頃
もらわれて京に行ったと説明文に
書いてある
綺麗な人は
赤ちゃんの頃から
可愛かったんだろうね
石清水八幡宮
飛鳥時代から鎮座
安産の神様・・・だって
ここら辺まで
鳥居本宿
次 高宮宿へ
番場宿
近江の中山道の中で1番小さい宿場町
四方を山に囲まれています
本陣跡 標柱
問屋場跡 標柱
宿場には、こんな風に「○○跡」みたいな
新しい立派な標柱がありました
なんだか、立派すぎて趣がないように
感じましたが
宿場によっては、木の標柱すらなく
本陣はあのあたり・・・
みたいな宿場もあるので
趣なんぞなくても、
ここに本陣があったんだな~~
と、想像できるだけで、有難い・・・
蓮華寺 れんげじ
1300年前 聖徳太子が建立
法隆寺と称していた
1333年
足利尊氏におわれ鎌倉を目指して
敗走する
六波羅探題・北条仲時一行432名が
ここで、力尽きて自害した寺です
山門前は除雪されていましたが
432人が自害した本堂前庭は
雪に埋もれていました
この時の住職が深く同情して
432名の姓名・年齢を過去帳におさめ
供養の墓碑を建てて冥福を祈ったそうです
墓碑は本堂の裏手にあり
この日は雪が多く裏手まで行くことが
出来ませんでした
過去帳は重要文化財としてこの寺に
所蔵されており、一般開放も
されているようですが
この日は、コロナ対策で見せてもらうことが
出来ませんでした
「番場の忠太郎」という戯曲を書いた
作家の長谷川伸さんは
この過去帳に書かれている
15~16歳の少年将兵の名前に
感銘を受け
忠太郎の故郷を番場にしたのではないか・・・
って、説明してくれた寺の方が言ってました
摺り播峠 すりはりとうげ 一里塚
江戸から118番目
さて、摺り播峠を越えますぞぉ~~
名神高速道路わきを
峠に向かいます
神明宮
ここらあたりが、摺り播峠の頂上らしい
番場の忠太郎の家も
ここら辺・・・
寒い日でしたが
峠の登坂で身体は暑くなり
皆さん上着、脱いでました
登りきったら、下らなければ・・・
落ち葉が湿っていて、滑ります
慎重に・・・
慎重に・・・
昔の旅人は、登山靴とか履いてませんわ
こんな道、どんなふうに
越えたんだろうか
途中からは、あまりにも悪路にて
講師の先生
旧中山道のすぐ脇にある
舗装された道を歩いたわけですが
街道を歩くツアーの皆さんは
中山道へのこだわりが強く
なぜに、中山道の旧道を歩かぬ
悪路でも、旧道を歩きたかったと
感想を述べる
ツアー友がおりました
摺り播峠、無事に越えました
鳥居本宿に向かいます
瞼の母って・・・
番場の忠太郎って・・・
ほんわか頭の片隅で、聞いたことあるけど
なに???
どんなお話なの???
YouTube先生に教えてもらいました
ふぉぇ~~
こういうお話なんだぁ~~
蓮華寺のかた
女優の五代路子さんが「瞼の母」を一人芝居した
ご縁で、毎年、蓮華寺にお参りくださるって
言ってました
境内には、五大路子さんの写真とか
飾られてました
瞼の母 三波春夫
醒井宿 さめがいしゅく
西行水・十王水・居醒の清水
醒井三水という湧き水を集めた地蔵川が
宿場沿いに流れている
水の町です
何日か前に降った雪がたくさんです
歩道は除雪されており
街道歩きに支障はなかったです
居醒の清水 いさめのきよみず
醒井宿三水の一つ
日本武尊が
伊吹山の大蛇退治で大蛇の毒に
犯されたときに
この清水で熱を冷まし、
身体が回復したという話が残っています
加茂神社
宿場の高台にあります
滑らないように慎重に登ります
加茂神社の境内からは
宿場が見渡せます
中山道や地蔵川の様子がよく見えました
地蔵川
この川、綺麗よ~~
昔の旅人もこの流れには
癒されたんだろうなぁ~~
清涼を好むハリヨってゆう
小魚がいるみたい
梅花藻(バイカモ)っていう水藻が
生息していて、夏には白い小さな花を
たくさん咲かせるそうです
どこかに一輪くらい咲いていないかと
ツアーの皆さんと探しました
何輪か咲いてる花を捜すことができました
これ、満開の夏は
すごいんだろうなぁ~~
見てみたいわぁ~~
地蔵川で洗濯しているおばちゃんがいました
なんか、ほのぼのしなぁ~~い
川で洗濯よ~~
川で洗濯なんて絵本の世界だわぁ~~
これ、冷たくないのかな???
私も川に手を入れてみました
そんなに冷たくなかった
湧き水って
冬は温かくて
夏に冷たいって、ほんとなのね
旅人だけでなく地域の住民にも
癒しの水なのを実感です
醒井宿本陣跡
今はお料理屋さんやってるみたい
十王水
醒井三水のひとつ
平安時代に天台宗の高僧が
水源を開いたと言われています
西行水
西行法師が東国への旅の途中に
ここの茶屋に寄って
お茶を飲みました
法師が飲み残したお茶の泡を飲んだら
茶屋の娘が懐妊して男の子を出産
法師が東国からの帰り道も
また、この茶屋に寄ったところ
茶屋の娘からこの話を聞き
「もし、我が子なら元の泡に帰れ」って
祈ったそうです
そしたらね、子はたちまち消えて
元の泡になったんだって
おいおい
この話って
残酷な話なんじゃないんかい
飲み残しの泡で
妊娠せんわ・・・
泡に戻れって念じるって・・・
お父ちゃん、ひどい・・・
西行さん、責任とりないね
養育費払え・・・
街道のそこそこにこんな話はあったかも
しれないね
こんな話を講師の先生に聞きながら
歩く街道歩きは
おもしろい・・・
醒井宿資料館
1973年まで郵便局として
使われていましたが
今は、資料館でした
1階は無料の休憩所になってました
醒井宿は
春の桜
夏のバイカモ
秋の紅葉
冬の雪景色
いつ来ても美しい街道なのかもしれません
次の宿は
番場宿・・・
中山道を歩く31回
2月1日~3日で歩きました
柏原宿 (60番目)から
愛知川宿 (65番目)の手前までです
成菩提院(じょうぼだいいん)
最澄が最初に建物を建てたって・・・
鎌倉時代は学問所
戦国時代は戦国武将が野営したそうです
寺には、勝った家康にお祝いの
ぼた餅を献上した
お盆が残ってた
家康からは、残った兵糧米や
陣地の古材などが寄進されたんだって
柏原宿
江戸より60番目の宿場町
近江を通る中山道では一番長い
古い家が表にそれぞれ元の商売の看板があったりして
おもしろいです
町の前の伊吹山は薬草の産地で
伊吹山のよもぎで作った
伊吹山もぐさは街道の名物だったそうです
お昼に食べたこの「やいとうどん」って
お灸にちなんでいるそうです
真ん中のとろろ昆布がもぐさって
事かな・・・
今は、もぐさを売ってるお店は1軒しかないとの事
柏原宿の一里塚(江戸から115番目)
寝物語の里
美濃の国と近江の国の国境です
この県境の旅籠に泊まった人が
壁越しに寝ながら話し合えたことから
寝物語の里と言われているそうです
この小さな川越しに
旅人が、それぞれ歩いてきた街道の様子などを
情報交換していたのね
今みたいに、スマホはないからね
スマホ持ってる私達ですが
次の宿場を目指して歩きました