雷とからっ風 義理人情! 上州かあちゃんの毎日

赤城おろしの冷たいからっ風にも、日本一暑い夏の日にもめげず
頑張る上州かあちゃんの日記です

札幌の小太郎くん

2022-10-18 18:49:16 | 小太郎
遠く札幌で暮らす小太郎くん!
今はねぇ〜
良いものがあるのよ
 
見てねって言うアプリなんですが、
家族だけが見る事ができる
写真アプリです。
 

毎日画像が送られてきます。
遠く離れているのですが
その成長ぶりを毎日見る事ができます。
 


お家から近くの有名な方と一緒にお写真
小太郎よ!大志を抱け
 

 
いいなぁ〜
観光地でのお散歩!



大きなマンモスに見つめられて
泣いとる笑笑
 


こちらもお家の近く
お隣のスーパーモールに
オムツを買いに行くようです


休日は、ちょっと足を伸ばし
これまた有名な塔から
公園を眺めてる様子!
 



ずいぶん紅葉が進んでいるようです
 


初めの寒い冬を迎える小太郎くんです。
雪の中でのお散歩は、どうすんの?
心配でならないばあばです。



この公園は
ばあばは、知らんよ
どこかなぁ〜
お家から近いのかな?
 


写真でなくて
生小太郎君に会えるのは
お正月かなぁ~~
 
帰って来られるかな???
コロナが落ち着いているといいなぁ~~
 
 
 
 
コメント (4)
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甲州街道 2回 四谷~明大前  2022.10.16

2022-10-17 20:35:49 | 甲州街道
2022・10・16 晴れのち曇り
 
なにかに取り憑かれたように
毎週街道を歩いとります
 
今週は甲州街道2回目
四谷から明大前まで歩いてきました
 
6:50  家をでました
7:33  高崎線乗車
9:31  四ツ谷駅着
10:00 甲州街道2回目街道歩きスタート
 
30名の参加です
あっちにも、こっちにも
見覚えのあるお顔が・・・
 
東海道、中山道を一緒に歩いたことのある方が
いらっしゃいます
 
皆さん歩く中毒のアル中です
 
西年寺
 
家康の長男信康の菩提を弔うため
服部半蔵が開山した寺
 
寺の宝として
半蔵の槍が本堂にありました
 


徳川信康の供養塔

 
服部半蔵の墓

 
西念寺の反対側の
観音坂を下ります

 
10:35 戒行寺 
 
テレビ時代劇「鬼平犯科帳」の主人公鬼平の供養碑
鬼平犯科帳って見たことない
街道歩き始めてから時代劇みたいと思うけど
地上波では最近,時代劇放送してないです
 

戒行寺前の坂
 
なんだか坂道
登ったり下ったり・・・
 
都会の峠道・・・
昔は大変な道だったかも・・・
 


須賀神社
 
江戸時代より四谷の鎮守様
7・5・3のお参りの可愛い子たちが
いました
今も地元の大事な鎮守様


須賀神社の境内を下るとこの階段



ここ階段は映画「君の名は」の
ラストシーンで有名と説明されたが
街道歩きお仲間たち
ちょこっと年齢層高いので
あまり反応なし・・・笑笑
 
三郎に画像送ったら
あそこのシーンは四谷だったのかぁ~~って
階段の下からでなくて上から写真撮って来い・・・
とか言ってた
 
若者には君の名はの聖地・・・



東福院坂

 
11:00 愛染院
 
内藤新宿を開いた高松喜六の墓
江戸時代に活躍した全盲の学者塙保己一の墓
塙保己一の生誕の地は
いつも私が電車に乗る埼玉県本庄市です
 


長善寺 笹寺
 
笹寺の名称は三代将軍家光が鷹狩の際
立ち寄り周囲に笹が生い茂っていたためとの事
 
めのう観音像が秘仏
 

笹寺の境内にある
カエルの供養塔
 
実験などで使ったカエルを
供養するため建てられているそうです
 
カエルの解剖って中学生の頃
やったかなぁ~~
魚だったかな???

 
11:30 四谷大木戸跡
 
甲州街道出入り口の関門
道の両脇に石垣・高札場があった
 
大木戸は江戸城下町への入り口
見附は城門
 
現代も大木戸が地名として残っているのは
ここ四谷大木戸と高輪大木戸跡の2か所
 
高輪大木戸は東海道歩きの時に立ち寄っています
 

 
内藤新宿  日本橋より2里 
 
本陣 1
脇本陣 無し
旅篭 25軒
 
甲州街道1番目の宿は高井戸宿だったが
日本橋から16キロと遠かったため
浅草に住む名主高松喜六が幕府に願い出た
 
1699年に信州内藤家の屋敷や旗本朝倉家の屋敷の
一部を返上させ新しい宿場を作った
 
新宿って賑やかで、華やかで、楽しい所だけど
新しい宿場って意味だったのね
 
太宗寺
内藤家の菩提寺

門をくぐった右側に江戸六地蔵の三番目に建立された
銅造地蔵菩薩
 
江戸六地蔵は江戸の出入り口の6か所に
建てられています
 
東海道・中山道歩きの時も
それぞれ江戸を出る時
この坐像を見てきました
 
東海道は品川寺(品川区)
中山道は真性寺(豊島区)

 
太宗寺境内の塩かけ地蔵
 
なぜにこのようなお姿に・・・
どのような歴史があるのかはわからないそうですが
 
願掛けをして塩をいただいて帰り
叶ったら塩をお返しするとの事でした
 
 
キリシタン灯篭
 
隠れキリシタンが密かに礼拝したとされています
彫刻がマリア像を象徴しているそうです
 


追分
 
甲州街道と青梅街道の追分




新宿3丁目の交差点
ここが追分の元標が歩道に埋め込まれてました

 
江戸時代から続く
追分だんご本舗がありました
 
だんご・・・
食べたぁ~~い
30人の団体様で歩いてますのでね
寄り道はできません
 


12:00 天龍寺
この寺の門前に高札場があったそうです
 

 
天龍寺の境内の時の鐘
笠間城主から寄進されてオランダ製の時計を
見せていただきました
 
この時計をもとに時の鐘が鳴らされたとの事
ですが、鐘は登城する侍が遅刻しないように
30分前に鳴らされたそうです
そのため、遊女との別れも早められ
追い出しの鐘ともいわれていたそうです
 
今は時間をセットしておけばiPhoneのアラームが
バイバイする時間を教えてくれるよぉ~~


新宿駅南口
 
バスタ新宿前です
うえ~~この道路甲州街道だったのねぇ~~
恥ずかしながらかかあ天下さん知らんかったわぁ~~
バカだぁ~~
 
大きな荷物抱えて
花子のアパートに向かう時
群馬から高速バスに乗って
ここバスタ新宿に来てましたがねぇ~~
 
甲州街道横断してJRに乗ってたのね
 


玉川上水モニュメント
 
江戸城下の水不足を解消するために
作られた人口の水路
 
今はモニュメントのみ
 


箒銀杏天満宮
 
樹齢300年のほうきを逆さにしたような銀杏の木
昔は近くに玉川上水が流れていた
 
ビルとビルとの間によくぞ枯れずに300年って
感じよ・・・
 
今後も元気に育っておくれ・・・
 
 


正春寺
 
2代将軍秀忠の乳母初台局の娘がこの寺の開基
ここより少し先にある初台という地名は
初台局が住んだことからついた地名との事
 
 


13:00  オペラシティ
 
13時でやっとお昼ごはんです
気温があまり高くなく歩くには
丁度良い気温でしたが、
 
3時間の人の多い都会での街道歩きで
疲れました
 
リュックサック背負った変な30人ですが
人波に埋もれて
全然目立たない
 
前を歩く人を見失わないように
迷子にならないように
緊張の3時間でした
 
ハンバーグだけのちょっとお粗末な
昼食だったけれど
空腹を満たし疲れを取るには十分でした
 
昼食を取ったオペラシテイの中に
新宿区と渋谷区の境界が走っています
 



幡ヶ谷不動 (荘厳寺)
 
かつては幡ヶ谷村の鎮守であった幡ヶ谷氷川神社の別当寺
 
道標を兼ねた大きな常夜灯
甲州街道と山手通りが交差する付近にあり
道しるべの役割を果たしていたそうです

 
14:10 旗洗い池
 
後三年の役からの帰路
八幡太郎源義がここにあった池で
旗を洗ったという伝説がある
 
幡ヶ谷の地名の由来
 
この地の前のマンション「洗旗荘」だった
講師の先生が言ってましたが
こういった由来のある地を
残さないでという住民もいるそうです
 
開発への思いの方が強いのでしょうね
 
昔をしのぶことのできる地を保存し
残してゆくのは大変なことでしょうが
残して欲しいです
 
洗旗荘の住民の方
素敵なネーミングのマンションでよろしいわね
 


14:45 牛窪地蔵尊
 
このあたりは雨乞いの地であったそうです
 
牛窪地蔵は悪疫が流行したので子供の安泰を
祈願して建立されたそうです
 
こちらもビルとビルの間の
せま~~っちい所に埋もれてました
 
またここには処刑場があって
極悪人が馬裂の刑に処されたので
牛窪という名前がついたそうです
 
 
 
14:55  笹塚
 
街道の両側に
笹が茂った塚があったことからついた地名
 
笹の茂った塚が一里塚という説もあるそう
 
一里塚 江戸から3個目
 
 


代田橋跡
 
玉川上水緑道に上水の面影を
ほんの少し残すのみ
 


15:10 沖縄タウン
 
国道20号沿いの路地に沖縄タウンなるものが・・・
なぜにここにこのような路地があるのかは
わからないと先生も言ってました
 
朝ドラ「ちむどんどん」の鶴見は
昔、ブラジルに渡る沖縄の方々の
検疫が行われた地で
病気などで、ブラジルに渡れなかったかたが
鶴見に住むようになったって言ってました
 


右側に明治大学見えてきました
このあたりから高井戸宿に入ります
 
15:20
 
この日のゴールはここでした
甲州街道を歩く第2回、
四谷から明大前まで終了
 
15:30京王線 明大前から新宿経由で帰ってきました
 
家に着いたのは
18:30位だったかなぁ~~
 
 
 
 
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犬山城 2022.10.9

2022-10-16 22:04:43 | 中山道
国宝犬山城
 
2022・10・9
 
街道歩きを終えて、犬山城に寄りました
 
1537年に建てられ、天守は現存する
日本最古の様式
 
姫路・松本・彦根・松江の国宝5城の1つ
 
断崖の上に建ってます
 
 
室町末期に築かれた日本最古の白亜の天守閣

 
別名白帝(はくてい)城

 
眼下には木曽川・・・
 
 
たった今歩いてきた鵜沼宿はどちら・・・

 
城の中の上段の間です
城の中そんなに広くないよ

 
見て・・・この急な階段
敵が攻め込んできても
容易に登って来られません
 
これねぇ~~
復元された城だと
観光客が登りやすい階段になってるんですが
この城は昔のままなので・・・
 
階段の登り降りだけでも
昔を想像することができました
 
 
 
街道歩き中は傘を使用してはいけないことに
なってますので
皆さん、雨具を着用しますが
 
街道歩きは終了していますので
皆さん、傘をさしての見学です
大雨でなくてよかったです

 
犬山城土産はげんこつ飴って・・・
名前だけ聞いたら
すごく固そうで、差し歯が折れてしまうと思って
この小袋が5個入ったものを1個
買ってみました
 
 
新幹線の中で食べたら
あらびっくり・・・
固くない・・・
そして、美味い・・・
 
新幹線の中で小袋4つ
いっきに食べてしまった
 
原材料はきな粉と胡麻と黒糖で
栄養もたっぷりよぉ~~
 
もっとたくさん買ってくればよかったぁ~
ネットで買おうかなぁ~~
 
ワン丸君がパッケージになってる
可愛いげんこつ飴がいいなぁ~
 
なんかね
ここって、名古屋駅から電車で来ると
30分くらいで来られるみたい
 
ゆっくりと、また行けるかもしれない
げんこつ飴買いに行こ~~っと


ブログでフォローしている
たいぴろさんがね
 
私が犬山城に行った日と同じ
10月9日に
犬山城のブログアップしてました
 
えぇ~~
まじですかぁ~~
 
同じ日にたいぴろさんも犬山城に行ってたのぉ~~
 
私達は1時間しか時間がなかったので
お城周辺の神社など立ち寄れませんでしたが
たいぴろさんのブログでよくわかりました
 
ブログって
おもしろいよね~~
 
こんなこともあるのね~~
 
知らない町ですれ違った人が
ブロ友さんだったりすることが
あるかもなんですよね
 
 
 
 
 


 
 
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中山道 鵜沼宿 52宿 2022.10.9

2022-10-15 17:54:28 | 中山道
2022・10・9 曇りのち雨
 
街道あるき3日目
太田の渡しをスタートし
美しい日本ラインを見ながらの
うとい峠を越えて鵜沼宿に入って
昼ごはんです
 
心配していた
雨も峠越えはなんとか持ちこたえてくれました
 
 
鵜沼宿
 
本陣1
脇本陣 1
旅篭 25
家数 68
 
鵜沼宿は明治25年の濃尾大地震により
江戸時代の建物はほとんど消失してしまっています
 
高札場  
 


大垣城門
 
鵜沼宿になぜに大垣城の門が・・・
その経緯はよくわからないと
案内ボランティアの方も言ってました
 
大垣市からは返して欲しいと
言われているそうですが
鵜沼宿の宝でもあるので
返さない・・・って言ってました(´∀`*)ウフフ


 
鵜沼宿本陣跡
 
 
絹屋 武藤家
 
本陣の東側 
江戸時代は絹屋の屋号で旅篭を営んでいた
 

 
脇本陣
 
江戸時代の宿場町を未来に継承するために
平成22に復元工事したもの
 
 
 


これまで現存されている古~~い本陣とか
脇本陣とか旅篭なんか見てきたので
最近復元されたこの脇本陣・・・
 
真新しい白木の香りが
なんか新鮮でもあり
不思議な空間でした
 
ここボランティアで案内してくれる方が
たくさんいらっしゃって
町の方達の意気込みを感じましたよ
 
案内の方がいらっしゃると講師の先生とは
また違った地元目線での案内を聞くことが
出来て楽しいです
ありがとうございました
 
 
 
芭蕉句碑
 
松尾芭蕉は3度
ここ鵜沼宿を訪れ句を詠んだそうです
 
 


脇本陣の脇の階段を上り
二宮神社・・・


脇本陣の前には
菊川酒造の黒塗りの酒蔵・・・

 
酒蔵の先には
江戸時代の旅籠を含む民家が
4軒並んでいました
宿場の情緒たっぷりです

 
ここまでで
今回の中山道を歩く28回
細久手宿から鵜沼宿までの行程を終えました
 
ここから名古屋駅経由で東京に戻ります
この後街道沿いではありませんが
犬山城に寄ってから帰ってきました
 
 
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中山道 太田宿 51宿 2022.10.9

2022-10-14 23:19:35 | 中山道
2022・10・9
 
今回の街道歩き3日目最終日です
この日の歩きはじめは太田の渡しからです
ストレッチをして
GO~~です
 

古井一里塚 江戸から98番目

 
祐泉寺
 
太田宿の入り口にこの寺があります
北原白秋やら芭蕉やらの歌碑がありました


播隆上人の墓碑
槍ヶ岳に初登頂して開山した僧との事

 
滋賀重昴(しげたか)の墓碑
地理学者で木曽川をドイツのライン川に見立てて
「日本ライン」となずけた人




 
旧旅篭 小松屋
伊勢参りに行く旅人が多く利用したとの事

 
太田宿
本陣 1
脇本陣 1
旅篭 20
 
太田の渡しを控えた宿場で
行政・文化の中心として発展した
飛騨街道と郡上街道との分岐点
宿場は木曽沿いに沿って続いている
 
脇本陣
母屋は1769年の建築
中山道随一の脇本陣遺構
国の重要文化財
母屋は今も林家の住居です
 
 

母屋は見学できませんが
隠居家は見学出来ました



本陣
街道に面し
表正門が残るのみ
 
 
太田宿中山道会館
トイレ休憩で寄りました
 
 


会館には江戸時代の太田宿を再現した空間なども
ありました
 


宿の西の出口には
坪井逍遥が少年時代遊び場だった
お堂があります
 
堤防に上がる手前にありました




日本ライン沿いに歩を進めました
添乗員さんに促され
後ろを振り向くと
恵那山がはるか後ろに見えました
 
妻籠宿で目の前にみた恵那山が
はるか後方に
あそこから
あここから
歩いてきたのよ
 
すごいなぁ~~
私の足・・・
 
1っ歩1っ歩ってゆうけれど
ほんと、少しづつだけど
進むことできているのね~~
 
 
岩倉観音
江戸時代、建築の観音堂に向かいます



村人や旅人に厚く信仰されていたそうです

私も旅の安全を祈ります
ここからの日本ラインの眺めも良かったです
 


JR高山本線と国道をトンネルでくぐり
うとう峠に向かいます


 
うとう峠
木曽川沿いの道が危険だったため
うとう峠を越えて鵜沼宿へ行く
中山道が1651年に付け替えられました
 
うとうは疎い(うとい)
「不気味」「不案内」などの意味が
考えられるとの事です

 
うとう峠 一里塚 江戸から100番目だよ~~
中山道って1里塚って全部で何個なんだぁ~~
 
 
中山道
碓氷峠・和田峠・十三峠・琵琶峠
木曽路の登ったり下ったりの
名前もわからない峠を
幾たびか越えて来ました
 
うとう峠
あれ~~
こんなもんですか
楽勝~~
楽勝~~
なんちゃってね
 
 


うとう峠を越えたら鵜沼宿の東の見附です


 
鵜沼宿に入って行きます



鵜沼宿でこの日の昼食です

どんより空で峠を越えるまで降らないでとの
願いが叶いました
 
鵜沼宿に入った頃から
ぽつり・ぽつりと降ってきました


 
 
 
 
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