雷とからっ風 義理人情!上州かあちゃんの毎日

赤城おろしの冷たいからっ風にも、日本一暑い夏の日にもめげず
頑張る上州かあちゃんの日記です

奥州街道 白河の道 第3回 喜連川から大田原

2024-06-19 21:46:28 | 奥州街道

奥州街道ブログ滞ってます
街道ブログは早めに書かないと
記憶が曖昧になって
億劫になってしまいます

写真だけでも旅の備忘録を
残しておこうかな、写真もたくさん撮ってあるし・・・

奥州街道 白河の道 第3回 

喜連川から小田原

1日目 4月6日 雨
1月に第2回を歩いてから
2か月ぶりの街道歩きです
 
奥州街道歩き天気に恵まれません
この日も雨降り・・・泣
1月の雨のように冷たくなかったので
まっいいか
 
那須塩原駅からバス移動
前回の歩き終わりに・・・
 


喜連川宿の内川を渡ります

 
双体祝言道祖神
大きな道祖神でした

 
今回も雨具着てほんの少し残る旧道を歩きます

 
南和田の一里塚 江戸から34里目
雑木林の中に塚のみ残っている
どこが塚やらわかんない・・・
                                                                                                                                                                                                                                                  
 
明治天皇御前水の碑
明治天皇が東北巡行の際
飲用した御前水の跡



道祖神
ここにも可愛らしい道祖神
 
 
明治天皇碑 ここでお休みに・・・



昼ごはん ここまで7キロ歩きました

 
那須与一墓
どちら様・・・って感じです
 

 
源頼朝に仕えていた武将で弓の名人



源平合戦で平家の軍船に掲げられた扇の的を
射落とした話が
有名なんだって
うんうん、聞いたことある
 


その那須与一がここ栃木県那須郡で那須氏の居城神田城で
誕生したらしい
 
福原八幡宮
那須与一が社殿を修営
実相院
 
道標 大田原 喜連川

 
佐久山宿に向かいます



観音堂
 


水準点

 
宿場っぽい雰囲気が少しだけ残ります



薬屋

佐久山宿
本陣 1軒
脇本陣 1軒
旅籠  27軒

 
不動明王
 
夕飯



奥州街道3回 1日目
雨の中
よく歩きました
 
 


 
 
 
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奥州街道白河の道 第2回 白沢から喜連川 2日目

2024-04-05 22:54:33 | 奥州街道

奥州街道白河の道 第2回 白沢から喜連川

2日目 1月21日

今回の街道歩き1日目の1月20日は
なんとか雨に降られずに歩くことができましたが
2日目の1月21日は
冷たい雨に1日中降られてしまいました
こんなに冷たい雨なら
いっそのこと雪の方が
濡れることが少なそうだなぁ~~
なんて思いながらスタートしました
 
狭間田の一里塚 日本橋より32里目
個人の住宅内に南側の1基が残るのみ
個人の庭をみんなんでじろじろ見学させていただきました
 
 
大黒天 
大黒天が2基祀られている
土台には明治時代の水準点の記号が
刻まれていました
(標高158m)

 
弥五郎坂(乙女坂)

 
江戸からここまでは平地
ここから山路になったそうです

 
乙女坂古戦場

 
那須氏・宇都宮氏の古戦場跡

 
かつてはこの坂は乙女坂と呼ばれていましたが
那須氏・宇都宮氏の戦い時
那須方の弥五郎という人が
ここで宇都宮氏を討ったことから
弥五郎坂と呼ばれるようになったそうです

 
雨のなか夢中で歩いていましたので
さほど高さを感じませんでしたが
振り返ると
けっこう登ってきてる・・・

 
さてここから奥州街道古道に入ります

 
街道を歩いています・・・って言ったって
昔の面影を残す街道なんて
ほんのわずか・・・
排気ガス吸いながら国道を歩いていても
少しも昔の街道を想像することができません
 
でもこういった古道はいいですよ
何百年も昔の旅人と同じ景色を見ながら
同じ道を歩いていると思うと
とても不思議な感覚になります



古道を通過すると
道標です
「右江戸道」 「左下妻道」と書いてあります
 
 
喜連川宿
本陣1軒
脇本陣1軒
旅籠29軒
喜連川藩の陣屋町として発展
藩主の喜連川氏は足利尊氏の流れを
汲んでいたため幕府がその格式を認め
参勤交代を免除していたんだって・・・
 
龍光寺 
喜連川藩主・足利氏の菩提寺



いっこうに雨がやまない
大粒の冷たい雨が降り続いていました



喜連川神社
喜連川の総鎮守
 



この日の街道歩きはここまで
歩き終わりの体操をしっかりとしますよ
寒い寒い・・・
早くバスに乗って宇都宮駅に向かいましょう         



この日は朝から雨が降りやまず
1月の冷たい雨で講師の先生の歩くペースが速かったのか
予定よりかなり早く
宇都宮駅に帰ってくることができました
 


街道歩き友と
宇都宮ギョーザを食べて帰ってきました
冷えた身体に
焼きたてギョーザ・・・
うまかったです
 
 
 
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奥州街道白河の道 第2回 白沢宿~喜連川宿 1日目

2024-04-04 22:55:47 | 奥州街道

奥州街道歩きのツアーは2月・3月お休みでした
寒いからかな

今月から始まりますが
1月に歩いた回のブログ書いてなかったので
思い出しながら書いておきます

奥州街道白河の道 第2回
1泊2日の旅、1月20.21日

1月20日 1日目 
 
9:30 宇都宮駅集合
バスに乗車して1回目の歩き終えから
歩きは始めました
 
10:50 白沢の一里塚 江戸から30里目
本来の位置は鬼怒川の河原にあったそうですが
洪水で流失してしまい今はここに碑があるそうです
 
 
土手を歩きます

 
ここら辺に鬼怒川の渡しがありました
 


鬼怒川を渡ります

 
11:30 阿久津大橋

 
氏家宿・喜連川宿が現在さくら市にあたります

 
与作稲荷 
幕末から明治にかけて河岸の人々や奥州街道を
旅する人に信仰されてきた
400以上の鳥居が並んでいたそうだが
今はそんなに多くの鳥居ではなかった
 
 
将軍地蔵

 
勝山城跡

 
氏家氏の築城に始まり宇都宮一族の居城

 
鬼怒川の断崖を天然の要害とした崖端城



氏家宿
本陣 1軒
脇本陣 1軒
旅籠 35軒  
 
 
 
氏家宿の長さは約970メートル
街道を挟んで民家・商家が軒を連ね
脇街道であった会津西街道・会津中街道が奥州街道と
合流する交通のかなめであった

 
西導寺
氏家氏の菩提寺



延命地蔵尊



光明寺
勝山城主氏家氏が政権を交代した
芳賀氏の菩提寺
正面に1759年宇都宮の鋳物師が作ったといわれる
たかさ3メートルの青銅製不動明王座像が露天で
鎮座していました



奥州街道白河の道 第2回の1日目
1月20日はここで
歩き終えました



今にも雨が降りだしそうな曇天でしたが
この日は雨に降られることなく
歩き終えることができました
 
 
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奥州街道 1回 宇都宮宿〜白沢宿

2024-03-25 21:19:13 | 奥州街道
街道歩き 
東海道・中山道・日光街道完歩
甲州街道は最終回を残すのみ
五街道・・・
残すは奥州街道のみ
ここまで来たら五街道制覇しますわ
 
 
奥州街道は江戸から宇都宮までは日光街道と重複します
宇都宮からは白河を経て青森まで続く最も長い街道です
青森までは、とても長く気の遠くなる話なので
とりあえず幕府の管轄だった白河宿までを目標にします

そんで奥州街道1回目
宇都宮から白沢、日帰りの旅に
行ってきました。

って・・・2023年12月23日ですよ
昨日の夕飯何食べたかすぐに思い出せないのに
3が月も前のブログ書けんのかい・・・って話ですが
旅行社でいただいたパンフレット見ながら写真の
説明だけでも記録しておきまぁ~~す

宇都宮駅
都内集合からの新幹線で皆さんは
やってきましたが
私は宇都宮に直接行った方が早いので
宇都宮駅で皆さんと合流しました
 
駅前の餃子のオブジェ・・・
宇都宮は餃子が有名です
 


10:06 追分
日光道中と奥州道中の追分です
日光街道を歩いていた時
ここ通過しました
 
今回は奥州街道の方に進みます
 


二荒山神社
下野一の宮
いちのみやがなまって宇都宮になったとのことで
宇都宮の語源と言われている
 
 
この神社は日光街道を歩いた時も
立ち寄りました



本殿
私ね、街道歩きをする前は
神社に行っても、拝殿の前で手を合わせるだけでしたが
最近は後ろに回って
本殿の方までしっかり見ますよ



金の擬宝珠



11:00 おしどり塚
 

 
鎌倉時代、つがいのオシドリを討つた猟師が
改心したという話の石碑が公園の中に
ありました



12:40 旧篠原家住宅
江戸時代からこの場所で醤油醸造業や肥料商を
営んでいた
 


庭から見ると旅館の様でした



蔵は大谷石・・・
国指定重要文化財



家の中は豪商であった面影を残しています
 


13:10 興禅寺 
宇都宮八代城主の創建
 
 
長屋門
明治時代築の豪農
今も住まわれています
管理が大変でしょうねぇ~~




刑場跡 
この辺り一帯が宇都宮藩の処刑場
本田正純の命に従わなかった100人を
ここで1日のうちに処刑し首と胴を別々に
埋めた首塚
 
胴体は白沢神社に埋葬されています

 
白沢宿に入りました
白沢宿
本陣 1軒
脇本陣 1軒 
旅籠 13軒
宇都宮から白沢経由の奥州路は
平安時代から利用されていたそうです
 

16:00 白沢地蔵尊
源頼朝に奥州総奉行に任命された伊沢家景が家族とともに
赴任地に向かう途中にこの地で
幼い子を病気で亡くし、供養のために
地蔵を建てたそうです
昔の転勤も家族は大変でしたね
単身赴任もあったのかね



公衆便所跡
江戸時代の公衆便所跡で地中の構造は
昔のままなんだって
田畑の肥料に使っていたそうです
 
今の街道歩きも
トイレ大変ですよ
コンビニとか公園とか使わせてもらいます
トイレのない峠越えなどの時は
交替でお花摘みもしました
お花摘みって・・・登山用語でトイレに行くってことです
野山で花を摘む姿に見立てているんだって

 
白沢宿内は道の両側に用水が
流れていますが、かつては
この用水が道の真ん中に流れていたんだって
なんか、真ん中でも両脇でも
用水の流れている街並みって
情緒がありましたよ

 
本陣跡
 


16:16 井上清吉商店
創業明治元年
下野地酒「澤姫」の蔵元
 
お酒買いたかったけど
寄りませんでした
 
日光街道から引き続いての講師の先生なんですが
饅頭屋のご案内はしてくれるんですが
酒屋にはあまり寄ってくれないの
たぶん、
甘党なんだろうなぁ~~って思いますうふふ
ご自分の好きな饅頭屋のご案内は多いけど
酒屋にはあまり寄ってくれません




この日の街道歩きは
ここで終わり・・・
奥州街道はここを右に曲がります
 
次回は鬼怒川を渡ります
昨年12月の街道歩きでしたが
なんか、ブログ書きだしたら
いろいろ思い出してきた
 
奥州街道第2回目は1月に歩いてきました
早いうちにまたブログにまとめます
 
 
 
 
 
 
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