3月22日
前日の水戸城に続き
この日は二本松城に行ってきました
城跡に行く前に資料館で
少し知識を入れて行きます
にほんまつ城報館
情報の漢字が城になってます
新しくてきれいな城報館でした

別名 霞ヶ城なんだね
春に桜が咲き乱れ、城全体が霞に包まれたような
景色にみえるので
そう呼ばれるんだってよ
残念なことに桜はまだ咲いてなかった
あと10日ほどでかすみに包まれた城が見られたかも・・・

二本松少年隊の像がありました
母親の像は戦いに出かける息子に
着物を準備している様子だって・・・

戊辰戦争二本松の戦いで
落城・敗戦は誰もが予想できたことなんだけど
降参することもなく13歳から17歳の少年たちが
郷土のため家族のために戦ったんだってよ
少年隊員62名
隊長・副隊長を除き14名の戦死者だったそうです
13歳の子供が刀を脇にさすことができず
刀を背負い抜くときは
友と向かい合いお互いの刀を抜いたそうです

室町時代に畠山氏が築城
140年続いたが伊達政宗により落城
徳川時代には
二本松藩が誕生し丹羽光重が入城し幕末まで
丹羽氏の居城だったとの事
二本松の旗に
Twitter・・・Xのマークが・・・
何かつぶやかないといかんのじゃない???
Twitterのマークでないわい
丹羽家の家紋じゃ~家紋
違棒(ちがいぼう)だって
なるほどね
紛らわしいわぁ~
今の時代Twitterのマークにしか見えんわ
多門櫓と箕輪門

門を入ると枡形になってます

山麓に城郭があり
山頂に本丸があります
昔はこんな山道を山麓の城郭から
本丸まで登って行ったようです
今は本丸までの道が整備されています

日陰の井戸
千葉県印西市 月影の井戸
神奈川県鎌倉市 星影の井戸と共に
日本3大井戸
深さ16メートル
1400年の築城のころ作られたものだって
覗いてみたけど、まだ水が見えましたよ

本丸直下大石垣
二本松城に築かれた最も古い石垣

平成5年から7年にかけて
復元工事が行われたそうです


本丸跡からは安達太良山が綺麗に見えます
あの山の向こうは会津藩
もし新政府軍に降参していたら
お隣の藩を攻めてゆくことに
なったのよね
お隣、会津藩への義を貫いたのね
13歳からの少年隊・・・
泣けました

本丸跡

安達太良山を眺める
高村光太郎と智恵子
ちがうちがう
花子と彼氏さん笑笑

本丸跡からは二本松市内が一望できます

さあ~~て
くだるでぇ~~
桜が咲いてたらきれいだったよねぇ~~

洗心亭
城内に残る江戸時代の唯一の建造物

箕輪門までもどってきたぁ~~

城の内側から見た
多門櫓(たもんやぐら)と箕輪門

大壇口古戦場
少年隊が戦った場所
戊辰戦争で欠かせない場所
だったみたいだけど
見逃しました
城から少し離れたところに
あったみたい
城めぐり・・・
毎回、重要な所を
見逃してる感じがする
予習をしっかりしていけやぁ~~
って話です泣
夕飯はいわきに戻ってから
食べました
めひかりのから揚げ
やっぱり揚げたてがうまい

次回の城めぐりはどこに行こうかなぁ~~
群馬・栃木・埼玉・・・
近場の城が巡れてないなぁ~~
次郎夫婦を誘って
長野の城めぐりしようかなぁ~~
ブログまとめていると
城のいろいろ知ることができて
お利口さんになった気がする
すぐ忘れるんですがね
二本松お城印ゲット
