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雷とからっ風 義理人情! 上州かあちゃんの毎日

赤城おろしの冷たいからっ風にも、日本一暑い夏の日にもめげず
頑張る上州かあちゃんの日記です

甲州街道 13回 石和から韮崎 1日目  

2023-11-01 09:48:36 | 甲州街道
10月14・15日
 
甲州街道を歩く13回 石和から韮崎まで
1泊2日です
 
7:30分 新宿駅集合です
7時には新宿駅に着いていなくては
なりません
新幹線使いませんのでね
最寄りの駅を5:30の電車に乗らなくちゃ
間に合わないのよ
 
新宿駅をバスで出発
高速道路を2時間ほど走り
1日目のスタート地点に着きました
なんだか歩き始める前に
疲れてしまいました
 
10:42 石和八幡宮
武田家の氏神
1582年織田軍に焼かれましたが
翌年徳川家康によって再建されてます
ここから250mほど先までが石和宿
 
 
10:50 笛吹市から甲府市に入りました

 
街道には丸い道祖神が・・・
山梨の道祖神は丸いのが特徴のようです

 
1石六地蔵
1つの石に6体のお地蔵さんが彫ってあります

 
三差路交差点
青梅街道と合流

 
11:40 山崎刑場跡
300年前に
切り捨て場2か所
首洗い井戸4か所
骨捨て井戸1か所があったと伝えられている
明治5年の処刑を最後に今は跡形もなく
供養塔のみ
甲府城下の入り口にあたり
「南無妙法蓮華経」と刻まれている
 

 
街道沿いに山梨学園大学ありました
箱根駅伝の常連校よね

 
12:00 酒折宮
祭神は日本武尊
古事記・日本書記によると
日本武尊が東征の帰りに立ちより
老人と歌問答を交わした伝説があり
連歌発祥の地とされている
最近の朝ドラ「舞い上がれ」で和歌の  
やり取りの連歌って見た気がします
 
 
石川家住宅
江戸時代から金物屋・まゆ問屋などを営んでいた旧家

 
12:50 天尊躰寺
「目に青葉 やまほととぎす 初鰹」を歌った
山口素堂の墓がある

 
街道沿いに印伝の店舗
甲府で400年以上にわたって作られている
伝統工芸品
鹿革に漆で模様をつけた工芸品です
 
バックとか財布とか小物入れが
あるのよね
でもすごくお高いのです
私は小さなバッグを1個持ってます
自分で買ったのではありません
先輩からいただきました

 
13:10 ちょっと遅めのお昼ご飯

 
食後に
お好きなアイスをどうぞ・・・って
山梨の有名なあのケーキ屋さんのアイスです
ただし1個だけよ
ものおじしない昔のお嬢さん方は
1個って言っておかないと
何個でも食べちゃうからね



甲府柳町宿
本陣1軒 
脇本陣1軒
旅籠 21軒
今の甲府市街は信玄の父が石和から移って
躑躅ヶ崎館に居館を構えたのが始まり
 
 
14:10 舞鶴城公園
自然丘陵の城跡が舞鶴城公園となっている
 
 
甲府城跡
武田氏滅亡後、甲斐国は織田信長の領地となり
本能寺の変後は徳川家康の支配下となり
家康の命で築城されました
 
 
街道歩き始めてから
「街道歩き友」がたくさんできました
還暦過ぎてから新しい友ができるって
すごいと思います
毎回、今回はどなたと会えるかなぁ~~って
楽しみです
 
甲府城百名城の1つだった
100名城の本持ってこなかった
残念・・・
また判子をもらいに来なくちゃ

 
15:40 武田神社
 東西280m南北190mの土塁に囲まれた武田氏の本拠
躑躅が崎館跡
信玄の父が石和から居を移し
以後信玄・勝頼と60年間武田氏の住居と政庁を兼ねた
本拠地・・・
 

 
大河ドラマで
阿部寛、信玄が
「この地に米と塩があったならもっと強くなれたのに・・・」
とか、言ってたよね
この館でそんなこと言ってたのよね
カッコよかったね阿部寛,信玄・・・
 
 
 
神社の前に信玄ミュージアムってのがありました
特別展示は有料なのですが
常設展示は無料だったので
さらっと見てきました
 
松潤の家康~~
最初は全くピント来ませんでしたが
最近、なじんできました
 
岡田准一の信長はカッコよかったねぇ~~
家康の耳舐めた時は気持ち悪かったけどね・・・
 
秀吉役のムロツヨシも最後の死ぬシーンは
迫力あったね
 
信玄役の阿部寛はもちろんカッコよかった
大きな体にあの重たそうな衣装がさらに
大きく見えて迫力がありました
 
ミュージアムでどうする家康の皆さんと
パチリ
私・・・ミーハーなんでこういった
写真は好きです笑笑

 
16:20 甲州善行寺
なになに、善行寺って長野にもありますよ
甲州にもあるの???
信玄が川中島の合戦で善行寺が戦火にさらされるのを
恐れて、本尊以下、諸仏、寺宝をこの地に移し
供養をしていたそうです
武田氏滅亡後は岐阜・尾張・京都・浜松などの寺を50年めぐって
信濃善光寺に戻ったそうです
 
ふおえぇ~~
そうだったんだぁ~~
 
信濃善光寺の御本尊様が
そんな旅をしていたなんて
知らなんだわぁ~~
 
次郎嫁は長野県人なんで
聞いてみよ
知らなかったら
「長野善行寺のご本尊様って、疎開の旅に50年以上もでていたのよぉ~~」って
鼻高で語ってあげよう~~っと
 
 
甲斐善光寺の今のご本尊は
信濃善光寺の前立仏の善光寺如来だって
ここの御開帳も信濃善光寺と同じ7年に1度だって



甲州街道を歩く13回
石和から韮崎までの1日目はここまで


バスに乗ってホテルに向かいました
 

甲州街道12回 黒野田~石和 2日目

2023-10-24 18:50:41 | 甲州街道

甲州街道を歩く12回

黒野田~石和 2日目

10月21日 

この日も秋晴れ街道歩き日和でした

柏尾橋

1863年 近藤勇ら新選組を中心とする隊が

板垣退助率いる西軍との間で戦闘が行われた場所

大砲の打ち合いになったが近藤勇は退去し江戸に逃げ帰っている 

なんだかかわいい感じの近藤勇像です

8:30 大善寺 

創建は奈良時代

鎌倉以降は代々将軍や武田氏の祈願所

1582年 岩殿城を目指す勝頼一行がこの寺に

泊まり武田家再興を祈願するために

薬師堂に1泊した記録があるそうです 

山門



大善寺 本堂 (薬師堂)
薬師三尊像を安置している
薬師如来像は5年に1度御開帳のみ
そのお姿を見ることができるそうです
ここの薬師如来像は手に葡萄を持っているそうです
建物は関東周辺で最も古いそうです

 
勝沼甲州葡萄の発祥の寺で
中国から運ばれてきた葡萄の種を薬草として
植えたことが始まりで
この地に伝わったそうで
ぶどう寺とも呼ばれている

 
寺の展望台から
甲府盆地を眺めることができました

 
寺では今でも葡萄を育てており
ワインやジュースをいただくことができます
 


縦に切るとハート型に見える
マイハートという品種だそう



講師の先生がこの寺のぶどうジュースお勧めでしたので
いただいてみました
1杯300円
 
葡萄発祥の地のジュース
美味い・・・気がした
 
講師の先生葡萄付きで喜んでいました
これまではジュースのみで
ぶどう付いてなかったって言ってました
 



この寺で収穫したブドウで造られたワインが
売られていましたので、買いました
一升瓶送ってもらいました



勝沼宿

本陣 1軒

脇本陣2

軒旅籠 23軒

甲府盆地の東に位置し江戸からの玄関口として賑わいを見せていた

勝沼氏館跡

信玄の叔父の館

勝沼氏は武田軍団のご親類衆として

活躍していましたが

信玄によって滅ぼされたようです

親戚と言えども不穏な動きがあったら潰されるのよね

戦国時代は・・・      


10:00 槍掛け松
本陣跡の前にある松
大名一行が泊まった時
この枝に槍を立てかけておいたところ
 


旧田中銀行社屋
国登録有形文化財
旧田中銀行の社屋とレンガ造りの土蔵は大正時代の
洋風建築を伝えています
無料で入ることができました
洋風建物ではありますが建てたのは
日本の大工さんだそうです


かつてこの辺りに高札場があったそうです
 

日本最古のぶどうの木
樹齢100年
今も健在です。もう少し早い時期なら
葡萄の実をつけているところが見られたかもね



10:40 諏訪神社

葡萄畑に囲まれた街道を歩きます
葡萄が実っているときに歩いてみたいです
 
 
途中ここでトイレ休憩
山梨県と言ったらこのケーキ屋さんですよね
安くておいしいケーキとアイスがあります

 
山梨市
栗原宿
本陣 1軒
脇本陣 1軒 
旅籠 20軒
宿場の面影を残すものは何も残っていない

 
11:40 大翁寺
栗原氏の館跡

 
11:50 大宮五所神社 
江戸時代は栗原筋55か所の総鎮守
建物は歌舞伎造りで、社殿の前が舞台となり
甲府に行く前の役者たちはここで芝居をして
評判を確かめていたそうです
 
 
12:10 お昼ご飯
ぶどう農園見晴らし園
蕎麦がおいしかったです
歩き疲れた身体はちょっと塩分が欲しくなるのかも
汁まで美味かった・・・

 
見晴らし園というだけあって
とても見晴らしの良い所での昼食でした
 
そんで、葡萄のお買い物・・・
もう10月ですから
葡萄の時期も終わりですかね
シャインマスカットのセール品が並んでましたわ
 
セール品といえども
1房3500円
高いじゃろ・・・
 
大善寺で買った1升瓶のワイン
3300円だったわ
葡萄1房よりワイン1升を選んでしまう
飲んべいかかあ天下ですわ
お腹もいっぱいになり
再び街道を歩きます
笛吹市に入りました
 
 
笛吹川の土手を西に向かって歩きます
この甲州街道を歩く12回は9月9日に予約を
していたのですが
富士山登山直後にて
とても街道歩きはできないと
キャンセルしてました
 
峠越えにこの西日に向かってひたすら歩く
この12回は9月に歩くには
暑くて厳しかったと思います
10月で良かったです
 

 
14:10 笛吹川にかかる笛吹橋を渡ります
 


14:25 笛吹権三郎の像
笛の上手な少年の母親が洪水で流され
亡くなりました
 
少年は笛を吹きながら母を探しましたが
力尽き
自分も川に落ちて亡くなったそうです
 
その後この川の流れる音が
少年の吹く笛のように聞こえたことから
誰とはなしに笛吹川というようになったそうです

うん うん
お話を聞くと
川の名前も忘れんわ


 
15:10 遠妙寺
山門をくぐると正面に仁王門
本堂へと続く・・・
「鵜飼」という能の演目で有名な寺だって
能は遥か昔、1度観たことがありますが
正直、よくわからなくて、つまんなぁ~~かった
 
 
八田家書院
八田家は武田家の蔵前奉行をしていて
のちに徳川家に属していたそうです
屋敷は1601年の建築だそうで
庭がとても綺麗でした
 
 


石和宿
 
本陣 1軒
脇本陣 2軒 
旅籠 18軒
 
甲斐の国の文化や経済の重要な拠点として栄えた
鎌倉街道の起点でもあり甲州街道が東西に
通ていて石和宿は賑わっていました
 
15:15 石和本陣跡
 
説明板と石評の前くらい
フェンスを外せ・・・つうの
私有地なんかね???
 
まぁね~~
何の表示もない本陣とかもあるし
石評があるだけでいいのかぁ~~
私みたいにブログとか書いてる人
多いからねフェンスでおおわれた石和宿本陣跡は
たくさんの画像が残ってしまいますわ
 
ここから少し歩き甲運橋を渡ったところまでが石和宿で
ここから甲府市に入ります
 
今回の甲州街道を歩く12回
黒野田~石和までの1泊2日の街道歩きは終了です
 

 
15:30 お楽しみワイナリーでの
お買い物タイム・・・
ワインの試飲もありましたが
最寄駅から車の運転がありますので
試飲は我慢です
皆さんが美味しいと言っていた
新種の白ワインを買ってきました
 



16:10 バスに乗車です
秋晴れの行楽日和の日曜日の夕方
中央道渋滞は覚悟のうえです
 
途中談合坂サービスエリア
小川サービスエリアに寄り
新宿駅まで3時間30分かかり
 
19:45 新宿駅に着きました
さてここからまた群馬までの列車の旅が
始まります
 
3時間30分、バスの中で爆睡してきましたので
体力回復してます
 
20:24 高崎線乗車です。
ちょっと贅沢してグリーン車に乗りました
グリーン券800円なんで満員電車に乗らなくてよいので楽ちんです
 
22:00  最寄駅着 ここから車で自宅まで・・・
 
22:30 自宅着
最近父ちゃんが学習して風呂を沸かしておいてくれるようになりました
ありがたや・・・
 
 
 
 
 
 
 

 


甲州街道12回 黒野田〜石和まで 1日目

2023-10-23 17:08:37 | 甲州街道

10月20・21日

1泊2日で甲州街道を歩く12回

下黒田~石和までを歩いてきました

20日、7:30に新宿駅集合

バスに乗って前回歩き終えた黒野田宿まで向かいます

秋晴れの気持ちの良い日です

中央高速道で激混み渋滞に巻き込まれ

スタート地点に到着がすでに10:30です

さてこの時間から甲州街道最大の難所 

 笹子峠を越えます

黒野田宿と駒飼宿の間にそびえる標高1096mのこの峠は

上り下りで二里半(約10km)の険しい坂道が 続き、甲州街道一番の難所と言われていました。

江戸時代は、大月や上野原などの郡内(ぐんない)地方と甲府盆地を中心とする国中(くになか)地方の境目であり、現在も大月市と甲州市の境にあたります。

笹子峠入口
 
 
少し進むと
明治天皇が明治13年に巡幸した際に、
笹子峠で休憩したことを示す「明治天皇御野立所跡」という石碑がありました
ここで一服
お茶をしたんですね
輿に乗っての峠越えでしょうが
輿に乗っているのも
大変だったよねぇ~~
 


ここら辺には「三軒茶屋」というお茶屋があったようです
今は、わずかに石の土台が残っていました



矢立の杉
笹子峠の途中にある、樹齢1000年とも言われる巨木です。
樹高約28m、根廻り14.8mで、1960(昭和35)年に
山梨県の天然記念物に指定されています。
 
戦国時代、笹子峠を通って合戦に向かう武士たちが
必勝を祈願してこの杉に矢を射たことが、名前の由来とされています。
 
この杉すごいわよ
木の根元付近は空洞よ
たくさんの武将達に矢を放たれ
幹の根元は空洞なのに
杉の葉は青々と茂っています
すごいパワーです
 
矢立の杉へ向かう遊歩道含め、笹子峠を越えて山梨県中西部の駒飼宿(甲州市)に向かう道のりは
『甲州街道―笹子峠越』として「歴史の道百選」に選定されています
 
 

 
ここですでに12:00
矢立の杉を見ながら過ごすことのできる
デッキやベンチが整備されていましたので
みなさんここで持参の軽食をとりました
 
私は高速道路サービスエリアで休憩時求めた
パンを2個ペロリです
昼食会場到着予定15時っていうんだもの
食べなくちゃ峠を越えられんわ
 
 
 
馬の背
道幅がとても狭いです



自分の足元と前を歩く人の
おしりを見ながらひたすら進みます
 


馬の背とはよく言ったものです
ほんと道幅狭い・・・
昔の旅人も大変だったわよね
 


笹子隧道
 
甲州街道で一番の難所と言われた笹子峠を越えるため、 
1938(昭和13)年に峠の真下に作られた長さ239mのトンネルです。
1958(昭和33)年に新笹子トンネルが開通するまでの間、
東京への幹線道路として、山梨の経済発展と交通の近代化に貢献しました。
鉄筋コンクリート造りで、大月市側には入口両脇に柱形の装飾が2本並ぶなど西洋建築風
 


 
ここで講師の先生が
峠越えが無理と
思う方はこのトンネルを通過して
甲州側で待っていてくださいと
案内がありました
 
このトンネルを超えれば数分で
峠を越えることができると
思います
トンネルの先の出口の光がみえてるもんね

 
笹子峠
郡内(大月)・国中(甲州)の境で街道最大の難所
 
13:00
この日の参加者20名です
皆さん、峠を登ってきました
皆さん、旧街道を歩きたくて参加の皆さんですから
数分でトンネル通過を選ぶ方は
いないわけです

 
途中道標などもあり

 
峠の頂上に着きました
ここまでが大月市
ここからは甲州市になります
 

 
途中「甘酒茶屋跡」などもありました
昔の旅人もちょっと一服って感じですかね

 
峠を下ります


 
峠を越えると
甲州市側のトンネルの出口が見えます                                                                                  
甲州市側はやや簡素な造りになっています。
1997(平成9)年に国の登録有形文化財に登録されています。
大月側からおよそ20分くらいで来ることができました
トンネル抜けたら数分ですよね



峠は無事超えることができましたが
街道歩きは続くわけで
 
駒飼宿を目指します
 
 
この日は気持ちの良い秋晴れ
歩くの楽しです
笹子峠を越えて山梨県中西部の駒飼宿(甲州市)に向かう道のりは
『甲州街道―笹子峠越』として「歴史の道百選」
に選定されているそうです
 

 
山道には、
こんな橋のない沢を超えなくては
ならないこともあります
 
先頭を歩くは講師の先生・・・
2番手を歩くは
山岳ガイドの方です
 
峠越えは
旅行会社のくくりでは
ハイキングのくくりではなく
登山初級Aのくくりになるようで
登山ガイドさんが付いてくれます
 
ストックの使い方
呼吸の仕方
衣類の調節の仕方
夢中で歩く私たちに
後ろの景色見てください
綺麗ですよ・・・
なんて声もかけてくれます

 
時折こんな危なっかしい木の橋などもあり
バランスをとり
落ちないように渡るのもまた楽し・・・です

 
今度のお茶屋さんは
桃ノ木茶屋
甲州ですからね、昔はここに桃ノ木でも
あったんですかね

 
天狗橋
やっとアスファルトの道に出てきたぁ~~
ここから駒飼宿に入るようです



駒飼宿
本陣 1軒
脇本陣 1軒
旅籠 6軒
 
笹子峠を越えたふもとの宿場
江戸方面から見て黒野田宿の次の宿場にあたり、
甲州街道最大の難所といわれた笹子峠を越えたふもとにあります。
 
この宿には、甲斐国の御牧(御料牧場)があったと言われており、
宿場の名前が付いたようです
 
北側にある鶴瀬宿とは、複数の宿で1つの宿の役割を果たす「合宿(あいしゅく)」で、 
駒飼宿は21~晦日までを担当していました。
 
 
駒飼本陣跡
 
 
鶴瀬関所跡
 
甲州十二関の一つである鶴瀬の番所
主に物資の流通の警戒と
「入り鉄砲と出女」を取り締まったところ
今は評柱のみ
 
鶴瀬宿
 
本陣 1軒
脇本陣 2軒
旅籠 4軒
 
 
江戸方面から見て駒飼宿の次の宿場にあたります。
南側の駒飼宿とは、複数の宿が一宿の役目を果たす合宿(あいしゅく)を行っており、
月の1日から20日までは鶴瀬宿、21日から晦日までは駒飼宿が
継立の役割を担ったといわれています。
 
 
景徳院
 


甲斐の国主として
500年の及ぶ武田一族が滅亡した場所
武田勝頼・北条夫人・信勝以下家臣らの冥福を
祈るために家康が建立した寺
 


 
寺は明治の火災で大部分が焼失し
当時のままの建物は山門のみ
 
 


 
3人が自刀した場所には生害石が置かれていました
 
 


3人のお墓
 
勝頼32歳 
北条夫人19歳
信勝16歳
 
この3人が自刀した4か月後に
本能寺の変で信長は亡くなってるんだってね
もし、あと4か月生き延びていたら
武田一族のあり方も違っていたかもだよね
 
 


姫が淵
北条夫人の侍女たちが身を投げた田川
 
北条夫人って
14歳で武田家に嫁いで来たんだよね
勝頼は逃げきれないと思ったときに
北条に戻ってもいいって
言ったらしいよ
なのに、戻らなかったんだね
 
19歳よ~~
夫は32歳・・・
うぅぅ~~
戦国時代の奥さんは、嫁いだ夫とともに
生涯を終えるのね
 
私だったらさっさと
実家に帰るわ
19歳ならまだまだ次の人生
楽しめたろうにね
 
そんで田川に身を投げた
北条夫人の侍女たちはもっと・もっと
気の毒ね・・・
今の時代に生きることができて
私、しあわせだわ・・・
 

 
この日の予定コースはここで
バスに乗ってホテルに向かうために
バスミートの場所まで歩きました

 
日が暮れてきました
明るいうちにバスに乗りたい・・・

 
17:15
ぶどう畑と石和の町が見えてきました
甲州街道最大の難所
笹子峠を越え
武田一族の滅亡の地を歩き
この日の街道歩きを終えました



しあわせな現代を生きる私は
この日の夕食に
ワインをいただきました
美味しいワインでした
 
 

笹子峠

2023-10-21 22:59:00 | 甲州街道
甲州街道!
最大の難所!
笹子峠を越えて来ました



笹子峠の中でも最大級の難所
馬の背という所です



怖い!怖い!
落ちたら大変!




わたいも、重たい尻を
どっこいしょです。

本日の街道歩きは、
10:30〜17:00まで



山の日暮は早く
バスに乗り込んだ時には、
真っ暗でした。
勝沼市の夜景が綺麗でした。




夕飯時には、
ワイン🍷を飲みましたわ!
ここは甲府市
ぶどう🍇の里ですから
美味かったぁ〜

疲れました。
旅の詳細はまた、ゆっくりと
資料を見ながら
コピペブログにします

明日は石和宿に向かいます。

はよ!
寝まひょ!

疲れ過ぎてても寝つきが
悪いんよねぇ〜



甲州街道 第11回 上花咲から黒野田

2023-07-11 18:37:48 | 甲州街道
7月9日
甲州街道歩いてきました
上花咲宿・下初狩宿・中初狩宿・
白野宿・阿弥陀海道宿・黒野田宿
1日で6か所の宿場を歩きました
 
歩行約12キロ 5時間です
新宿駅を8時にバスで出発
中央高速渋滞なく順調に進み
10時から街道歩き開始できました
前回、歩き終えた上花咲宿を出て
 
10:25 下初狩宿に向かいます
 
 
10:40 下初狩宿
 
本陣 2軒
脇本陣2軒
旅籠 25軒
問屋場1軒 
 
聖護院道興の歌碑
1806年建立
「今はとて かすみをわけて かえるさに 
おぼつかなしや はつかりの里」
意味わからんけど初狩の里って
書いてるのでここら辺を読んだ歌ってことで・・・
 
  

10:50 脇本陣跡
山本周五郎生誕の地の碑があります
山本さんてどなたですか
樅ノ木は残った・赤ひげ診療譚など
歴史小説や時代小説を書いた人だって・・・
赤ひげ診療所とかテレビで見たことあります
 
 
 
10:55 初狩駅
街道歩きでは
駅とかコンビニでトイレをお借りしてます



11:10 宮川橋の一目富士
この辺りは谷間で山が近いため
富士はほとんど見えないが
ここからは富士が見えると旅人に
評判だったそうです
この日は曇り空
富士山を見ることはできず
想像するにこんな感じかな・・・
 
 
旧医院
国登録の有形文化財
明治時代の建物・・・って
言ってたかな・・・
ちと、忘れました

 
11:20 芭蕉句碑
山賊(やまがつ)のおとがいとずる葎(むぐら)かな
甲斐の山は夏草が生い茂る山道で
口を閉じて歩かないと夏草の穂が口の中に
入ってしまうよ・・・って句だそうです
深川の芭蕉庵が焼失し半年ほど
初狩に住む姉を頼って
住んでいたそうです
 
私は夏草の生い茂る山には住んで
おりませんが
ず~~っとぺらぺらとしゃべっているので
時々虫が口の中に入ってきます
母ちゃんのおとがいとずる夏の虫ってか笑笑


中初狩宿
本陣 1軒
脇本陣1軒
旅籠 25軒
下初狩宿と合宿で問屋業務は半月づつ分けて
行っていた
 
11:30 小林本陣跡
明治天皇はここ旧本陣で
ご休息をとったそうです

 
11:40 ここら辺で雨、降ってきました
皆さん、雨具を着用・・・
私、バス降りた時、めちゃいい天気だったので
バスの中に雨具、置いてきちゃった
傘は持っていたので
傘さしました
街道歩きは、傘の使用禁止です
大勢で歩くので
傘さし歩きは危険ですから・・・
やむおえず、傘をさすときは
列の1番最後を歩くお約束になっております
 
 

 
そんで、皆さん雨具をつけて
街道を少し離れて、こんな山道を向かった先は

 
11:50 小山田信茂首塚です
 

いやいや、まさに大河ドラマで甲斐武田勝頼の最後が
放送されてましたね
 
勝頼が最後に逃げ込もうとした
岩殿城主小山田信茂が
勝頼を裏切り信長に寝返ったために
勝頼は自害することに
なったようです
 
そんでね
小山田信茂は信長に褒めて
もらえると思ったら
 
信長さんは
君主を裏切るとは
なんたることかぁ~~
って、小山田さん斬首されちゃったのよ
 
家臣の方々が
ここに首を持ち帰って
葬ったそうです
 
小山田さんのこと
ドラマでは描かれてなかったけど
勝頼の最後の放送を見て
お参りした
この首塚を思いました

 
笹子川にかかる船石橋を渡ります

 
12:05 船石碑銘
親鸞聖人が船形の石に座って
説法を行ったところ

 
雨は上がりましたが
蒸し暑い中を歩きます
旧街道は中央自動車道が作られたため
残されておらず
こんな舗装された今どきの道を歩いております

 
滝子川沿いを歩くと

 
12:30 白野の一里塚跡
江戸日本橋より26里目
傍らにかわいらしい男女の道祖神がありました


 
12:32 白野宿
本陣1軒
脇本陣 1軒 
旅篭 4軒
白野宿・阿弥陀海道宿・黒野田宿を1宿とし
3宿で問屋業務を交代で行っていた



古い常夜灯があり
左江戸道との表記ありました
この部分は江戸時代からの物とのこと
 



13:00 お昼ご飯会場までバス移動
やっとお昼ご飯です
 
8時新宿駅集合となると
私は、最寄りの駅を
5時30分に乗らなくてはいけません
かなり早起きをしなくてはならないのです
 
午前中バスを降りてからおよそ3時間
歩きましたが
お腹ペコペコです
かつ定食おいしかったです
 
午後の街道歩きの力が湧きました
 


14:00 子神社(ねじんじゃ)
白野村の鎮守



14:15 鬼の立石
桃太郎伝説の中で、
鬼が投げつけた立石が中央本線脇に突き刺さっていました。



14:30 親鸞上人念仏供養塚
親鸞が毒蛇を成仏させて話が
残っています
 


この村に美人だけれども、
性格の悪い娘がいて
ついには毒蛇となり沼に住み着き
夜な夜な現れては、
里人を悩ませたそうです
 
そこで、親鸞聖人が南無阿弥陀仏を石に書き
沼に投げ込み
毒蛇になった娘を
成仏させたと言う
お話が残っているそうです
 
この石碑の下に
南無阿弥陀仏と書いた石も埋められいると
講師の先生は言ってました。
 
美人でも性格悪くちゃねー
ブスでも、心根の優しい娘がいいわ笑笑
 


 稲村神社
境内には、1つの根から3番の幹か
そびえる大杉がありました

しばらく歩くと

 
娘が蛇になり住みついたという
葦の池の碑がありました。
今は、草だらけの低地



笹子川を渡り
 
阿弥陀海道宿に入ります
 
本陣 1軒
脇本陣 1軒
旅籠 4軒
 
宿の南に阿弥陀堂があったため
宿の名前が阿弥陀海道となったそうです

 
15:00 阿弥陀堂跡
宿場の名前の由来ともなった阿弥陀堂
奈良時代、笹子峠にいる悪霊を鎮めようと
名僧行基がこの地に堂を建てたとのこと
今は石碑が残るのみ



 笹一酒造
大正8年創業
銘酒「笹一」の蔵元
 


この蔵元、
前回の街道歩きでも、立ち寄りました。
前回は酒粕入りのソフトクリームを
食べましたが、
今回は、酒粕入りかき氷にしてみました。
蒸し暑い中歩いて来ましたので
ふんわりとお酒のかおる
かき氷が体に沁みました。
うまし・うまし
 


前回父ちゃんにお土産で買って行った
生酒!
今回も買いました。
一本だと、父ちゃんに飲まれてしまうので
私の分も確保です。
 


16:00 笠懸地蔵
大飢饉や農作物不作による餓死など
領民に襲う苦しみを心願して1855年に創建されたもの
なんか古いお地蔵さんでした
雨ざらしがかわいそうな感じ・・・
 
 
黒野田宿
本陣 1軒
脇本陣 1軒
旅籠 14軒
笹子峠の麓の宿場で参勤交代の殿様たちも
この宿場に泊まることが多かった
 
天野本陣跡
明治天皇も宿泊されています

 
旧黒野田橋を渡ります
 
 
黒野田の一里塚
江戸日本橋より25里と表記してありますが
江戸より実質27里目と
街道歩き本には書いてあります

 
この日の街道歩き
ここよりちょっと先まで歩き
終了となりました
 
次回は甲州街道の難所
笹子峠超えになります
そして、次回から
1泊2日の行程になります
 
8月の街道歩きはなく
次回は9月となります
 
体力保持しておかなくては・・・
 
名物 笹子餅
難所笹子峠の茶屋で峠の力餅として
評判だったそうです
 
今は、黒野田宿で買うことが
できました
 



街道の名物
食べつくす目標もあるので
とりあえずの10個・・・
 
小ぶりの餅だったので
あっという間に
食べつくしました
 
美味かった・・・