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雷とからっ風 義理人情! 上州かあちゃんの毎日

赤城おろしの冷たいからっ風にも、日本一暑い夏の日にもめげず
頑張る上州かあちゃんの日記です

甲州街道 第10回 鳥沢から上花咲

2023-06-21 21:20:55 | 甲州街道

6月18日

甲州街道 10回
上鳥沢から上花咲を歩いて来ました
気温31度ありましたよ
 
上鳥沢宿
本陣 1軒
脇本陣 2軒
旅籠 53軒
 
かつては、小西村と呼ばれていた。
下鳥沢宿とはわずか550メートルの距離であった
 
10:15 本陣跡
今は明治天皇御小休所の石碑が立っている
 


11:10 猿橋
 
日本三奇橋
橋脚を使わず両側から張り出した
四層のはね木で支えられている
珍しい構造の橋
 
周囲の自然と見事に調和した美しい景観は、国の名称に指定されています
 
ちなみに、残る三奇橋
山口県岩国市の錦帯橋
長野県の木曽の桟橋が
挙げられているようです
 

 
桂川にかけられています
 


この橋は、江戸時代からのものでは
ないそうです
 
橋の上からは
八ツ沢発電所施設
第一号水路橋
明治45年に送電を開始した東京電灯(現東京電力)の発電所に
送水するために作られた水路橋
 


猿橋の広場から少し
上がると国道20号線に出ます
ここからが猿橋宿
 
猿橋宿
本陣 1軒
脇本陣 1軒
旅籠 10軒
 
猿橋宿は甲斐武田家防衛戦の
場所でもあった
 
12:00 駒橋発電所
東京電灯(現東京電力)初の
水力発電所
日本最初の遠距離送電を行った水力発電所
 
ここから、西早稲田の変電所まで
送電されていたそうです
 
今も昔も
東京で使う電気を遠く離れた地方で
作られていたのですね
 


送水管を過ぎ、第5甲州街道踏切を渡ると
まもなく駒橋宿に入ります
 
駒橋宿
本陣・脇本陣はなく
旅籠4軒 
問屋場 1軒
 
 
富士山がよく見える
岩肌の見せる岩殿山が見えます
 

三島神社 
 
この境内に
4本の大きな「大槻」おおつき
がありその名前から
大月宿の地名が生まれてと言われているそうです



13:00 ちょっと遅めのお昼ご飯

 
大月宿
本陣 1軒
脇本陣 2軒 
旅籠 1軒
 
江戸時代富士街道と呼ばれた
道は大月宿を起点としていた
 
富士道との追分
 
右甲州街道・左富士山道と書かれています

 
下花咲宿・上花咲宿
両宿は合わせ宿で、月の前半は上の井上家
後半は、下の星野家がつとめていたそうです
 
14:40 下花咲宿本陣 星野家



星野家は江戸時代
本陣・庄屋・問屋場などを務め
農業経営も手広く営んでいた旧家
 
コロナで数年間
内部見学はできなかったようですが
この日は中の見学もでき
当主さんから説明もしていただけました
 
現在はこの敷地内で納豆を製造している
ようです
ネットで調べてみたら
大月の富士納豆で
納豆のネット販売もしてました
 
江戸時代の本陣は今
納豆を作ってます
オンラインショップもあるので
食べてみようかな・・・
 
 


ここまででこの日の街道歩きは終了し
この日の寄り道は
山梨県大月市の笹一酒造
試飲させていただき
父ちゃんにお土産で2合瓶のお酒を
買ってきました
 
そんで、自社製品の酒粕をふんだんに
使ったノンアルコールの
「笹一吟醸ソフトクリーム」
ほんのりとお酒の香りがする
ソフトクリームでした
味はソフトクリームだった
暑い中1日中歩いていたので
冷たいアイスクリームおいしかったぁ~~



ここから、新宿駅までバスで帰る予定ですが
私は、ここでツアーを離団して
中央線で帰ってきました
 
高速道路16キロ渋滞・・・という
表示がされていたので
電車の方が早いと思ったのです
 
結果的に良い決断でした
この日ツアーバスで新宿に向かった方々
新宿まで4時間かかったそうです
 
私、バスに乗ってたら
家に着くの12時だったわ
 
電車で帰って来たので
21時30分には家に着きました
 
甲州街道歩き中央高速道路が
毎回渋滞するのだから
新宿集合でなくて現地集合にすればいいのに・・・と
思います
 
ツアー代金払っているのに
毎回、帰りは離団して
自腹で電車賃はらって帰ってくるの
もったいなくない・・・
かといって、4時間もかけてバスで新宿まで
帰ってくるのは嫌だし・・・
 
次回は7月に甲州街道歩きますが
次回も帰りは離団だなぁ~~
 
 
 
 


 
 
 

甲州街道 9回 鶴川〜上鳥沢

2023-06-17 22:16:42 | 甲州街道

甲州街道を歩く 第9回

鶴川から上鳥沢までを歩く

中山道、完歩して街道ロスに
陥っていたわけではありません
 
甲州街道・日光街道
歩いてます
 
なかなかブログを書くことができず
街道歩き、ブログが溜まっています
 
6月10日 晴れ
8時に新宿駅をバスで出発し
第8回の歩き、終わり鶴川橋からスタートです
 
9:50
 


鶴川宿
本陣 1軒
脇本陣 2件
旅籠 8件
甲州街道で、唯一人足による川渡し
の場所があった宿

 
10:06
鶴川宿 加藤氏宅は問屋

 
今も隣の宿までの
賃金や駄賃を定めた高札
4枚を保管しています
家の中も見せてくれました


中央自動車道の横を歩きます



10:45
大くぬぎの一里塚
日本橋より、19里

 
11:20
長峰砦跡の碑
 
戦国時代の加藤丹後守の出城跡
信玄の家臣として甲斐の東口を守っていました。



11:30
野田尻宿に入りました



本陣 1軒
脇本陣 1軒
旅籠 9件
 
 
明治19年の大火で宿のほとんどが焼けてしまっている
 
この日のおひるごはん!
可もなく不可もなく・・・
街道歩きごはんひどいときは
ひどいんです泣・・・
 



13:20
西光寺

 
中央自動車道の建設に伴って
現在地に移転したそう
 
昔の街道も
現代の開発に伴い
なくなってしまったり
移転していたり、
 
なかなか昔の姿のまま残すのは
難しそうです



13:30
お玉ヶ井の碑
村に住んでいた美しいお玉の正体は
竜であり
長峰池の主、竜神と結ばれて
水不足に悩む、野田尻の人々のため
水を湧き出させたと言う
お話が伝わっているそうです
 


なんだか、
街道らしい道を歩きます
日差しが強かったので
こんな木々の中を歩くのは
ありがたいです、
がぁ〜
何気に上り坂!

 
荻野の一里塚跡
日本橋から、20番目の一里塚
 


なかなか
厳しい山道です。



14:10
座頭転ばし
道が曲がったのも知らずに
そのまま進んで
谷底に転がり落ちてしまったので
座頭転がしと言われているそうです。



木曽路を思わせるような
山の中です。
急な上り坂ではないのですが
ダラダラと登っています



犬目宿
 
本陣 1軒
旅籠 15軒
 
昭和45年の大火で宿の半分が焼失
 
14:50
宝勝寺
 


北斎の富嶽三十六景の甲州犬目峠
ここら辺から望んだ富士山を
描いているそうです。
 
この日は
雲が、多く見る事ができませんでした
 
 
15:15
恋塚の一里塚
 
日本橋から21里
甲州で唯一塚の形が残っている
 
恋塚というのは
日本武尊にまつわる地名
昔、東国征伐の帰り
海神のいけにえとして 
海に身を投げた
橘姫を思い偲んだことに
由来するそうです
恋塚って!
なんだか素敵なネーミングだわぁ〜



石畳の道
 
50メートルにわたって
昔のまま残っています
 
昔のまま残る街道を歩くのは
わくわくします
 


下鳥沢宿
本陣  1軒
脇本陣 2軒
旅籠 11軒
 
下鳥宿と上鳥宿は、間宿
半月ずつ交代で宿を行っていたそうです
 
この宿も明治39年の大火で
焼失しています
 
山間のこう言った宿場は
火事に弱かったのねぇ〜
 
大月市に入りました
 


なんだか
この回の街道歩きは
山道をずぅ〜っと
歩いてました。
 
今回の講師の時の参加者は少ないです
なので、他の予約日からこの日に変更してきましたが
今回の参加者多かったです
 
少ない参加者の方が歩きやすいんですよねぇ~~
 
明日は
この続きの甲州街道歩きです
第10回
下鳥沢から大月宿までを歩きます
 
暑いんだよねぇ~~
 
 
 
 

甲州街道8回 小原〜鶴川

2023-05-08 07:25:32 | 甲州街道

甲州街道 8回

4月16日に歩きました
この回より現地集合現地解散から
集合場所が新宿駅になりました
 
8:00 新宿駅集合
バスにて、前回歩き終えた、
相模湖駅に向かいます
 
9:10  相模湖駅スタート
 


9:30 与瀬神社
 
甲州街道を旅する旅人は必ず参拝したと言われている
111段もある。階段を上った所に神社がありました。
この階段きつかったわぁ~
江戸時代からこの階段あったんだろうか
街道を何日も歩いているだけで
疲れるだろうに
こんな高いところにある神社にお参りしたのねぇ~~
 


与瀬神社で参拝を終えて
階段を下ってくると
相模湖がきれいに見えました
 
 
与瀬神社を出て、街道を進み
中央自動車道の下をくぐりぬけます

 
なんとなく下り坂が続きます



高札場後を通過



かわいいお地蔵さんが並んでいます
街道脇のこういうお地蔵さんを見ると
ほっこりしますねぇ~~
昔の旅人も癒されていたはず・・・



吉野宿入りました
 
吉野宿
 
本陣 1軒
脇本陣 1軒
旅籠  3件
 
本陣は明治29年の大火で消失してしまったが
江戸時代には珍しい5階建てだったようです
模型で再現されているものを見ました



この先、関野宿までは
国道20号線を歩きます
吉野橋の東には、念仏碑が並んでいました



吉野橋を渡って
2.5キロ、JR藤野駅手前に一里塚があったようです。


11:40 JR藤野駅前でお昼ご飯
山の中の海鮮丼
期待してなかったけどおいしかった



お昼ご飯も食べて、燃料チャージ
午後の部の歩きが始まりました。
 


甲斐の国境を控えているせいか
こんな山道を歩きます



関野宿
本陣 1軒
脇本陣 1軒
旅籠  3軒
 
相模の国、最後の宿場
宿はずれの境川を越えると甲斐の国です
 
12:40 関野本陣跡



昔は相模川にかかる相模と甲州の境の
酒井沢橋を渡っていましたが
現在はダムにより通行不能
 
で・・・この橋を渡ります



ここから神奈川県を抜けて
山梨県に入りました。
 
講師の先生
山梨に入りましたので
武田信玄の悪口は言えません
とガイディングレシーバーごしに
いってました笑笑
 
大河ドラマで描かれている武田信玄
阿部寛・・・かっこいいよねぇ~~
 
今、ちょうど大河ドラマで
武田信玄がかっこよく描かれているので
これからの甲斐路を歩くの楽しみです
 
甲斐路では信玄話がたくさん聞けると思います



13:20 諏訪関所跡
甲斐国の東の入り口にあたる重要地点
 
 
上野原宿
本陣 1軒
脇本陣 2軒
旅籠  20件
 
甲州へ入り、最初の宿
 
1554年武田信玄の長女が北条氏に嫁いだ時
武田方は10,000数千
北条方も、5000の兵を
ここ上野原に送り
娘を嫁がせたと伝えられているところだって
 
疱瘡神社



塚場一里塚
疱瘡神社の裏に
江戸より18里の塚場の一里塚がありました
 
 
上野原宿本陣跡
本陣は門だけが残っていました
 
 
上野原名物「酒まんじゅう」
店頭で売られるようになったのは、江戸時代になってから
今でも10件以上の店があるそうです
残念ながら、今回は立ち寄ることができず
名物の酒饅頭を買うことはできませんでした



牛倉神社
 
鎌倉時代、以前からの古社である
 


鶴川の渡し手前で
この日の街道歩きを終えました
 
この日は小さな宿場ばかりでしたが
吉野宿・関野宿・上野原宿と3宿も
歩きました
 
次回、9回、鶴川から鳥沢までは
6月10日に歩きます。
 
甲州街道、全16回
半分まで歩きました
 
ゴールは、2024年1月の予定です
下諏訪ゴール目指して
がんばりまぁ〜す
 
 
 
 
 
 
 

甲州街道 7回 高尾〜小原 駒木野宿・小仏宿・小原宿

2023-04-14 22:34:55 | 甲州街道

半日かかって書いてブログ

消えたってか
消してしまった
読んでいただいた方もいたのに
すみません!
悔しいので
再び書きます。
同じ内容で書けるかな!
 
3月26日 雨 甲州街道、7回 高尾から小原まで歩いて来ました
6回目に続き再び雨です
 
10:00 高尾駅スタート
 


10:40 駒木野の関所跡
戦国時代には小仏峠に関所があったようですが
人里から離れているので
駒木野宿に移されたようです
 
今は、2個の自然石が残るのみ
通行人が吟味を待つ間に手をついて
待っていたそうです



駒木野宿
本陣 1軒 
脇本陣 1軒
旅籠 12軒
小さな宿にもかかわらず問屋場が3軒もありました


10:50 五基の石仏
関所を過ぎると5基の石仏がありました
ここには、高札場があったようです


11:00 蛇滝茶屋
 
軒下に講札が張られた茶屋
蛇滝で滝修行をする人たちが利用した旅籠
 

今でも蛇滝で修業をする人がいるようです



小仏宿
本陣、脇本陣なし
問屋場一軒
旅籠11軒
 
甲州街道武蔵国の最後の宿場
 
12:00 お昼ご飯
この日は、山の中で食堂などがないため
各自弁当を持参です
 
地元の集会場をお借りして
弁当を食べました
 
前日にYouTubeで
このコースを確認しましたが
この集会近くの豆腐屋が
おからドーナッツが有名で
街道を歩く皆さんが
求めていました
 
この日の講師の先生からも
紹介がありましたが
皆さん、買いませんでしたね
 
私は、街道の名物・有名品は
すべて食べようと思っているので
買いました
おからドーナッツなので
太ってしまうという罪悪感まなく
食べられました
味も良かったです
 
 
峠超えの前に
12:50 宝珠寺に寄りました
山里に住む人々の寺
本堂脇に都指定天然記念物のカゴノキが
ありました
 
カゴノキって何・・・
太鼓の胴などに使われるようです
 


13:05 小仏バス折り返しバス停
 
さてさて、トイレを済ませて
峠を越える最終準備です
 

 
レッツゴー・レッツゴー
滑らぬように転ばぬように
慎重に慎重に・・・です

 
小仏峠
標高548メートル
峠の名はここに小さな仏様が祀られていたことに
由来するそうです
 
画像ではもう峠の頂上ですが
大変でしたわ
山の上から川のように水は流れてくるし
山道は足場が最悪でした
 
峠頂上は、見て見て
沼みたいでしょう

ここまでが武蔵国(東京都)
ここからが相模国(神奈川県)

 
明治天皇御小休所跡の碑などがありましたが
陛下はこのような悪天候には来てないよね

 
ここには3軒の茶屋があったそうですが
今は
倒れそうな休憩所だけ
 

 
峠で一休みをして
小原宿に向かいます



登りも大変でしたが
下も大変でしたよ
おひとり
えらい勢いで転んだ方いましたが
幸いけがなどはなかったです
 


やっと舗装の道に出ました
やれやれ

 
頭の上は
中央高速道路???だよね



小原宿

本陣一軒
脇本陣 一軒
問屋一軒
旅籠7軒
 
小原宿は小仏宿から来た人と荷を継いでいた宿です
この宿は一般の旅人のほかに
富士山や身延山に詣でる人たちも多く泊まっていたそうです
 
小原宿本陣
 
公開されていました
母屋は平屋に見えますが

は2階もあり
 
なかは2階もあって
いろいろなものが展示されていました

 
この本陣
16時まで公開されていますが
私たちが着いたのは10分前・・・
見ることができてよかったです

 
ゴールに向かってもう一息
雨は相変わらず降り続き
一向に止む気配がありません
 


16:30 ゴ~ル・ゴ~ル 相模湖駅
駅で、濡れた衣類を整えて
16:45分の電車には皆さん乗れたようです
 



雨の街道歩きは大変なんですが
強烈に記憶に残ります
 
甲州街道難所の雨の小仏峠超え
思いで深い街道歩きの旅になりそうです
 
次回、甲州街道第8回
明後日です
またまた悪天候の予報です
 
午前中に同じ内容のブログを書き
コメントをいただきましたが
記事を消してしまいました
申し訳ありません
 
私は、写真をアイフォングーブログアプリから
投稿して下書きをしておき
パソコンから内容を書いているのですが
下書きを削除するタイミングで
本投稿を削除してしまう誤操作をしてしまうのです
なかなか学習しないんですよ
困ったもんです
 
 
 

甲州街道 6回 北八王子〜高尾 横山宿

2023-04-13 23:05:06 | 甲州街道

甲州街道 6回 北八王子~高尾

3月18日 冷たい雨

3月に甲州街道
6回・7回を歩きました
2回とも雨降り
大変な街道歩きでした
 
北八王子駅スタート
10時に北八王子の駅をスタートのはずが
まさかの講師の先生が来ない・・・
長らく街道歩きしてますが
講師の遅刻は初めてでした笑笑
 
15分遅れで先生到着
ストレッチもせずに雨の中スタートしました
 
 
10:50 大和田橋
橋の歩道に空襲時に落とされた焼夷弾の跡が
タイルの色を変えて表示されていました

 
11:00 竹の花一里塚
 


11:05 永福稲荷
 
この地の鎮守
境内に芭蕉の句碑がありました


11:15 市守神社
 
名前の通り市を守る商売繁盛の
神を祀ってある
 
かつてここに木戸があり
横山宿の始まり
 


横山宿
本陣 2軒
脇本陣 2軒
旅籠 34軒
 
八王子15宿
横山宿15宿で、宿役を
勤めていたようで
本陣がどこにあったのか
現在でもよくわからないとの事
 



八王子博物館
駅ビルの中の端っこ
ダイソーの前にありました



八王子のいろいろなことが
紹介されていました。
雨の中の街道歩きで
雨宿りができて
正直ほっとしました
 


雨の中の街道歩きは続きます
ここら辺が横山宿の中心だったようです
 
 
12:00 八幡八雲神社
八王子総鎮守



創業慶長って
看板に書いてある鰹節屋さん
この日は寄らなかったけど
寄ってみたかったな
 


路地裏っぽい旧街道沿は
すごく、雰囲気ありました。
なんだか、ゆっくりと
歩いてみたいと思いました
 
 


12:35 時の鐘
1699年近郊の人達が費用を出し合って
出来た鐘だそうです
 
午前6時から、午後6時まで2時間おきに
時を告げていたそうです
 
 


12:44 ここでランチ!
信松院と言うお寺の境内にある
カフェレストラン
 
貸し切りでしたよ
カレーでした
 
八王子!
カレーの街なのか、街の中もカレー屋さん
たくさんあって
お腹も、お口もカレーモードになっていたし
13時近く、お腹もペコペコで
とても美味しく感じました
 


13:30 信松院
武田信玄の四女・松姫が
開基と言われています
 
武田氏滅亡後
松姫は、八王子まで逃れ仏門に
入ったようです
 


14:10千人同心屋敷跡
 
国境警備隊だった、武田家家臣たちが
1582年
竹田市滅亡後に、八王子城下に移り住み
 
徳川家に使え
八王子千人同心の中核になった



千人同心は
10名の頭の下にそれぞれ100人の
平同心はを配置!
 
この100名を10組に分けて
頭をおく組織だったようで
 
平同心は八王子にすみ
身分は武士ながらも
村人と同じ、百姓生活をしていたそうです
 
関ヶ原の戦いや、大阪夏の陣にも出陣したそうです
江戸時代は、徳川家康を祀る
日光東照宮の警備が
主な任務だったそうです
 
ここら辺は
千人頭や幹部同心に与えられた屋敷や
邸宅があったそうです
 


追分道標
左高尾
右あんげ道(甲州街道)って
書いてある



宗格院
千人同心頭の墓があります
治水のため築いた堤防の一部が
本堂の裏に一部残っていました
 


興岳寺
千人同心の千人頭
石坂弥次右衛門義礼の墓がありました
 
戊辰戦争時
日光警備の責任者で
官軍と戦わず、日光を引き渡した為
一部の千人同心の怒りを買い
切腹した
 
現在も日光東照宮の文化財が
残ったのは
義礼の決断に負うところが大きいと
石坂弥次右衛門の墓前には、日光市から、
寄贈された線香台が置かれてました
 
当時は戦わずして・・・って
周囲の怒りをかってしまったけれど
今となっては、焼けずに、壊れずに
よくぞ日光を守ってくれたって
感じですかねぇ~~


 
1日中雨が降り
前日まで、暖かだったのに
この日は気温も低かった・・・

15:50 高尾駅ゴール




中山道・日光街道
順序よく予約が取れずに
 
あっち歩いたり
こっち歩いたり
していますが、甲州街道は順序よく1回から7回まで
歩けています
 
12回までは予約も取れています
やはり、つながっていると
わかりやすいです
 
1回から5回まで同じ女性の講師の先生でしたが
今回の遅刻の先生は違う先生でした
こちらも
女性の先生でしたが
面白い先生だった・・・
 
ノリが良いというか
軽いというか
 
説明しながら
「甲斐の~~山~~山~~」とか歌なんか
歌いだしちゃったりして
楽しかったわ・・・
 
また、この先生で歩きたいなぁ~~