かへる 東の国探訪記

何かと話題のぐんうま県在住の『かへる』の某国中心の旅行記&趣味のフィギュアスケートの話題など

2016 Eastern Sectionals(4)

2015-11-25 21:21:52 | フィギュアスケート
そして(わたしにとっては)問題のノービス男子。
これはショートプログラムの6分間練習の直前。
ピーター君とデヴィッド君は同じ後半グループで滑るのである。

年長のデヴィッド君は落ち着いているように見えるが、ピーター君は表情が硬い。

デヴィッド君は9番滑走で、先生がリンクサイドで見守っている。

と思ったら、何気にカメラ目線である。

曲は先生も現役時代に使っていたムーンライト・ソナタである。

冒頭の3F-2Tのコンビネーションで2つ目のジャンプがつけられなかったため、
次の単独3Tを2F-2Tに変える。

やはりリージョナルの時と比べてレベルが高くなっている中緊張したのか、
ジャンプがどれも残念な出来だった。
デヴィッド君は苦笑いしながら戻る。

先生はハイタッチで出迎える

キスクラではやや反省会のような様子だったが、得点が出た後はこんな感じ(先生笑っています)。


ピーター君は最終12番滑走である。
先生とハイタッチをした、その音をマイクが拾っていた。


ピーター君が滑っている間、既に演技を終えたデヴィッド君と弟弟子のニック君が並んで見ている。


冒頭の3F-2Tのコンビネーションは、1つ目のジャンプの後にターンが入ってしまい、
無理につけた2Tで転倒する。
次の3Lzは、無理だと判断したのか、3Tに変える。
ジャンプはやや残念だったが、スピンやステップは上手くなってきているように思う。
こちらも、「あー、やっちゃった」と言いたげな照れ笑いで戻る。


しかし、デヴィッド君の時と違って、先生の表情は険しい(ように見える)。

前年に続いて、またもやキスクラで叱られた模様である。

カメラの方を向いたピーター君も、顔が引きつっているように見える。


ショートを終えて、ピーター君は3位、デヴィッド君は4位であった。
この後、約20時間後にフリーという過酷なスケジュールである。


2016 Eastern Sectionals(3)

2015-11-24 21:15:03 | フィギュアスケート
ジュベナイル男子は最終日に行われた。
現地時間午前8時開始だが、日本時間では午後10時となる。
眠くならないぎりぎりの時間なので、Ice Networkにつないで見ることにする。
ジュベナイルと思えないほど大きな子もいるが、おおむねかわいらしい感じの選手が多い。

ニコラス君は12人出場した中で、10番目に滑った。
この日の先生は、赤いパーカーを下に着ている。

パーカーの下にパーカーを重ねて着るというこの着こなしは、正直どうなんだろうかと思うが、
本人は十分ドヤっている。


そしてニコラス君登場。
先月のリージョナルの時と比べると、いくぶん緊張しているようにも見える。


肝心の演技の方は、まずは出だしの2Aで転倒する
そこで動揺してしまったのか、何だか動きがぎこちない。
最後のスピンでは回転が足りなくなり、ノーカウントに(これが痛かった)
本人も、「なんかいまいち」という表情で戻ってくる。


そんなニック君を、先生は優しく出迎える。

が、すぐにキスクラ手前で反省会が始まる。


キスクラで点数を待つ師弟(先生は気を紛らわすためか、靴紐を直している)。
なお、手前にいるのは、次に滑るマリニン選手のご両親で、お母さまはかつての名選手マリニナさんだ。


点数が出る。
リージョナルの時よりも10点くらい低い。

この時点で3位だったが、結局は4位で、全米選手権への出場が決まる。
他のカテゴリでもそうだが、ジュベナイルやインターミディエイトのような年少のクラスだと、
ちょっとしたことで点数が大きく変わってしまうのだと実感した。

2016 Eastern Sectionals(2)

2015-11-23 21:45:03 | フィギュアスケート
ジュニア男子のフリー、3番目の選手が終わって得点を待っているところ。
トニー君は4番滑走で、すでにリンクに出ている。
先生はまあまあにこやかである。


トニー君のフリーは『ワルソー・コンチェルト』である。
ショートもフリーも振り付けは、あのニコライ・モロゾフ先生である。
正直に言うと、2ヶ月前のJGPトルン大会(ポーランド)の時が、
ショートもフリーもいちばん良い出来だったと思う。
この日のフリーでは、冒頭の3Aで転倒、次の3A-3Tのコンビネーションは良かったが、
ジャンプの着氷がどれも危なっかしい感じがした。
後半に2Aを跳ぶ予定だったのを、3Aにしてしまい、このジャンプがノーカウントに
(同じ種類の3回転ないしは2回転のジャンプは、フリーでは3回以上跳んではいけないというルールがあるため。
もちろん、スペシャリストのOさん(仮名)もおやりになったことがあり、
それどころか開始1分でノーカウントというすごいこともやっている
スピンもあまり良くなかったように思う。

これは終わった直後のトニー君と先生。
良い出来ではなかったが、先生は笑顔で出迎えた。


例によってキスクラは先生の脚しか見えない。

と思ったら、カメラの存在に気づき、顔を見せる。


フリーは3位で、トータルでも3位。
なんとか全米選手権に出場することができた。
5位になって出場を逃したのは、昨季(2015年1月)の全米ノービスで金メダルを取ったジョナ・バレット選手であった。
ジョナ君は、全米のエキシで見たときに「これで本当にノービスか」と思ったほどの大柄な選手で、
技術もノービスのレベルを超えていた(ように見えた)。
フリーはウェストサイド・ストーリーで、彼の個性に合った選曲と振り付けだったが、ジャンプの失敗が響いた。
やはり、カテゴリが上がると、そう簡単には結果が出ないものである。

最終滑走はヤマト君だった。
どこかで聴いた曲だと思ったら、「アダムズ・ファミリー」であった。
(それで手袋が左右違う色なのだ)
途中2回転倒したものの、なんとかまとめて4位。
初めての全米出場が決まり、コーチと握手していた。

なお、手前にいるのはシニア男子の選手で、この後ショートプログラムが行われるところだった。

2016 Eastern Sectionals(1)

2015-11-22 20:36:07 | フィギュアスケート
表題の大会は、先週の水曜日から土曜日にかけて(現地時間)
米国コネチカット州で開催された。

Ice Networkでは、東部・中西部・太平洋地区と3ヶ所で行われる大会をライブで配信するという
嬉しいことをしてくれる。
しかも、終了した競技もすぐにアーカイブで見られるというのがもっと嬉しい。

わたしの好きな(元)選手が教えている生徒は、ジュニア・ノービス(2名)・ジュベナイルの3カテゴリに
合計4名出場する。
ライブ配信があるとはいえ、日本とは時差が14時間もあり、
見たいカテゴリはことごとく日本時間では夜中となる。
唯一ライブで見たのが昨夜10時から始まったジュベナイル男子だけだが、
アーカイブのビデオが間違っていて、どう見てもダンスかペアの映像になっている。

ジュニア男子は5人の出場である。
ここから上位4名が来年1月の全米選手権に出場することができる(これは他のカテゴリ、地区でも同じ)。
INのビデオを再生したら、いきなりこんな場面から始まってびっくりした

これは、ショートプログラム前の6分間練習を見ているコーチたちであるが、
右端に遠慮がちに映っているのがお目当ての人である

JGPにも出場したトニー・ルー君は4番滑走である。
なぜかここの会場のカメラは、キスクラを真横から撮影している。
カメラに気づいているのかいないのか定かではないが、先生はドヤ顔である。
(某掲示板では、地顔がドヤと言われていた)


トニー君が滑っている間、キスクラの逆サイドでは他の教え子たちがガッツリ見学している。

グレーのトレーナーがピーター君、白のTシャツがデヴィッド君である。
この2人は、昨年は10センチくらいの身長差があったのだが、
こうして並ぶと、ピーター君の方がでかい。

前述の通り、キスクラを真横から撮っているので、師弟の脚しか見えない。

冒頭の3Aがすっぽ抜けてノーカウントになった上、他のジャンプもいまいちだったため、ショートは2位であった。

最終滑走は、ヤマト・ロウ君という日系の選手である。
見学者が1人増えているが、これはジュベナイルに出場するニック君である。

ピーター君はヤマト君と仲良しらしく、昨年もリンクサイドで話している様子がビデオに映っていた。
ヤマト君は昨季のセクショナルで、3回転倒の上、4つのジャンプを続けて跳ぶという恐ろしいことをやらかし、
全米選手権への出場を逃したという過去がある。
フィギュアスケートでは、4回以上連続したジャンプはノーカウントになるのである。
どういうことだと思ってビデオを見てみると、2つ目のジャンプの着地が上手くいかずに足をついたところが
ループジャンプと判定されたような気がする。
ジャンプのノーカウントのスペシャリストと言えば、一昨年引退したOさん(仮名)であるが、
彼でも4連続ジャンプなんてすごいことはやっていない。
ヤマト君は今季からジュニアに上がり、どうなることかと思ったが、ショートは3位でまずまずである。

しかし、5人出場して1人だけが落ちるというのも酷な話である。

ウィーン軍事史博物館(5)

2015-11-21 14:39:14 | 旅行
資料によると、ここ『フランツ・ヨーゼフの間』は1867年から1914年の展示だそうだ。
1866年のプロイセンとの戦争に負けた後から第一次世界大戦前夜までの時代である。
この時代に墺国(というかハプスブルク帝国)が関わった大きな戦争と言えば、
ボスニア・ヘルツェゴビナへの侵攻くらいのもので、比較的平和な時代であった。
ただし、帝国は11の国家から成り立っていたため、政情は安定しているとは言い切れなかった。

前日のブログまでに掲載した軍服は、墺国軍とハンガリー軍のもの(1878~1890年)だそうだ。
墺国の郷土防衛隊、ハンガリー軍予備役、二重帝国の皇帝・国王軍のものだと資料に書いてある。
また、前日ブログに載せた写真は、やはり皇太子ルドルフの私物であった。
彼は1889年に死去(有名なマイヤーリングの悲劇)するまで、この軍事史博物館の所轄官庁長官だったそうだ。

これらは、墺国かハンガリーの軍事に関する書物のようだ。
1枚目には、例によってカメラを構える自分の姿が映り込んでいる。

良く見ると、このパンフレットらしきものは、色々な言語バージョンである。



これは武器の一種だろうかと思ったら、スキー道具だった。

左上にあるものは、靴をスキー板に固定する金具のようだ。
下には、当時のスキーの様子を撮した写真がある。
現在主流の2本ストックではなくて、1本棒を用いたスキーである。

これは、スキー靴やストック。

そしてこれは、雪上を歩くための靴だろうと思われる。


上記↑スキー道具などは、皇帝・国王軍少佐(当時)であったテオドア・フォン・レルヒゆかりの品である。
彼は1910年に来日した際、日本にスキーを紹介した人物で、
新潟県のゆるキャラであるレルヒさんのモデルとして(最近は)有名である。
レルヒ少佐の来日の目的は、日露戦争で勝利した日本の戦略を研究するためだったそうだ。
この写真は、スキーを指導するレルヒ少佐である。