かへる 東の国探訪記

何かと話題のぐんうま県在住の『かへる』の某国中心の旅行記&趣味のフィギュアスケートの話題など

ウィーン軍事史博物館(4)

2015-11-20 22:33:31 | 旅行
展示されている(おそらく19世紀後半の)軍服は、青系統の色だ。
右側の軍服の飾り紐が美しい。

と思ったら、定番のカーキ色もある。
袖にも凝った紐飾りがついている。


ここで一旦軍服コーナーは終わる。
写真がぼけぼけでよくわかりにくいが、たぶんサーベルか銃剣と思われる。


これは、サーベルやピストルなど武器と帽子。
写真から察するに、フランツ・ヨーゼフ帝の子息ルドルフのものと思われる。


これはサーベル。
サーベルを見ると、往年のプロレスラーであるタイガー・ジェット・シンを連想してしまうのはどうしたことか。
(両親がプロレス好きで、わたしも幼少の頃、ゴールデンタイムにプロレスを見て育ったから)


これは何だろうと思いつつ写真に撮る。
色見本にしか見えない。

色見本(?)の下部にあるもののアップがこれ。
これらは表題からして階級章であるらしい。

ウィーン軍事史博物館(3)

2015-11-19 21:10:24 | 旅行
以前から疑ってはいたが、ここに来てはっきりと自覚したことがある。
そう、わたしは紛れもないミリオタである
と言っても、戦争大好きでは決してない(むしろ大嫌いだ)。
何が好きなのかというと、軍服である。
余談であるが、フィギュアスケートで軍服がモチーフの衣装を見ると、
もうそれだけで無条件に応援したくなるほどである。
グラーツで会ったKさんは、2011~2013シーズンにかけて軍服モチーフの衣装を着ていたが、
これがまた、よく似合っていたのである。
テーマは『シシィとフランツ』で、フランツ・ヨーゼフ帝の軍服をモデルにしたようだ。
なお、大好きな(元)選手もミリオタだそうだが、何のオタであるかは不明である。
(いくら何でも、3月の世界選手権で対面したときに、そんなことは聞けなかった)

ここから先の展示は、もう、わたしにとっては嬉しいものである。

帝国末期の軍服だと思われる(たぶんレプリカ)。
冬にはこのような↓マントを羽織ったらしい。


上着の色や合わせ目が違うのは、階級によるものか、それとも陸軍・海軍の違いなのか。

ガラス越しに撮影しているため、撮っている自分の姿も映り込んでいるのが間抜けである。

写真の腕が悪いため、大きな画面(PC)だとぼけぼけになる。


18世紀にハプスブルク家の当主となったマリア・テレジア様は、
自前の軍隊にかっこいい制服を制定したと言われている。
理由は、「軍人たちのやる気を出させるため」だそうだが、それは非常に効果的だったと思う。
ただし、テレジア様は戦争を好んだわけではない。
実際に、プロシアとの戦争をはじめ、負け、あるいは痛み分け続きだったそうだ。
プロシアと戦ったのは、シレジア地方の奪還を目指したためだが、かなわなかった。
そして、そのシレジア地方の領有をめぐって、第2次世界大戦まで複数の国が揉めることになるのである。

ウィーン軍事史博物館(2)

2015-11-18 21:21:19 | 旅行
最初に入ったのが、『フランツ・ヨーゼフの間』である。
ここは、19世紀後半から第一次世界大戦前夜までの展示である。


フランツ・ヨーゼフ帝は、在位68年という長期にわたって皇帝の座にいた方で、
その間に戦争もいくつか経験している。
帝国の斜陽を体現しているような皇帝であると思う(家庭的にはたいへん不幸であった)。
そもそも、墺国という国は神聖ローマ帝国時代から戦争が強い国とは言えない。
とりわけ、18世紀後半から20世紀までは、ほぼ負け続けである。
だからというわけではないだろうが、この部屋も戦争賛美という内容ではない。

部屋に入ってすぐの所にある展示物である。
戦争のことを記録した書物と思われるが、年代がどうも違うような気がする。




このような絵も飾ってある。
戦に向かう皇帝ご一行と思われる。


これは銅像である(が、馬上の人物が誰であるか不明)。


ここまでは普通の美術館と大差ない気がするが、ここから先の展示物から本気を出し始めている。



これらのライフルは、おそらく本物だろう。

これは、移動式の砲台である。


このような武器が、19世紀にはヨーロッパやアメリカではごく普通に出回っていたのだ。
日本では江戸時代末期に長州藩が英国と戦争をしてコテンパンに叩きのめされたのだが、
こんな武器を使われたらひとたまりもないよな、と思う。

ウィーン軍事史博物館(1)

2015-11-17 20:48:18 | 旅行
30分も迷った挙げ句、ようやく着いたこの場所は、ウィーン軍事史博物館である。

建物自体は横に長い。
すぐ近くには砲台や戦闘機が展示してある。


この建物は、兵器収蔵庫として建てられたものの一つで、1850年ごろの建造らしい。
現役の博物館の建物としてはウィーンで最古のものだとガイドブックに書いてある。


中に入って、チケットを買おうとすると、お金はいらないと言われる。
この博物館は、毎月第1日曜日は入場無料なのである。
写真やビデオの撮影もOKである(有料)
写真撮影の許可証の料金は2ユーロで、丸いシールを胸に貼る。

入口近くには、ポストカード大のパンフレットがたくさんある。
当然、記念としていただいて行く。
これはパンフレットの1つで、書いてある年号からすると、第一次世界大戦の関連だと思われる。


入口前ホールの様子はこんな感じ。
彫刻などがあるが、明らかに普通の美術館ではない雰囲気が漂っている。


まずは、建物の右手の部屋に向かう。
入口には、色々な言語で書かれたA4版の説明書がある。
日本語と英語とドイツ語を取る。


アーセナルをぐーるぐる

2015-11-16 20:17:40 | 旅行
倉庫の間の道を歩くことにする。
少し行くと、道が分かれているので右に曲がる。
左側には長い倉庫が続いている。
右側からはボールを打つ音が聞こえてくると思ったら、テニスコートがある。
日曜日なので、テニスを楽しむ人たちがいる
テニスコートの向こうには、こんな建物がある。


左側の倉庫(武器庫)は、かなり長く続いている。
「この道で本当に合っているのだろうか」と不安になるが、そのまま進む

倉庫が途切れたところで、左に曲がる。
レンガ色の建物の代わりに、銀色の屋根の建物が両脇に並んでいる。
たぶん、大きなオフィスか工場だと思われる。
目指す建物は、ガイドブックの写真を見る限りはレンガ色で、銀色ではない。
明らかに間違えた道を歩いているのだが、戻ると余計にわからなくなりそうなのでそのまま歩く
迷っているくせに、道ばたの草花の写真を撮る余裕だけはある



しばらくすると、右側にタワーのようなものと、大きなビルが見える。
それは、Telekom Austria(電話会社)のビルだった。
ナビで確かめるまでもなく、完璧に道を間違えていることがわかった
とりあえず、すぐ近くを左折して、北に向かうことにする。

この道も日光を遮るものが何もなく、暑い
工場のような建物を左手に見ながらてくてくと歩く
途中で、ジョギング中の人たちとすれ違う
前年の夏ほどのすさまじい猛暑ではないが、日差しは強い。
昼に近い時間帯なのにジョギングをしたり、テニスをしたりするのには恐れ入る。
ふと、左手を見ると建物が途切れて広場がある。

駐車場のようだが、すぐ近くでダンスをしている人たちがいる
良く見ると、ダンスのワークショップだった。
そして、わたしが工場だとばかり思っていた建物は、ART for ART Theater-service GmbHという名前で、
ダンスや演劇の練習やワークショップもやっている劇場のようだ。

すこし行くと、ゲーガ通りに出る。
道なりに行くと、左に曲がって西に向かうことになる。
すぐに四角い建物が左手に見える。
それは、門の役目をしている建物で、そこを抜けると目の前にようやく目指す建物が見える。

iPhoneのナビを見ると、停留場から大回りをしてたどり着いたのがわかる。
所要時間30分であった

注:Arsenalの読み方を調べたら、ドイツ語では「アルゼナール」と読むようだ。
とりあえず、表題はこのままにしておく