2024年7月25日(木)
先日のセミナーでも少し話しましたが、この世に生を受けて今だ「許せない~~!」という御霊がいる気がしてならない私です。
阿弖流為 他戸(おさべ)親王 淳仁天皇 の御三人方の御霊です。
他戸(おさべ)親王の墓から阿弖流為の墓までと、他戸(おさべ)親王の墓から淳仁天皇の墓までは、共に460㎞です。
そろそろ、そろそろ・・あっても何ら不思議ではないと私は思いますが・・。
2024年3月27日(水)
3月17日(日)私は、水戸を発って常陸大宮駅からタクシーで鹿嶋太神宮へと行って、そこから遠くに見える「盥が峯」を場所を移動しながらコアロッドで金の反応を見たり、幾度となくその峯の全景をカメラに収めて帰った。
・・なんとその日、「女性二人で盥が峯の山頂に行ってきました」と、メールをもらいました。
そこには小さな祠が在りました、と写真が添付されていました。安らぎとドラマを感じる写真です。
昨日、天才武田さんとともに、急遽、盥が峯を含めた旅程に切り替えて、まず鹿島神宮
にお参りし、本殿は第二代秀忠さまのデザインであることに仰天し、要石をチェックして
そそくさと鹿島神社へ。本堂の表のこわーい顔のイラスト?をじっと見て、対照的な
裏手のお堂のあるすばらしい彫刻にびっくりしました。まだ色彩も残り、どこか
先ほど見た、秀忠さまデザインの鹿島神宮のきらびやかさを思わせるあたたかい作り。
鶴も掘られていて、イエスさまを感じました。
そのあと、メインの盥が峯へ。武田さんの助けなしには無理でした。まず他の方の
登山レポートを検索し、登山口を探し当て、ぎりぎりまで車で入り、そのあと
空海様のお墓にくらべるとずっと立派?な登山道を通り、グーグルマップを
極限まで使いこなし、なるべく上森ポイントに近づくという離れ業をこなした
武田さんです。私はすずしい顔でずんずん先を行く武田さんに、ただついて行くだけ。
盥(たらい)におしるし(阿弖流為さまの御首)を入れて運ばれたみなさまのあたたかい
思いを感じながら。
私はメールを読んで、感動しました! 有難うございました!!
2024年3月23日(土)
タクシーの運転手さんは、全く鹿嶋神社には行ったことも聞いたことも無かった様子だった。
それで、「阿弖流為って知ってますか」と聞いても、「知りません」と全くご存じない御様子。
「お生まれは・・」と聞くと、「大宮です」と言われます。目指す神社は、「隣町ですので・・」と。
ようするに、地元の人はほとんどご存じない様子ですので、もし誰か遠方から行く方が居られれば、住所をキッチリ控えて行かなければ辿り着かないと言うこともありそうです。
私は地図を頭に入れていたので、不安もなく、そしてカーナビの誘導で鎮守の森の入口らしきところまでタクシーは誘導された。
そこには、「鹿嶋神社」の文字があった。
2024年3月13日(水)
鹿嶋神社には阿弖流為の首が持ち込まれたと私は思っている。
阿弖流為が斬首された場所は、大阪府枚方市の交野山だと思っている。阿弖流為が斬首されるより前の話であるが、桓武天皇が冬至の日に北に向かって2度も郊祀を行っている交野が無関係とは思わない。いや大いに関係していると思っている。1度目の郊祀は、藤原鎌足の墓を鎌足公古廟からすぐ麓に移し替えていると思っている。そのお墓はフェニックスコードで読み解いているが、この藤原鎌足の墓と阿弖流為の首が持ち込まれた鹿嶋神社と同距離となる中間点を見ると、先ず北から「皇子首」「祖父岳」「経ヶ岳」「聖岳」「駿府城」である。地名にわざわざ「皇子首」とは、私には偶然とは思われません。「経」「聖」そして、家康の最後の城である「駿府城」これらは全て、大地に書かれた願いであり経典のようにも私には響いてきます。
藤原一族の阿弖流為に対する祟り封じにも見て取れる。これらのフェニックスコードから間違いなく鹿嶋神社には阿弖流為の首が祀られていると私には響いてくる。
2024年3月12日(火)
月山(583m・岩手県北上市)は、
大墓公阿弖流為(たものきみあてるい)の墓である。そしてそからは、秀衡街道(秀衡黄金街道)を見守るようにお墓を造営している。そしてそこは龍神に守らせている。