かごめかごめの真実とは

空海様が私に教えてくれた秘密の暗号

南 灘   ・・ 南の謎

2012-08-28 15:13:24 | 邪馬壹国

庵月へ行って分かったことは、神崎郡神河町にある八幡山を取り囲む集落に猪篠(いざさ)という地名がありますが、字こそ違いますが伊笹(いざさ)という地名や長谷という地名も共通してあります。

そしてイザサには古い古い歴史があるようです。

偶然でしょうか・・。偶然ではないようです。

そして庵月さんにいただいた香住観光協会発行の「御崎 平家村のおはなし」を読むなり、??

んん??! 

・・・公家の門脇宰相平教盛(たいらののりもり)という人は、老中と共に船に乗っていくことにしました。

「この壇ノ浦よりも遥かに壱岐・対馬という国がある。そこは食べ物も豊富だから、何とかして暮していけるだろう」 という記載箇所がありますが、壱岐・対馬は壇ノ浦からに位置します。

南北がまるっきり逆に言われています。

・・・

ふと思ったのは、魏志倭人伝の南(行)して投馬国(とまこく)にいたる。水行二十日である。

・・・

遥か南に・・を 遥か難に・・ と書き変えたら 間違いでもありません。

難して投馬国(とまこく)にいたる。水行二十日である。・・と書けばこちらも問題ありません。

魏志倭人伝の書き手も平家の伝記を書いた人も、難と南の文字を書き違えたのか、その時代の人達は東西南北の概念に共通性が無かったのか、またまた思いこんでしまう私でした。

Img8281402400001

Img8281403360001_2

Img8281403530001

 

この記事についてブログを書く
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« あずきちゃんの故郷、庵月へ | トップ | 卑弥呼おばさんのお墓の本格... »
最新の画像もっと見る

邪馬壹国」カテゴリの最新記事