2019年3月7日(木)
法隆寺へのツアーが明後日となりましたが、バス会社の都合で中型車が大型の手配になったということです。
急ですが、明日の午前11時までツアー参加希望の方の受付をいたします。
グループでもOKです。
これも何か神仕組みなのでしょうかねぇ。 チャンス!です。
・・・
法隆寺と広隆寺は大いに関係していましたが、その広隆寺、法隆寺までの距離が秦河勝のお墓である赤穂市の生島からほぼ120㎞と同距離です。
偶然でしょうか。
いえいえ、そうではないと思いますねぇ。
法隆寺 広隆寺のスポンサーが秦河勝が率いた秦氏だったということを物語っているようです。
そして、生島と法隆寺と地下神殿がある生野は、直角三角形を描きます。 見事です!
生野は応神天皇の代までは死野と呼ばれていたと言うことですが、死野とは「シオン」と呼ばれていたと言うことです。
シオンは聖地のことです。
これらのことを秦河勝率いる秦氏たちは知っていたと言うことでしょう。
聖徳太子と呼ばれた蘇我入鹿もこのことを知っていたと言うことでしょう。
もちろん、行基さんや空海さまたちも知っていたと言うことでしょう。