2019年3月4日(月)
西院伽藍講堂の裏に、上御堂(かみのみどう)という建物があります。
奈良時代に、天武天皇の皇子である舎人親王の発願によって建てられたという説と、延長年間(923~930年)に京都にあった普明寺の堂社を移築して創建されたという説がある。
いずれにせよ、現在の建物は、鎌倉時代の再建である。
面白いのは、この建物の向きが、西院伽藍の建物の向きと微妙にづれているのだ。
建物の向きを合わせるということは、難しいことではないので、このづれは、意図的であると考えざるを得ない。
このお堂で拝むと、その先には、京都太秦にある、やはり聖徳太子ゆかりの寺である広隆寺に行きつくのだ。
しかも、この上御堂と広隆寺の本堂(上宮王院太子殿)をつないだラインは、広隆寺の参道を通って、まっすぐに本堂の正面に達する。
広隆寺の本尊、聖徳太子を正面から拝む形になっているのです。
そして広隆寺の参道に直角に西へとラインを伸ばすと、マリアの墓に行きつきます。
法隆寺、広隆寺 マリアの墓は、直角三角形を描くように建物や参道の配置も見事である。