2019年2月5日(火)
2月3日(日) 朝、目が覚めて・・、「法隆寺へ行きなさい」と聞こえたようで、急いで姫路から新幹線で京都まで行って、そこからJR奈良駅へと行きました。
奈良駅から法隆寺へは3つ目の駅でした。
そこからタクシーで法隆寺へ。
着いたのは11時半頃でした。
私が田舎の工業高校を卒業して最初の赴任地は、奈良駅から一つ目の郡山駅から歩いて10分ほどの場所でしたが、車窓から見える情景も47年前とさほど変わらぬ情景が残っていて、その思いに浸ることもなくすぐ法隆寺駅に着きました。
始めて降り立つ駅でした。
法隆寺の近辺は、当時、車でよく通ったもでしたが、初めてゆっくりと一人で見るチャンスが来たと、少し構えて緊張ぎみでもありました。
真っ先に「チェックチェック!」と目に飛び込んで来たのが中門入り口の左手の石柱でした。
それは、もう行基さんが造らせた西円堂が、松尾寺にある蘇我入鹿の墓である補陀落山に向かって手を合わせるように造営されているかの確認作業に来たわけでしたから・・、それはそれは嬉しい案内の石柱でした。
私は石柱を左回りに一周して、それからコートのポケットに入れたコンパスグラスを握りしめながら西手の方へと歩み始めました。
・・つづく
法隆寺の造りは、見事なまでの配置の上に造営されています。
蘇我入鹿の墓も・・、移し替えられた藤原鎌足の墓も、桓武天皇の亡骸を入れた墓も、だれも知る由もありません。
でも・・、ここ法隆寺には、その方々が眠る本当のお墓に手を合わす配置が設計されていました。
千二三百年間もその位置と方角が守られていることに、感動した一日でした。