2014年9月7日(日)
まだまだと思っていた娘の晴れやかな式に立ち会うことができました。
私は6人兄弟の三男ですが、父、幸太郎は57歳の若さで脳溢血で倒れ、子供たちの晴れやかな場面には一度も立ち会うことができませんでした。
それを思うとき、私は幸せであり、又、娘に対しても親の務めを果たせたとの安堵感と共に、「ありがとう!」と感謝するばかりです。
私はチャペルのステンドグラスを眺めながら、イエス様が大国主命であり神武天皇と誰が思うだろうかと感慨深く思い続けていました。
意味も何も分からずにチャペルで結婚式をあげる人達が日本で増えても、それは一つの宗教に染まることはないと不思議に確信めいた安心感があるのは私だけでしょうか。
だって邪馬壹国の初代大王がイエス・キリストだったとの真実が表にあからさまになるその時、一気に真のイエス様の御霊がその人たちを開眼させます。
まさにオセロゲームのごときに世界の情景は色合いを変えます。
真実は宗教では語れません。
宗教は真実を語ろうとしません。
宗教宗派では真実の全容の扉に常に鍵が掛けられています。
アーメン!