石の宝殿(生石神社)の謎の巨石は、
誰が・・、何の目的で、いつの時代に造ったのか・・、下の地図を見て想像してみてください。
石がどの方角に向かって造ってあるのかも、その意味を確実に教えてくれています。
方角は飛鳥(橿原神宮)と出雲大社をキッチリと見据えています。
私は天皇陛下に出した手紙の資料の中には、平安京遷都の生命の樹も入れましたが、平安京遷都の王冠にあたるところが石の宝殿(高砂市)です。
平安京遷都のラインは、伊勢神宮から石上神宮(いそのかみ)、信貴山空鉢護法堂、再度山大龍寺、生石神社へと行き着き、そしてその先へ伸ばすと大避神社を通って物部神社へ行き着きます。そのラインに信貴山で直角に交わるラインに、等距離で高野山金剛峯寺、京都御所が位置しています。 偶然でしょうか・・・。
又、その京都御所から十字架の頂点にある生野を通って出雲大社へとキッチリ行き着くのは、偶然でしょうか。
私は、過去も現在も一切の宗教をしていませんし、神社仏閣さえも行かない、そして日本の歴史にも一切興味がない、全く知らない人間でしたが、 それがなぜか・・、十字が浮かび上がるピンクのテラファイトを作ってから、急激に不思議な世界に誘われて走らされて一年半が経ちました。
どうも今私がやらされていることは、この我が国の成り立ちをキッチリと一から教えてくれているようです。 「天皇家のルーツを覚えてください!知らないでは済まされませんよ!」と、当初どこからともなく囁きかけてきたことばが、今になってやっと理解できるようになってきました。
どうも・・、わが国の・・、いえいえそのもっと以前にさかのぼる歴史のあらがいと鎮魂の祈りの場が造られているようです。
空海様は、桓武天皇の命を受けて秘密裏に活動していたようですね。
空海様の空白の7年間も、そして突然、遣唐使船に乗って長安へ行ったことや、20年のところを2年で帰ってきたことなどの歴史的状況からもキッチリと推測が可能になってきました。
空海様が残したメッセージを、今、私達が実行する時がやってきたようです。
空海様は「時間がない、急げ!」と言ってらっしゃいます。
「生野の扉を早くを開けなさい!」・・と。
高野山の方々にも空海様は波動を送っているんだろうと思うのですがねぇ・・・