2015年8月28日(金)
人類の聖地、神河町の遺跡を守り祀らなければばらない
上森が発見したイエス・キリストの墓は、きちんとした手順を踏んだ末に、やがてはしっかり調査され、上森が神様から教えられたと主張してきたことが真実であると証明される日が来るのだろう。上森はイエス・キリストの墓の特定の意義を次のように述べている。
「十字架に架けられたはずのイエス・キリストは、実は我が国に来て、理想国家建設の初代大王になり近代日本の礎を築かれました。そして、紀元後99年11月17日に亡くなり、現在の兵庫県神河町の陵墓に手厚く埋葬されました。享年102歳でした。後には、多くの人が気軽にお参りに来れるように、低い山の中腹に、公的なイエス・キリストのお墓も造られました。
初代大王イエス・キリストのもとで、倭国は統一され、平和と共存繁栄を謳歌しました。が、統一の要だったキリストが亡くなると倭国大乱の時代となりました。南北に分かれた勢力の和解に向け、女王として共立されたのが、イエス様の直系の女王卑弥呼でした。卑弥呼はいまの西暦でいえば199年、22歳のときに女王の座に就きました。
でもいろいろあって、卑弥呼は、国譲りを強いられることになり、248年11月17日、イエス様の命日を選んで、自ら、神河町の墳墓に入定されました。
そうした古代の秘史の舞台となった現在の生野、神河町は、世界の聖地なのです。
そしてその地には、日本の神道の神の祀り方の原型が、巨大なスケールで残されています。
イエス様の陵墓と並ぶハートが教える鶴と亀の地上絵はじめ、メノラーの地上絵や、ひょうたんの地上絵や、神様にお供えする水が満々と溜められている壺、そして、いくつもの美しい形の山々に、日本神道の原型がきちんと刻まれているのです。
瀬戸内海に浮かぶ上島(神島)から兵庫県姫路市にある小富士山と仁寿山の間を通って、北へ行って、いつも満々と新鮮な水を湛える亀ヶ壺を通って、そしてメノラーの地上絵を通って行った先に、イエス様のお墓はあります。
それは、イエス・キリストの十字架として、地図上で示されていました。その十字架の交点にイエス様の陵墓は造られていたのです。
鳥居(小富士山と仁寿山)をくぐって、手水舎(亀ヶ壺)を経て参道を進んでいくと、榊(メノラー)のある拝殿があり、その奥に本殿(イエス様のお墓)があるという構造です。
自然の造形を利用した大神殿が、現に、埴岡の里に造られているのです!!
地上絵のなかには、イエス様のご先祖さまでもあるモーセの子どもたちが、日本にやってきたときに造ったものもあれば、モーセの時代、それよりずっと昔の時代のものもあるようです。
つまり、イエス様のお墓は、モーセやそれ以前の日本の歴史を知る人たち、地上絵の存在を知る人たちの手により、計画的に位置決めされ、造営されたものだったのです。
私が発見した地上絵は、私がその存在を公表した後に、グーグルマップでは見えないように手を加えられたりして、世の人々にはその存在が分からないようにされています。
イエス・キリストの墓も同じように壊されることがあるかもしれません。
心ある人たちの目、世界中の人々の、より多くの方々の目で監視されることが必要です。
特に、大事な大事な世界の聖地ですから、とくに地元神河町の皆様は、人類の世界遺産の監視をしっかりお願いしたいと、切に願う次第です。みんなで世界の聖地を守りましょう!!」