魏志倭人伝に書き記された邪馬壹国とは、但馬、丹後、丹波、摂津、大和 と繋がった国土でした。
そしてその邪馬壹国の首都は大和の纒向でしたが、女王卑弥呼が居たところは、播磨風土記に書き記された埴岡の里、現在の兵庫県神崎郡神河町と朝来市生野町にまたがるエリアでした。
その邪馬壹国の聖地へのルートは、
現在の釜山あたりから船で、対馬 それから 壱岐を通って、西の鎮の地 鎮西に福の神様を呼び込んで(呼子)、そこから陸路で、福吉(前原) そして福岡、福津(津屋崎)へと宝物を乗せた御竜車を運んでいきます。・・福津からは船で関門海峡を通って中国山脈の南を行くこと20日で福山の鶴島、亀島があっ総社宮への入り口、大門です。そこから又、船で10日でたどり着くところが福の神「えびす様の総本社」がある西宮でした。 誰もがえびす顔になる福を運んでくる宝船の航路が、女王国へのルートでした。そして、邪馬壹国の女王卑弥呼の住む山門への一か月の陸路ルートは西宮、宝塚、三田、春日、福知山、粟鹿、そこから南下して・・そして神河町と生野にまたがる八幡山の麓の集落、栗へとやって来ました。ここが女王卑弥呼が住むシオン(聖地)でした。
(粟鹿山は福を知らせる福知山が見通せる位置にあり、重要な場所でした。)
邪馬壹国は、女王が住む西の宮と行財政を司る首都纒向が位置する東の宮とにすみ分けるような地形になっていました。
そして四国の租谷(いや)地方に伝わる謎の伝承は、実は、兵庫県のいや(生野)のことでした。
祖谷(イヤ)のそばから、御竜車が三つ下る。
九里きて、九里行って、九里もどる。
朝日かがやき、夕日が照らす。ない椿の根に照らす。
祖谷の谷から何が来た。
恵比寿、大黒、積みや降ろした。
伊勢の御宝、積みや降ろした。三つの宝は、庭にある。
祖谷の空から、御竜車が三つ下る。(神代の残像P53から)
・・・このことは実は、兵庫県のイヤ(生野)のことを語り継いでいました。
イヤ(生野)のそばから、御竜車が三つ下る。
九里きて、栗行って、九里もどる。
朝日かがやき、夕日が照らす。ない椿の禰に照らす。
生野の谷から何が来た。
恵比寿、大黒、積みや降ろした。
伊勢の御宝、積みや降ろした。三つの宝は、庭にある。
生野の空から、御竜車が三つ下る。
・・・この謎の伝承が邪馬壹国の女王が居た場所と地理的条件を教えています。
そして、女王卑弥呼の祈りの場が、正六角形のかごめ紋の中心に人工的に造られた八幡山 でした。 そのかごめ紋の6ポイントには子孫繁栄を願った男性、女性のシンボルなど全て人工的に造られています。それに、そのかごめ紋の中には、山を使って羽を広げた鳥が二羽造形されていました。又、八幡山から北北東に位置するポイントには、上空から観ると5kmの長さで鶴と亀が山を使って造形されています。
女王卑弥呼の墓もかごめ紋の中にキッチリと設計された場所にありました。その779mの山頂のポイントに行ってみるとそこは、葺き石で葺きあげられ墳丘長さ150m 後円部径100m、上円部径50m 高さ15m の帆立貝形古墳、又は前方後円墳 の初期の形の古墳が形成されていました。
2012年7月9日 卑弥呼のお墓を探査レーダーで調べると・・
非鉄金属の反応も捕らえました。
・・・
1・・八幡山(かごめの中心点) 2・・卑弥呼の墓 3・・男性シンボル 4・・女性シンボル 5・・鳥 6・・鳥 7・・亀 8・・奴婢 9・・大亀
10・・龍(玄武) 11・・弟?
A ・・絶峯御林(イエス・キリストを祀った地下神殿)
B ・・古城山御林(モーゼを祀った地下神殿)
C ・・ユダヤの大王二人と卑弥呼の墓を教える三角形が交わった点
D、E、F ・・ 人工的ポイントの山
龍(玄武・・蛇と亀) 私には龍が今でも生きているように観えてしかたありません・・
鶴と亀 さぁ・・みなさん 観えますかぁ!
中央から右に亀さん、左に羽を広げた鶴さんです。
中央の四角い聖地の中で亀さんと鶴さんがキスしていますぅ?
生贄の鹿 も中心ライン上に発見されましたねぇ。
この重大な発見は、ピンクのテラファイト を開発してから不思議な世界へと誘われて教えられました。