「古事記を素直に解釈すると、隠岐の島が始まりでした」と、古代史研究家の市川慎さんからの電話が入りました。(2013年1月28日(月、朝)
今、市川さんは何者かにせかされるように、我が国の隠された歴史を紐解いています。
さぁ、ますます「かごめかごめの真実 」が明らかになって行きます。
「シュメール人のルーツが日本です」「ユダヤの人達の故郷は日本です」と、市川さんもその証を今、執筆中です。 さぁ・・ますます、我が国の天皇は、世界のスメラミコト(天皇)であったことが明かされていきます。又、一刻も早くその原形に戻さなくてはなりません。
平和を愛する大和魂の復活です。 日本民族が大和魂に目覚めてこそ、争いのない世界平和が訪れます。
その扉が、2月3日より開かれます。 新たな第7ステージの扉がギギギギ~~~ッと、開かれて行きます。 頑張れ 市川慎さん!
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隠岐の島から我が国の国土設計はなされました。
2012年9月6日(木)
隠岐の島の大満寺山へ登り、やはりそこからは想像していた通りの、私には人工的山が視界に飛び込んできました。一つは、方角から四国の足摺岬、もうひとつは対馬でした。
神戸に帰り地図上に線を引くとどうでしょう、正三角形を二つ組合せた奇麗な菱形の図形が描けました。
ガイドの野津さんに4:00頃、春日橋のバス停で見送られてポートプラザ前に着いたのは丁度夕方の5:00頃でした。夕食までにはまだ時間があるので、タクシーで玉若酢命神社、水若酢神社へと案内してもらいました。目的は、その神社の近くに古墳群があるとのことで、その日のうちに御霊にご挨拶をすることにしました。
夕食の時間前にはお風呂に入って汗を流すこともでき、丁度7:00には夕食の席に着くことができました。前日は相部屋での食事でしたが、この日は別の部屋に通されて私一人のはずなのに、何か大勢さんの宴席によばれているような不思議な感覚でした。山の精霊や御霊さんたちにご挨拶も終わっての安心感からなのか、御霊さんたちに「ようこそ遥々おいで下さいました、どうぞどうぞ!」とビールを勧められたせいなのか、一人のはずなのに、大びん2本も飲んでしまいましたぁ。 そこへ・・
「今日、タクシーに乗られましたか!?」とご主人。
「はい、乗りましたが・・」と私。
電話に出ると、「隠岐の島のこといろいろ話が聞けるかも・・」というお誘いで、「じゃ~8:30に来てください!」とお願いして、行ったお店ではピンクの物体を出してパワーバランスや味比べの実験に「何ですかぁこれ!」と、これだけで時間が経ってしまい、そうしているとお客さんがドド~~ッ!と増えてきたのでおじゃますることにして、女将さんに地図を書いてもらったお店に行ったら又、同じことをやっていましたね。
「大西さんですか、じゃここに立ってもらえますか」と、隣のダンディな男性にカウンターの中かな眺めているチイママに向かって立ってもらってパワーバランスをやっている私でした。
「おお!! 何コレ!?」 と、たわいもない遊びで時間が過ぎ去った隠岐の島の夜でした。
大西さん、ありがとうございました!
翌朝、どうしても気になって仕方なかった伊勢命神社へ松浜のご主人にお願いしてレンタカーを借りて行くことにしました。