軽井沢ル・ボン・ヴィボン

25年経って・2

僕のお店が1999年に開業したという話は
Twitterでも当ブログでも何度も書いているので、ご存知の方も多いかと思います。
1999年に開業したお店は
北軽井沢にあった商業施設内のテナント物件でした。
その商業施設は当時、非常に人気を集めていて
お店のスタートにはもってこいの環境でした。
なにせ、人が集まっていますから。

根拠のない自信に満ち溢れていた時代なので
「お金がなくても開業できる」「失敗なんかしない」
普通にそう考えていて、ずいぶん強気でしたが
それでもまずまず好調なスタートを切りました。
最初の店舗は9年間。
自分の作る物が受け入れられているのが嬉しくて
本当に夢中で働き続けました。

吉祥寺Le Bon Vivant はフランス料理寄りの南欧料理のお店でしたが
イタリア帰りのシェフの下で料理を学んでいたので
北軽井沢時代はイタリア料理+南欧料理を作っていました。
イタリア料理はブームでとっつきやすい存在でしたから
経営的に安定した売り上げを確保したくて、その方向で運営していました。

2008年に嬬恋村にある庭付きの洋館一軒家の物件に移転しました。
思いもよらぬ洗練された環境を得て
自分が当初目指したフランス料理への回帰を決意したのですが
9年間で世の中は大きく変化していて、自分の仕事は陳腐化していました。
この頃から年に数回のハイペースでフランスへ研修に出かけるようになり
学び直しを重要視するようになりました。
そこで4年と少し。

自分の店ですから、自分でやらなければ何も変わらないんです。
しかし、イタリアンへの愛着というのか、売り上げへの執着と言えばよいのか
お客様からのご希望も相まって
中々イタリアンから脱却できずにいました。


2012年に中軽井沢の現店舗に移転しました。
店先にフランス国旗を掲げ
いよいよ変化の到来かと思われましたが
ここでもつい、馴染みの良いイタリアンを入れたメニューでスタートしたので、また脱却に苦労しました。
イタリア料理での成功体験や、染み付いてしまった仕事の流れが逃げ場になり
自ら変化を遮ってしまうんですね。

フレンチと比べてイタリアンは明らかにお客様のニーズが太いので
経営者として「お客様で賑わうお店」を願えば魅力的です。


だけど、僕が考えるべきだったのはそこではなかった。

そんなどうでもいい事で立ち止まり、勝手に悩んでいるうちに
世の中は無常にも、さらに加速度的に時代が進み
イノベーティブ、ローカライズ、アグリカルチャー
フェルメンテーション、サスティナブル、ローカーボ、ビーガン
モラキュラー、エクスペリエンスetc.
気が付けば一番後ろを走ってる。しかも後ろ向きに・笑
もっと前を見なきゃ。

できなくても理解することは可能だから。
付いて行けなくなればそこまでだから。
まだまだ追いかけます。

それが今日のスタンス。


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