K巨匠のいかんともなるブログ

K巨匠:英国から帰国後、さらに扱いづらくなった者の総称。
また常に紳士的ぶりつつも、現実には必ずしもその限りではない。

コミュニケーションの本質的差異

2009-01-14 17:23:58 | 能力
眠れません。

今日は授業があるので、しっかり睡眠をとろうとしたのですが、全く寝付けません。
一つは最近ずっと徹夜していてバイオリズムが崩れていること。
(昼寝しているので体力的には問題ないのですが。)
もう一つは締切前で頭がフル回転していてアルファ波が全くでないこと。
でしょうか。

なので、ここで一本記事を書こうかなと思います。


***


さて、欧米では概してアジア人はコミュニケーションで苦労するといわれます。
その一つの理由は英語だと思うのですが、
おそらくそれだけではありません。
欧米とアジアのコミュニケーションの差異、これが今日のトピックです。


「一を聞いて十を知る」
ということわざがあります。多分どこかで聞いたことがあるでしょう。

これは賢いといわれるアジア人を如実に表していると思います。
言いかえれば、語り手と聞き手のコミュニケーションにおいて、
相対的な責任は聞き手にある。

だからアジア的な価値観からすれば、
賢い生徒は先生の話を黙って聴き、考えを巡らせる。
そのため、日本の大学では自分の意見を述べる機会が相対的に少なく、
能力は意見の独自性よりも、授業の理解度に求められることが多くなっています。



それに対して、欧米はあえて言うならば、
「十を知ってもらうためには、十を言わなければならない」
文化だと思います。
すなわち、語り手にコミュニケーションの重点がおかれます。

英会話でもその他の授業でもなんでもいいですが、
西洋人の先生の授業を受けたことがある人は気づいているかもしれません。
よほどの大人数でなければ、生徒の参加を求めます。
ものすごく些細なこと(たとえば単語の意味)でも意見を求めてくることが少なくありません。

アジア的価値にどっぷり浸かっているKなんかは、
「時間の無駄だから、とっとと進めろよ」
って思ってしまうのですが、西洋人の考え方はおそらくそうではありません。

Kも最近気づいたことなので裏をとっているわけではありませんが、
おそらく彼らはそれ自体を理解するよりも、意見を述べること、
そのこと自体に価値を置いているように思います。

だから、西洋的価値観からすれば、積極的に意見を言うことが好ましいとされます。


この差異について非常に面白いのが、
アジア人は聞いている時に相手の目を見るのに対して、
西洋人は話しているときに相手の目を見る傾向があります。

これはコミュニケーションの重点の差異を反映しているものじゃないかと思います。


結論としては、アジア人にとってこの差異に慣れるにはある程度時間がかかります。
基本的に私たちは考えをしっかりまとめてからじゃないと意見を言えないからです。
アジアではまとまってない意見をいうと、「でじゃばるな」っていう感じで見られます。
だから「空気が読める」人たちは、そこを読んで慎重に発言機会をうかがわなければなりません。

けどそのルールはここでは通用しません。
とにかく意見をいう。
(特にKはそうなのだが)意見をまとめてからじゃないと発言できないならば、
一刻も早く自分の意見をまとめ、立場を確定させる。
それが求められるのです。

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