K巨匠のいかんともなるブログ

K巨匠:英国から帰国後、さらに扱いづらくなった者の総称。
また常に紳士的ぶりつつも、現実には必ずしもその限りではない。

アラサー

2010-05-22 17:08:48 | お知らせ/挨拶
ばいやー。

ついに昨日をもってアラサーといわれる領域に入ってしまった・・・
あ、連絡くれた方、どうもありがとう

とりあえず、今年は流されるままに気楽に行こうかと。
結構毎日を楽しんでますので笑
変革を求めるのではなく、持続を求めていきたく思います。


では、縁があればどっかで会いましょう。

成長したからこそ・・・

2010-05-19 00:26:05 | 能力
最近、頭の処理スピードが格段に上がった気がする。
それはそれで嬉しいことなのだけど、成長した時に過去を振り返ると、
昔の自分はなんてアホだったんだろうって少し情けなくなる。
そんな感覚が、ここ数年続いております。


思えば、一年前はイギリスにいたんだよね。
あの時はまだまだ未熟で、今のような処理能力があれば、
ちゃっちゃとレポート片づけて、他の楽しいことも多くできたんだろう。
そんなことを考えると少し悔しい。


でも、きっといつも夢中になって頑張ってたから、
今そういう「よい後悔」ができるのだろう。


そう思うことで一件落着!


・・・ってわけにはいかず笑、
やっぱもっと友達に優しくできだだろうし、
旅行もできただろうし、他の何かにチャレンジできたかもしれない。
くやしいなぁ。

地域活性化と問題の定義

2010-05-18 00:22:00 | 日本情勢
結構前になるけれども、GWに青森に行ってきた。
リンゴのイメージの強い青森だけれど、実は海鮮等の特産品が多く、しかもおいしくて驚いた。
けど逆にいえば、この「驚いた」ことが問題なのだと感じた。
例えば、北海道なら元々おいしいことが分かっているので、そんなに驚かないだろう。
青森県においしい特産品があると知らなかったからこそ「驚いた」のである。



まぁ前置はさておき、青森に行ってから地域活性化とは何だろうと考えるようになった。
実は地域活性化が成功した事例というのは、
全国自治体数が1700くらいあることを鑑みれば、そんなに多くない。
打ち手を適当に(思いつきで)打ったら成功した、って事例がほとんどだろう。



そもそも、この「地域活性化」という言葉は厄介である。
地域活性化から想起されるイメージは人それぞれであり、定義が難しいからだ。

より厳格に定義するには、まず目指すべき姿を特定することが必要である。
その上で現状を分析し、目指すべき姿とのギャップを把握する。
このギャップを「問題」という。
したがって、目指すべき姿が特定できないと、解決すべき「問題」が見えないということになる。
当然「問題」が見えなければ、有効な解決策(地域活性化の施策)が打てない。

多くの自治体の抱えている課題はここにある。
ビジョン(=目指すべき姿)がない。
だから地域活性化と言われても何をすべきか分からない。


世界の有名な地方都市には「カラー」がある。
少なくともある程度は、自分たちが目指すべき姿が分かっているからであろう。
そうした方向性があるのは、国の力もあるし、地域の仕組みも作用していると思う。
(綿密に調査していないので、はっきりとは言えませんが)



いずれにしても、地域が目指すべき姿を打ち出さずに、
その場しのぎの振興策を打っていくのは、何となく危なっかしく思えるのは気のせいだろうか?

「好きなこと」が一番のモチベーション!?

2010-05-16 23:25:43 | メンタル
ちょっと前だけど、面白いことがありました。

モチベーション論のMPSモデル。
MPSの、MはMeaning、PはPleasure、SはStrength。
人のモチベーションがどこから来るのかということを説明するモデルです。


M(Meaning)というのは「~するべき」という社会的(個人的)意義からくる
モチベーションを指しています。
思えば、今までKのモチベーションというのは、
ほとんどMeaningから来ていたような気がします。

S(Strength)は、「~ができる」という能力から来るモチベーションです。
どんなに社会的意義があることでも、
自分が現実的にできることでないとモチベーションは上がりません。
例えば「世界を平和にする!」っていっても、
そのためのモチベーションはあんまし上がらないでしょう。
(もし本当にそれを目指すなら、もう少し目的を現実的・具体的にすべきです)

P(Pleasure)は「~するのが好き」というモチベーションです。
これが意外と一番大事だそうです。
好きであることは、モチベーションをもっとも長続きさせるからです。
もちろん、好きなだけで行動するのは子供と同じなので、
好きなことをいかにMeaningとStrengthに整合させるかが肝になります。


いずれにしても、「好き」であるということが一番大事だってこと。
もしかしたら、「当たり前じゃん」って思うひともいるかもしれないけど、
Kにとっては驚きでした。

「とにかく好きなことをする」「好きなことに嘘をつかない」

こんなことを心がけて、やる気を出していきたいですね。
+αで、それが社会の役に立って、自分ができるようなことだと、尚良いです。


勉強になった~笑

「アリの目」と「トリの目」

2010-05-09 23:00:37 | 論理/思想/理論
物事を分析する際、二つの視点が必要だというのはよく言われることである。
一つは、「アリの目」(=ミクロの視点)であり、
もう一つは、「トリの目」(=マクロの視点)である。



まず、「分析」とは何か。
端的に言えば、それは「分けて考える」ことである。
人間は問題全体をそのまま捉えることができない。
何らかの視点から、問題を複数の要素に分けて、要素間の関係性を見なければならない。
この問題の裏に隠れた要素間の関係性(すなわち「構造」)を明らかにすることが「分析」である。

したがって、いかなる分析にも「視点」が必要である。
視点がなければ切り口を見つけることが出来ず、
結果として構造を見出すことができないからである。
そして、ここで必要になるのが、「トリの目」なのである。
全体を俯瞰しつつ、どこに切り口を入れれば問題の構造が見えるかを探る。
仮説を立てる、と言い換えてもよい。

そして「トリの目」に基づいて、ミクロに深堀りしていく。
それが「アリの目」である。
当然深堀りする段階で、それが間違っていたり、近視眼的になったりすることがしばしばある。
そこで、行き詰ったなら、また「トリの目」を使って全体をみる。
そしてまた「アリの目」を用いて問題を掘っていく。
このように「トリの目」と「アリの目」をバランス良く使っていくことで、
問題構造が「見える」ようになるのだ。

大切なことは、自分が今どちらの目で見ているのかを認識しておくこと。
「トリの目」で見るときは、できるだけ全体を俯瞰する。
問題の諸要因を可能な限りモレなくダブりなく見る。
その上で、怪しいところに当たりをつけていく。
一方「アリの目」で見るときは、徹底的に一つの視点から深堀る。
結構これが難しくて、一つのことをしている内に、
いつの間にか別の視点から問題を調べていることがある。
だから、視点をしっかりとロックオンしておく。


余談だが、概して夢中になればなるほど、「トリの目」を忘れがちになる。
ミクロにこだわって、全体が見えなくなるのだ。
注意しなければならないと思う。

現代の日本的組織とは?

2010-05-01 02:10:38 | 日本情勢
日本的経営というと、一般的には終身雇用・年功序列・企業別組合を指す
というのは周知の通りである。
まぁ、企業別組合にはそれほど触れられることはないと思うので、
終身雇用制と年功序列制をもって日本的経営ということが多い。
(やや乱暴ではあるが・・・)

バブルがはじけて日本経済が沈没する中で、
この終身雇用制と年功序列制が、日本の競争力を削ぐ源泉だと言われてきた。
逆に、雇用流動性を高め、成果主義を導入した企業こそが強いのだと言われてきた。
Kも基本的にはそう考えていたのかもしれない。

けど働いてみて、実情は少し違うのかなって思うようになった。
やはり、日本人には個人主義を前提とした契約労働制と成果主義は合わないのではないかと思う。


日本では、良くも悪くも、歴史的に「個」が十分に発達してこなかった。
だから個人のアイデンティティーは「個」の中でなく、集団に属することが多い。
つまり、「~に属する人間」ということで自分を自分と認識できるということだ。

結果として、人が最も多く時間を過ごす団体、
すなわち「会社」が多くの日本人のアイデンティティーの一部となっている。
だから日本の「会社」に属する人々のコミュニティーは、
個人主義が発達している西欧各国に比べて相当程度に密である。
全人格的に結び付けられた互恵関係といっても、あながち誇張ではないだろう。
逆に成果で結びつけられた契約関係では、どうしても日本人は不安を覚える。


このように人格的に結びついた組織としての日本的会社は、
やはり人を簡単に切ることも出来ないし、成果だけで人を評価することも難しい。
「能力の結びつき」ではなく、あくまで「人の結びつき」なのだ。
こうした組織の特徴は、高い忠誠心と強固な団結力である。

一方で、競争原理がうまく働かず、
怠惰になったり没個性的になったりというデメリットもある。
結果として生産性が下がることもしばしばだ。



余談だが、イギリスにいた頃、
フッドという行政組織論の第一人者の本を読んだことを思い出した。
彼によると、人間の組織は文化的に以下の四つの分類しかないという。
①ヒエラルキー型
②水平横断型
③個人主義型
④カオス型
この分類でいけば、伝統的な日本の会社は①、欧米のは③ということになるだろう。



日本に個人主義は合わない。
かといって、現状の年功序列と終身雇用に裏付けられたヒエラルキー型では、
高い生産性の実現は難しいかもしれない。
ではどうするか。

答えは②?
団結力や忠誠心は保持しつつ、横のつながりを強化し、上下関係のしがらみを打破する。
それでいて、安心して働けるような組織環境を体現する。
そんな形の組織は可能だろうか?


例えば、個人ではなく、横の協力関係に基づいた成果主義は比較的な馴染むのではないか?
そんな浅はかな考えはもっていますが、正直まだよく分かりません。