K巨匠のいかんともなるブログ

K巨匠:英国から帰国後、さらに扱いづらくなった者の総称。
また常に紳士的ぶりつつも、現実には必ずしもその限りではない。

アスリートとアントレプレナー

2010-02-23 09:40:57 | メンタル
昨今つれづれなるままにテレビを見たり本を読んだりしている。
晴耕雨読ってやつですかね笑。

そんな折、オリンピックで活躍するアスリートと
世界に変革をもたらそうとするアントレプレナー(企業家)には
一端の共通点があると思えてならない。
それは強靭な「精神力」という共通点であり、彼らからは大いに学ぶべきところが多い。


まずアスリート。

オリンピックを見ながら、彼らはなぜ大舞台で実力を発揮できるのかと考えていた。
いや、正確にいえば、
実力がありながら何故それを発揮できる選手とそうでない選手がいるのか、
また同じ選手であっても何故日にちによって実力を発揮できたり、そうでなかったりするのか。
こんなことを考えていた。

その原因はおそらく技術ではない。
トップレベルの選手の技術にはそれほど差はないだろうし、
また同じ選手が日を追うごとに技術を進歩・後退させるということも考えづらい。
そうではなく、よく言われるのは精神力(メンタル)ってやつである。
だが、これは一体何なのだろうか。

専門ではないので確たることはいえないが、
合理的な説明をするとなると、次のように解釈せざるをえないだろう。
まず精神とは脳である(「心」で考える生物は存在しない)。
人間が脳で考えた様々なことが、脳から発せられる物質によって全身に影響を与える。
スポーツの場合、それが大切な筋肉であるというようにだ。
例えば、負けそうだと思うことによって何らかのネガティブな化学物質が体に作用する。
逆もまた然りである。
したがって、精神力というのは脳の働きであり、それがゲームの「流れ」を作る。

つまり、ゲームで勝つためには勝利を信じ続ける強固な精神力が鍵となる。


さて、アントレプレナー。

アントレプレナーとは企業家という意味だが、
ここではソーシャル・アントレプレナー(社会企業家)に限定させていただく。

一流のアントレプレナーは社会の変革を第一目的に動く。
一見絶対動かないようなものに対しても、決してあきらめない。

ここでのポイントは、「社会をどのように変えられるか」という確信は何一つないことだ。
しかし、彼らは自分が動くことによって「何かが変わる」ということに賭け、
またそう信じている。
一流のアスリートのように、一流のアントレプレナーと呼ばれる人は、
「何かが変わる」という自らの「勝利」を微塵も疑ったりしない。
そこにはやはり何よりも強靭な精神力が必要となる。

彼らはいわゆる敷かれた道からはずれた人ばかりだ。
それでも彼らはそれを不幸だとかリスクだとか思うことはない。
むしろ、社会を変えるという挑戦を楽しんでいるように見える。
そうした精神力を持ち合わせている。
そして、これが最終的に彼らの「勝利」を導いているように見える。


「勝利」を信じ続ける強靭な精神力。
いずれの場合にも、一流と呼ばれる人々はそれをもっているという気がした。

蜃気楼

2010-02-21 20:38:42 | 活きる
更新が滞っていました。

ここ数日は修士論文の発表があったり、先生の送別会があったり、函館に行ったり、
なんやかんやで楽しく過ごしていました。


さて、今度という今度は本当にひと段落・・・というかヒマ


んなわけで、最近はいろいろと考えながら時間を潰しています。
経営のこと。
将来のこと。
目標のこと。
あとゲーム笑(←ところが先日クリアしてしまって今は本当にヒマ


でも特に将来のことを考える時、
自分は蜃気楼のようなものを目指しているのではないかと思うときがある。
そこには本当のゴールがあるかどうかなんて分からないのに、ただ進もうとしている。
そのために今まで結構頑張ってきたかと思うと、なんだか滑稽だよね。

それなのに何故か力がみなぎってくるのは、
きっと自分で考え抜いて出した答えだからだろう。
他人に流されず、「自分」が「自分」であることに誇りを持てるのは、
蜃気楼の目標に向かう道の途上にいるからなのだろう。


目標はまだ明確な輪郭を持ってみえない蜃気楼。
でもゆっくり考えていけばきっと見えると思う。
蜃気楼。そして、
「自分」が「自分」としてこの世界にいることの意味。


どんな大きなことも起こせる。

そして世の中は変えられる。


自信はある。

日米中関係と安全保障

2010-02-04 12:18:42 | 世界情勢
冷戦下において、日本の最大の同盟国はアメリカであったことに異論はないだろう。
日本は西側陣営の一員として、防共の最前線を担ってきたからである。

だが、冷戦構造の崩壊・中国の台頭・日本の政権交代という三要因が重なったことにより、
日本の従来の外交姿勢は見直されようとしている。
特に焦点となっているのが、
アメリカと中国という二つの大国に対していかなる距離感をとるべきかという点である。
これについて日本では若干論点が混乱している感を受ける。

なぜ混乱しているのかというと、
日本のアメリカ・中国に対する外交姿勢を決める要因として二つの局面があるのだが、
それがごちゃまぜになって議論されているからである。
二つの局面とは、
①日本の軍事力強化の問題と、②日米同盟の是非を巡る議論である。
この二つは背反ではないのだが、ここでは敢えて分けて考えてみたい。

第一に、日本の軍事力に関する論点がある。
これは単純に自衛隊の防衛力増大だけでなく、
日本に特殊な憲法9条(平和主義)の問題がある。
つまり、この憲法を改正するか、あるいは解釈を変えることによって、
集団的自衛権の行使を可能にすべきかどうかという問題である。
(現段階の政府見解は集団的自衛権は有するが行使できないとしている。)
この日本の軍事力の問題が、外交姿勢を決める一要因となりうる。

第二に、日米同盟の問題である。
各国が同じ権利と義務を有することを「対等」と定義するならば、
日米同盟は対等な同盟関係ではない。
日本は有事の際に同盟国のアメリカを守ることができないが、
アメリカはその義務を有し、代りに日本はアメリカに基地を提供しているからである。
結果として、日本にとってアメリカは他国とは一線を画す最重要同盟国となり、
アメリカにとっても米軍を駐留させることによって
アジアでのプレゼンスを保持できるメリットがあった。
つまり日米同盟の議論は、日米関係のみならず、
中国やアジア全体を巻き込んだ安全保障の議論となるのである。

そして、①日本の軍事力を現行のままでいくか強化するか、
②現行の日米同盟を是とするか改正を図るのか、によって
日本の外交姿勢と安全保障に関する論点を整理することができると考えている。


a) 日本の軍事力を維持し、かつ日米同盟を是とする場合
これは冷戦時通りの日本の外交姿勢である。
この場合に添えば、日本は防衛に十分な軍事力を持つ必要はなく、
そのために日米同盟が最重要視される。
つまり、アメリカに守ってもらうことによって日本の安全を担保しようとするやり方である。

b) 日本の軍事力を強化し、かつ日米同盟を非とする場合
これはa)の対局にあるアプローチで、最近話題の日米中正三角形論と通ずる。
周知の通り日米中正三角形論とは、アメリカと中国は等距離で接するべきという議論である。
そのためには当然、軍事力に関してアメリカ一辺倒の姿勢を是正せねばならない。
そして、日本は自国を防衛できるほどに軍事力を強化すると共に、
集団的自衛権の行使を認める必要がある。
そうしなれば、他国と対等な同盟関係を築くことができず、
当然アメリカと中国に対して等距離で接することもできない。
しかし、これを採るには国内にも根強い反対論があるだろうし、
アジアからも懸念の声が表明されるだろう。
かなり覚悟のいるアプローチである。

c) 日本の軍事力を強化し、かつ日米同盟を是とする場合
これは一部の保守派の議論に出なくもないが、あまり現実的なアプローチではない。
なぜなら、日米同盟の下でアメリカが軍事力を提供してくれる以上、
膨大な財政赤字の下で日本は防衛費の増大を行う余裕などないはずだからである。
(ただし、国際的プレゼンスを確保するために
集団的自衛権の行使を認めるという議論は現実的にありうる)
ちなみに、これは中国やその他アジア諸国に対してかなり敵対的なアプローチである。

d) 日本の軍事力を維持し、かつ日米同盟を非とする場合
これには二通りの議論がある。
第一に、軍事力の強化にも日米同盟にも徹底的に反対する左派の議論である。
これはc)と同様に現実的ではない。
なぜなら、日本の周辺には北朝鮮というリスクがあるし、
中国の軍拡にも備えなければならない。
彼らはしばしば攻撃させないための外交を強調するが、
攻撃されるリスクがある以上、有事の際にどうするかを考えなくてはならない。

第二に、軍事力の強化に反対する一方で、日米同盟の漸進的な改正を求める議論である。
これは現政権の立場に近いのでないかと思う。
ただし、日本の外交という観点から見れば日本とって得はあまりなく、
むしろ国内の世論を優先させたアプローチであることに注意が必要だ。
なぜなら、日本の現状を維持しつつ、日米関係だけを(一定程度)弱体化させるからである。
もちろんそれによって日米関係が大打撃を受けるという一部の論調は当たらないだろうが、
良好な対米関係に担保された日本のアジアにおける発言力は低下しかねない。


こう見てみると、日本の採るべき選択肢はそれほど多くない。
日米同盟は本当に維持すべきなのか、
もしそうでないなら、それで安全保障と日本の発言権を確保できるのか。
この点についてしっかり考え、
アメリカと中国という二つの大国に挟まれた地政学上の優位性をよく活かしてもらいたい。

自分を信じる

2010-02-01 12:11:02 | 活きる
おぼろげながら、Kには目標があります。

今考えている限り、その目標は巨大なもので、
そいつを追い求めていくと、今後かなりの逆境に晒されるかもしれません。

だから、それに対応できる人間としての理想像はいかなるものであるのか。
たとえば、偉大な事業を成し遂げてきた先人達には何らかの共通項があったのか。
そしてもし自分に足りないところがあるなら、何をどのように変える必要があるのか。
こんなことを最近ずっと考えていました。

そして、それなりに本を読み漁って結果出した結論は・・・

「分からん!!」

の一言です笑。

拍子抜けだと思われたかもしれません。
でも「こんな人間になりたい」という人の性質を箇条書きに列挙したところで、
おそらくその人の性質の全てを抽出することは不可能でしょう。
また仮に抽出できたとしても、人はやっぱりそれぞれ違うわけだから、
紋切型にはめたからって成功につながるとは限りません。

まぁ、あえて考えて出た答えを言うならば、
「人間」ってものに正解はないってことが分かったこと。
言い換えれば、自分の理想像は明確に定義できるものではないということです。
(だからTo Do Listのようなものは駄目です)



理想像を定義できない以上、あるべき姿は固有の経験の中で作り上げていく必要があります。
結局、どんな先人も最初から偉大だったわけではありません。
自分たちが直面した壁と闘って闘って強くなっていったってことです。

だから、これから向かう壁に不安がるのではなく、
むしろそれを乗り越えることを楽しむこと。
そして、その過程で自己が修正・再定義されることに自信をもつこと。
結局これが重要なのだと思いました。


だからもう深く考えるのはやめました。


あるのは目標に向かう信念のみ。
そのためにいかなる時も常に納得のできる自分でいる。
あとは、自分を信じてやるってことです。