物事に「本質」というものがあるかどうかは議論の分かれるところかもしれません。
まぁしかし、ここでは「本質」というものがあると仮定して、それを
「あらゆる諸要素をまとめ上げる最上位概念として高度に抽象化された概念」
と定義するならば、
コミュニケーションに関する本質とは、
「自分を好きになり、人を好きになる」という極めて単純なことかもしれない。
こう見えてKは結構人見知りだということは前々から書いてきたけど、
その都度どうすればコミュニケーション能力を上げられるか
という点について結構考えてきました。
しかし、これについては人それぞれの見解があるので、
何をすれば良いのかあまり分からなかったという経緯があります。
笑顔になりましょうやら、挨拶をしましょうやら、、、
まぁ一つ一つは分かるんだけど、
このようなコミュニケーションの諸要素を全て意識していたらノイローゼになってしまう笑。
そんな折、最近気付いたのは、
そうしたコミュニケーションの技術的側面に本質はないのかなぁと。
本質はもっと心の部分にあって、自分と人を好きになれば、
おのずと技術という外形的な部分にも表れるのではないかと思うようになってきたのです。
「自分を好きになり、人を好きになる」
非常にシンプルで基本的なこと。
けど、そんなことをどっかでおざなりにしてきたのではないかなぁと、
最近気付かされました。
長い間研究者をしていましたから、
どうしても自分や人に批判的になってしまうという一種の職業病みたいなものがあります。
もちろん、だからといって批判の精神を捨てればよいという単純なものではなく、
自分と人への尊敬とうまく共存させていかなきゃいけないのではないかと、
思うこのごろであります。
これがなかなか難しいんだけどね。
まぁしかし、ここでは「本質」というものがあると仮定して、それを
「あらゆる諸要素をまとめ上げる最上位概念として高度に抽象化された概念」
と定義するならば、
コミュニケーションに関する本質とは、
「自分を好きになり、人を好きになる」という極めて単純なことかもしれない。
こう見えてKは結構人見知りだということは前々から書いてきたけど、
その都度どうすればコミュニケーション能力を上げられるか
という点について結構考えてきました。
しかし、これについては人それぞれの見解があるので、
何をすれば良いのかあまり分からなかったという経緯があります。
笑顔になりましょうやら、挨拶をしましょうやら、、、
まぁ一つ一つは分かるんだけど、
このようなコミュニケーションの諸要素を全て意識していたらノイローゼになってしまう笑。
そんな折、最近気付いたのは、
そうしたコミュニケーションの技術的側面に本質はないのかなぁと。
本質はもっと心の部分にあって、自分と人を好きになれば、
おのずと技術という外形的な部分にも表れるのではないかと思うようになってきたのです。
「自分を好きになり、人を好きになる」
非常にシンプルで基本的なこと。
けど、そんなことをどっかでおざなりにしてきたのではないかなぁと、
最近気付かされました。
長い間研究者をしていましたから、
どうしても自分や人に批判的になってしまうという一種の職業病みたいなものがあります。
もちろん、だからといって批判の精神を捨てればよいという単純なものではなく、
自分と人への尊敬とうまく共存させていかなきゃいけないのではないかと、
思うこのごろであります。
これがなかなか難しいんだけどね。