K巨匠のいかんともなるブログ

K巨匠:英国から帰国後、さらに扱いづらくなった者の総称。
また常に紳士的ぶりつつも、現実には必ずしもその限りではない。

集中力と行動力!

2009-10-28 12:34:16 | 能力
本当は認めたくはないが認めざるをえないことは、
集中力と行動力が二流のレベルに留まっているということだ。

特に留学していた頃のことを反省する度にそれが痛感されて、本当に嫌になる。

留学時にもっと成果を挙げられたとするならば、いったい何が足りなかったのかと考えると、
最終的に集中力と行動力の二点が決定的に欠如していたという結論に達せざるをえない。

具体的には、まず集中力が足りなかったために、
①研究において満足のいく成果がでないことが度々あった。
②研究を効率的に行うことができなかったために、研究以外の課外活動に従事することができなかった。

そして、行動力が足りなかったために、
①研究以外の課外活動において、留学ならではの十分な刺激を受けることができなかった。
②語学能力が自分の理想よりも伸びなかった。

この二点は連関している。
すなわち集中力があれば、効率的にレポートを完成させ、他の活動に割く時間を作れたはずなのだ。
そして行動力があれば、研究以外の時間帯を最大限に利用できたはずなのだ。

全く思い返すと自分にあきれるばかりだな



けど後悔ばかりしていても意味がないので、
これからこの自分の弱点を克服するためにどうするかを考えねばならない。
中長期的にみれば、この二つの能力はあらゆる能力値の向上を支える本質的な能力だからだ。

「向上」はいかなる時も忘れちゃいかんよ、ホントに。

カテゴリーリニューアル

2009-10-28 11:51:51 | お知らせ/挨拶
ブログ見ている人はほとんどいないかもしれませんが、
リニューアルに伴い、カテゴリー変えました。

昔の記事はすべて「過去ログ」に入れました。

一応、Kの基準で見直す価値がありそうなのは「過去ログ(コア)」に。
どうでもよさそうなのは、「過去ログ(非コア)」に入れました。

大雑把にいえば、前者には学術的な内容・コアなこと・紀行関連が入っています。
後者にはふざけたもの・生活関連・その他どうでもよいことが入っています。

ではでは。

リーマンショックはなぜ起こったのか その③

2009-10-27 02:38:52 | 世界情勢
こんばんは。リーマンショックについての記事の続きです。
ちなみにKは同事件について一通り調べ終わってしまい、若干この内容に飽き気味です笑
ですが、一応まとめということでリーマンショックについて最後の記事を書きます。


さて、前々回の記事でサブプライム問題が表面化するまでの段階を大雑把に追ってみた。
住宅価格の下落を発端に、サブプライム関連の証券を保持していたあらゆる金融機関の業績が急速に悪化したところまでは前回述べた通り。

そしてサブプライム関連の証券の暴落は、多くの投資家の不安心理をあおり、
健全といわれたプライムローン関連の証券価格の下落にも発展する。

なぜ不安心理がここまで広がったのか。

もちろん一つは経済学上の問題で、個々人が完全合理的に行動できない以上、
心理的な不安から証券売却が実態以上に進んでしまうというのはありうる。
しかし、今回に特徴的だったのが、証券化が複雑に進んでいて、
その中身について非常に不透明だったことがあるのではないかと思う。
そのため、不安の射程が「サブプライム」から「プライム」、ひいては「証券」全体に及び、
証券価格全体の暴落に発展した。
そして、その流れの中でリーマンブラザースは巨大損失を計上し、破たんする。
(*ここ相当端折ってます。もっと詳しくいうならBNPバリパ、ファニーメイ・フレディマック、AIGの問題にも触れなければならないかもしれませんが、まぁ経緯を追うだけの記事にはしたくないし、構造的にはサブプライム問題からの発生という点で違いはないので、ここでは触れないことにします。)

そして、今回最も言いたいことはその後の影響である。
(この点に関しても、題名の「なぜ~」という議題からは若干ずれますがご容赦を。)
このリーマンショックはマネー経済だけでなく、実体経済にも影響を与えることになる。
信用収縮による貸し渋りが起こったからだ。

周知の通り銀行にはBIS規制というものがあるために、
自己資本比率を一定以上に保っておかなければならない。
具体的にいえば、基本的に銀行は自己資本の12.5倍までしか貸出しができない。
ところが、リーマンショックによって不良債権が増加し、それを自己資本で補てんすれば、
不良債権の12.5倍分の貸し渋りが起こる。
このために、実体経済に影響が一気に及ぶこととなる。
これが、リーマンショック後に特に進んだ信用収縮の流れである。

その後、各国は一斉に公的資金注入などの財政出動などによって問題収拾を図ってきた。
その成果あってか、景気は若干持ち直してきたとの見方が強い。

日本経済に関しても、今日付けの日経の景気指標を見る限り、
悪化の速度は若干緩まっているように見える。
(二番底が来るかどうかは専門家ではないので分かりませんが。)
例えば、製品在庫も少しづつ減ってきているようだし、稼働率指数も回復気味。
機械受注や設備投資もわずかではあるが持ち直している模様。
消費も若干上向いているようだ。
もちろん予断を許さない状況であるのは間違いない。

また民主党政権になって公共投資を削減したことが、長期的には良好にしても、短期的にはどう出るか。
さらに内需拡大政策がうまくいくか。
例えば家計への刺激が貯蓄ではなく消費に向かうか。
依然として意見は分かれていて、何ともいえない。

日本では赤字国債に対し否定的な意見が多いが、K個人の素人意見を言わせてもらえば、
ある程度の赤字国債は許容すべきである。
景気が持ち直さなければ、長期的には累積国債額は上がってしまうからだ。
一方で長期金利がじわりと上がっていることは不安要素なので、
それとの兼ね合いはもちろん必要である。

最後にリーマンショックはなぜ起こったのかという本題について考えたい。
こう言われてなんと答えるだろうか。
サブプライム問題が起こったから?
住宅価格が加熱したから?
もしくは証券化が過度に進んだから?
おそらく構造的な観点から述べれば、どれも正しくない。
それは切っ掛けではあるが、構造的な要因ではないからだ。

それは第一回に述べたとおり、世界経済の構造にある。
つまり、米国が過度の経常赤字を世界から還流させ、
マネーで稼ぐ仕組みを作ったこと自体にある。
だから今後の注目点は、このマクロの仕組みが変わるか否かという点だろう。

特に注目すべきは米中関係だ。
中国は米国に対する貿易黒字を維持するために、元売りドル買い介入をしているが、
そのために今や米国債保有高で世界一となっている。
儲けたドルを米国債で運用しているからだ。
したがって、米国の求める元の切り上げはもろ刃の剣でもある。
なぜなら、元切り上げによって対米黒字(対中赤字)が目減りすれば、
ドルが米国に還流しなくなるからだ。

だから米国が中国に接近しているのも、
一番大きな要因はこの二大国が世界経済をけん引しているからである。
世界構造をこのままでいくのか、それとも変える方向に進むのか、
注視しなければならない。
また、その間に挟まれた日本も上手く外交戦略を練らないと、世界からおいていかれることになる。

満足な現状は満足な人生なのか?

2009-10-23 20:52:43 | 活きる
話は反れます。
リーマンショックについてはまた今度書きますが、
今日はマクロな社会論ではなくて、ミクロな精神論です。


さて、Kは自分の目指すべき道が少しつづ見えてくるにつれて、
何かやるせない気持ちになることが時々ある。

それは「現状にどうしても満足できない」ということ。
「後悔」と言い換えてもいいかもしれません。

自分の辿った軌跡を振り返りながら、
「あの時こうしておけば?」
「あの時違う判断をしていたら?」
「あの時もう少しだけ頑張ったら?」
そんなことを女々しく考えながら、思考が停止してしまう。
良くないこととはわかりつつも、前ではなく、後ろにこだわってしまう時があるのです。

目標はめちゃくちゃでかいのに、自分はあまりにも小さくて、
「どうすんだよ一体?」
って思い悩む。
そして気づいたら、「~なんだから大丈夫だ」とかいって、
昔した失敗を何とか正当化しようとしている自分に気づく。
そんな時は本当に情けなくなって若干の自己嫌悪になる。

「ダメだ。後ろ(過去)ではなく前(未来)にこだわらないと。」
と言い聞かすのですが、
そう思えば思もう程、結構後ろに思考がいったりするのです。

他の人がどうなのかは分からないし、恥ずかしくて聞いたこともないですが、
少なくともKの人生の中ではやはり挫折と後悔の方が、成功よりもはるかに多い。
だから、自分の至らなさにやるせなくなる時がどうしてもある。

でも結局は前を向くしかないって気づいて、後ろを思考することを「諦める」のです。


でも、最近一つ思うことがある。

後ろについて考えることは無意味なのか。

昔はそう思っていたのだけども、今はそうでもないような気がしている。
自分の過去の悔しさややるせなさが、自分の今の原動力になっているからだ。
だから自分は前を目指していける。

その意味では、
「満足な現状を積み重ねても、決して満足な人生になるとはいえないのではないか」
「満足できない現状だから、実は満足な人生を過ごせているんじゃないか」
ってそう思っています。

言いすぎかもしれないけど、
人間は現状に満足した時に大切な何かを失う気がする。
何かを強い力で求め続けているから、可能性が生まれるのではないか。

そんなことを今何となく考えています。


閑話休題。

リーマンショックはなぜ起こったのか その②

2009-10-20 16:47:26 | 世界情勢
リーマンショックについての記事の第二回目です。
前の記事から少し時間が経ってしまいましたが、
あくまでも趣味の範囲で調べているだけなのでご容赦を。

さて、前回の記事では、リーマンショックの前提条件となる世界構造の転換が
90年代に起こったことを述べた。
つまり、米国は「強いドル」政策によってドルの価値を高め、
経常赤字以上のドルを海外から還流させることによって繁栄を謳歌した。
ドルを基軸通貨としてもつ米国ならではの経済手法といっていい。

しかし、この「信用」を武器にした繁栄もひずみを生じはじめる。
今回はリーマンショックが起こるまでのサブプライム問題に焦点を当てる。


サブプライム問題を一言でいうならば
「信用の低いサブプライムローンの焦げ付きを発端として、世界同時不況を引き起こした問題」
と言うことができる。

そこでまず考えるべきなのは、当然なぜサブプライムローンが現れたのかということである。

きっかけは90年代後半から21世紀初頭にかけてのITバブルの崩壊と9.11のショックだった。
これらの事件をきっかけに米国経済が急速に落ち込んだため、
FRBは政策金利を大きく引き下げた。

前回のべたように潤沢な資金が米国に滞留する中で、金利を引き下げたらどうなるか。
当然資金が行く先を探す。
そしてもっとも効率的な運用先として挙がったのが住宅市場であった。
中長期的にみれば米国の人口は上昇傾向にあり(移民の増加などによる)、
住宅需要の増加は必然であった。
言いかえれば、住宅市場は価格の下がるはずのない魅力的な投資先だったのだ。

そもそも住宅ローンには信用力の高いプライムローンと、信用力の低いサブプライムローンがあるが、
概して収入の少ないサブプライム層が住宅ローンを組めたのは、
住宅価値が上がる中で自己の資産価値が上がり、
結果としてプライムローンへの借り換えができたからだ。

そして住宅価値神話は「証券化」という手法によってより加熱していく。
まず、住宅ローン債権はレンダー(住宅ローン会社)から他の金融機関に転売される。
なぜ転売する必要があるのか。
レンダーからみれば早く資金を手にすることができ、新たな住宅ローンの融資先を探すことができる。
一方、転売された金融機関(投資銀行など)にしてみれば、
証券化を通じて投資家を集め、キャピタルゲインによって莫大な利益を手にできるのである。

しかし、証券化はあらゆる種類の債権を組み合わせてなされるため、
サブプライムローン自体がどれほどの危険度が高いものなのかが非常に分かりにくい状態になっていた。
それにもかかわらず、投資家たちは上がり続ける住宅価格の神話を信じ、住宅系証券を購入していたのである。

これは言いかえれば、住宅価格が上がり続けるという前提がなければ
成り立たない投資行動だということは一目瞭然である。
それが2005-2006あたりからの段階的な政策金利の利上げにより、住宅市場の過熱が収まっていった。
つまり、住宅需要が頭打ちになっていったのである。

それをきっかけとして、住宅ローン債権の価値の下落が起こり、
付随してサブプライム層が借り換えができなくなったことによる不良債権の増加が起こった。
この時期になると、サブプライムローンは住宅ローンの話だけではなかった。
つまり証券化によって、あらゆる金融機関がサブプライム関連の商品を大量に買っていて、
それらの価値が一気に暴落したのだ。
すなわち、サブプライムローンの問題はあらゆる金融機関、
ひいては実体経済に波及するほどに、金融市場の中に埋め込まれていたのである。


と、ここまでがサブプライム問題の一連の流れです。
では次回はサブプライム問題がいかに世界の信用収縮につながり、
結果としてリーマンショックを引き起こしたのかについて述べたいと思います。

(次に続く)

リーマンショックはなぜ起こったのか その①

2009-10-16 17:26:04 | 世界情勢
「リーマン・ブラザース破綻」
そんな記事をある店の店頭の新聞でみたのは、去年友達とロンドンを旅行していた時だった。
旅行中だったので詳しく記事は読めなかったが、
「これは一波乱あるかな」
と経済の素人ながら感じたことを覚えている。

だが、ことは一波乱どころではなかった。
その後の世界の経済は荒廃し、今も尚、景況の行方は不透明なままだ。

あれから、なぜリーマンショックが起こったのかと度々考えてきた。
しかし、ゆくゆく調べてみると構造的に難しい問題だったので、
かなり時間がないと分析しきれないと思って途中で断念してきた。

とまぁ前置きが長くなりましたが、
要は今暇な時間ができて調べています、ってことです。

なので、ここで少しまとめをしたい。
ただし、この問題は専門家ですらあまり理解できていない状況なので、
ド素人のKが理解できているのは表層的な部分だけかもしれません。
つまりは「あまり自信はありませんよ」とだけ、
「専門外」という言い訳を加えつつ断っておきます。



さて、リーマンショックはなぜ起こったのか。
これを正しく理解するには、もちろんサブプライム問題について理解しなければならない。
そしてサブプライム問題について理解するには、
少なくとも1990年代以降の世界経済の状況を理解する必要があると思っている。
したがって、今回の記事は、
サブプライム問題が顕在化するまでの世界経済状況について概観することにしよう。

もちろん今回の記事の主役は米国。

米国は莫大な経常赤字・財政赤字、いわゆる「双子の赤字」を抱えていることで知られてきたが、
第二次世界大戦後当初は経常黒字の国だったと聞いたら驚くだろうか。

これが赤字に転換したのは、様々な要因があるが、
主に1970年代くらいからベトナム戦争の出費がのしかかってきたことと、
日本等の新興経済国の台頭によって輸入超過になったことがある。

歳出超過の状況に陥った米国は1985年のプラザ合意にてドル安誘導政策をとるが、
その後の「強いドル」政策によって頓挫する。

まぁ「頓挫」という言い方は適切でないかもしれない。
なぜなら、クリントン政権後期(1995-)からは強いドル(つまりはドル高)が
米国の国益と考えられたからだ。

なぜか。

普通に考えれば歳出超過の中で「強いドル」を推進すれば赤字が膨らむのは明らかだ。
しかし、①米国の内需拡大、②経常赤字以上の資金を外国から還流させる、
という二つの手法によりこの政策は正当化された。

実物経済によって生じた損失は、マネーの還流によって補い、
マネーの還流によって生じた潤沢な資金を使えば、
金融市場によりキャピタルゲインで利益を上げることができるようになる。

もう少し詳しくいえば、米国は海外からの投資によってマネーを還流させているが、
米国や米企業の信用が高いために、その利払いは安い。
つまり、安く資金を海外から調達できる。
そして、その資金をもって海外のハイリターン金融市場に投資すれば、
その差額によって莫大な利益を得ることができる。

簡単にいえば、これが1990年代に生じた経済の仕組みであり、
この流れは次第に世界を飲み込むことになる。

これが意味することは、世界中の金融市場の緩和が米国の国益となるということだ。
そのため、米国は90年代以降、あらゆる国に金融市場の緩和を求めていくこととる。
余談だが、日本においても橋本政権から小泉政権にかけての金融市場の緩和は、
この流れの中で位置づけられるものといえる。

まとめると1990年代以降、実物経済をはるかに超える規模でマネー経済が世界を支配するようになった。
つまり、モノを売って儲ける時代ではなく、金融で儲ける時代になったと、
少なくともその時代の先覚者たちは考えた。
そして、金融市場によって生じたひずみがサブプライム問題として現われていく。

(次へ続く)

論理至上主義の陥穽

2009-10-12 13:29:08 | 論理/思想/理論
Kは院生になってから論理的思考力・実践力を徹底的に鍛えたし、
おそらくこれからも、その能力をもって生活することになるのだと思う。
世間においても「地頭」を鍛えるというのが一種の流行のように蔓延しているようで、
「地頭」というのは論理的思考力とほぼイコールの関係で語られている。
いわば論理至上主義の時代である。
しかし、だからこそ言いたいことがある。それは、

論理は完璧ではない。

ということだ。
この単純なことに、いわゆるインテリと呼ばれている人ですら気づいていないように思う。

では、どういう意味で論理は完璧ではないのか。
論理はいくつかの論法をもって結論を導く。
論理が合理的推論を導くため唯一無二のツールであるといわれる所以だ。
しかしながら、それには主に二つの落とし穴があると思う。

第一に、情報の選択の仕方によって、異なった結論を極めて説得的に言えてしまう点だ。
この「極めて説得的に」という部分が重要である。
今話題になっている例で、例えば高速道路の無償化を考えてみよう。
これは経済の観点から、あるいは環境の観点から、賛成意見・反対意見が極めて説得的に語られている。
これは双方の採っている情報(データ)が異なることによる。(詳述は避けるが)
だが、その情報の部分に着目せずに、論的展開だけを追うと簡単にどちらかの結論の方に引きずられてしまう。
論理の怖いところだ。

第二に、仮に同じ情報に基づいていても、
その解釈の仕方によって異なる結論を論理的に導き出すことができる。
これも簡単な例を考えてみよう。
例えば、一週間後に鳩○政権の支持率が60%という数字がはじき出されたとする。
このデータに基づいて少なくとも二通りの解釈が可能だ。
「政権発足一か月を過ぎて尚、高い支持率を保っており、
鳩○政権は今後も国民の期待を背負うことになるだろう」
「政権発足一か月を過ぎて支持率が70%から60%までに急落した。
鳩○政権は政策の方向性が正しいかどうか見直さなければならない」
つまり、同じデータから全く異なる解釈を生んでしまう。

したがって、この記事を通じて言いたかったことは、
ある程度の論理的思考力を備えた人ならば、
どのようなことであれ論理的に言うことができてしまうということだ。
(極論すれば、殺人の合法化など、とんでもなくばかげたことですら論理的に言えてしまう。)
だからこそ、論理は完璧ではない。

もちろん問題解決には論理的思考力と合理的推論が必要なのはいうまでもない。
しかし、社会に「解」がない以上、それだけでは成り立たないのが社会科学の難しいところだ。

特に社会問題を扱う仕事の場合、論理的思考力は仕事の前提であっても、
そこで完結しては絶対にならないと思う。
何らかの高い倫理観、言いかえれば強烈な主観が必要なのではないか、
と最近思うようになっている。

まぁ、そんなこといって自分はどうなんだって言われると返す言葉もないですが・・・

頑張ります。

とかいっておいて

2009-10-12 02:23:10 | お知らせ/挨拶
やっぱり、mixiに堅い内容のものを載せると空気読めてない感じになるので、
俺も日本人ですからそういうのは避けたいということで、
ここもリニューアルして継続することにします。

主にこちらに書くのは以下の二点。

1、学術的内容あるいはそれに対するアプローチ等についての考察
2、mixiに載せるには憚れるほどのコアなこと

両方とも言ってしまえば自分の考えの整理ですので、
これといって友達に教えてはいません。

それでも継続して見てくれている方が奇跡的にいれば、もちろん嬉しい限りです。

あと浅い内容のものは全てmixiに書く予定ですので、それも合わせてご了承ください。

移転のお知らせ

2009-10-10 00:16:05 | お知らせ/挨拶
こんにちは。Kです。
お久しぶり。

ブログはmixiに移転することにしました。
それにともない、このブログも多分何週間かで閉鎖します。

mixiで友達になりませう!!

ではよろしく!