K巨匠のいかんともなるブログ

K巨匠:英国から帰国後、さらに扱いづらくなった者の総称。
また常に紳士的ぶりつつも、現実には必ずしもその限りではない。

ちょっくら旅行

2009-03-31 03:27:42 | 旅行記
こんにちは、Kです。

明日からちょっくらヨーロッパ旅行に行ってきます。
爽やかな風をあびてきまする。

ということで、一週間ほど更新が凍結します。
また帰ってきたら写真とかアップするので、
観てくれている人はお楽しみに。

ではまた~

研究者のぼやき

2009-03-30 06:51:47 | 世界情勢
最近、更新が滞ってました。
特に忙しいというわけでもないのですが、何となく平凡な日々が続いていて、
書くことがあまり思い当らなかったのです。

そんな日常生活の中、Kはあるイギリスの古典的ドラマを観ていました。
それはイギリスの政治を皮肉交じりに描いたコメディ。
前にも言ったとおり、イギリスは非常にシニカルな文化をもっている。
なんでもかんでもストレートなアメリカとはある意味対照的だ。
(だから「欧米人は何でもストレートにものを言う」という日本人の既成観念は、
おそらくアメリカ人以外にはあまり当てはまらないと思う。)

ちょっと話題がそれたけれども、そのドラマは今から20年前、
ちょうどサッチャー政権時にOpen Governmentがしきりに唱えられていた時期のこと。
政府の透明性を確保し、官僚制を打ち砕き、民主主義の赤字を打破するということ。


お気づきですか。どっかの国と現状と似ていますね?


そう、日本は真似ごとをするのがうまい。
欧米からのアイデアをそっくりそのまま移植するのがソリューションだと思っているので、
一見日本にはナンセンスなことでも、そのまま欧米のアイデアが入ってくる。
(たとえば、なんで郵便ポストは赤いのでしょう?w)

もちろん例外はある。
高度経済成長期の活力のあった時代は、いわゆる「日本型産業政策」を創造し、
実行に移した。
詳しいことは前の記事で書いた記憶があるので述べませんが、
今日本がやっているあらゆる政策は、創造性のかけらもない。



何となく、世界の関心が日本から離れていくのが分かる気がする。

日本人の位置

2009-03-23 17:51:55 | 日本情勢
アジアの人たち(特に中国、韓国)と歴史的・政治的議論をすると
大概フラストレーションがたまる。

その理由は主に二つある。

一つ目は、彼らが受けている愛国心教育による。
そもそも社会科学というのは、①自分の価値観を認識できるかどうかと、
②「当たり前」にいかにメスを入れられるかということにかかっている。
しかし、愛国心教育というのは人を盲目にさせる効果を伴う。

例えば歴史問題を例にとると、彼らは時に、
「我々は歴史を知っているが、彼らは歴史を誤解している」という。
しかし、これは全くの思い違いだ。
歴史というのは「事実」ではなく、「解釈」だ。まずこれを認識しなければならない。
どういうことかというと、私たちが習う歴史というのは、基本的に国家が作ったものだ。
それは中学・高校の教科書とカリキュラムが国家によって作られ、
その通りに私たちに教え込まれることからも明らかだ。
だから、私たちの知っている歴史というのは「事実」ではなく、
国家が国家の利益にかなうように「解釈」したものにすぎない。
もし歴史が「事実」だとしたら、全世界の人々が共通の歴史を共有して然るべきである。
(もちろん、そうでないのは一目瞭然)

国家が解釈する歴史というのは国家形成と国民統合に非常に重要な役割をもつ。
中国・韓国では第二次世界大戦が現代国家形成の契機であるので、
歴史教育における第二次大戦の比重は非常に大きい。
それに比べて、日本では第二次大戦というのは一つの出来事にすぎない。
「第二次大戦に勝った我々に誇りをもて」とはいえても、
「第二次大戦に負けた我々に誇りをもて」とはいえないだろう。
だから、日本人の第二次大戦に対する意識は非常に希薄だ。

ここで問題になるのが、愛国心教育の役割だ。
愛国心教育の一つの役割は、
国家が「解釈」した歴史を「事実」として国民に押し付けることによって、国民統合を図るということだ。
私たちの習ってきた歴史が、唯一で絶対的に正しいものであり、
他国は歴史を歪曲しているという「認識」を私たちに押し付ける。
結果として、愛国心教育を受けた学生はどんなに優秀であっても、
自分たちの歴史に批判的になれることはまずない。
言いかえれば、上記の二つの能力、①自分たちの価値を認識し、
②「当たり前」を批判することができなくなってしまっている。
だから、Kのような研究者にとって、
自分たちの位置を把握しようとしない彼らと議論することがバカバカしく思えてしまう。


フラストレーションの二つ目の理由は、Kを含む日本人の自意識自体にある。
日本という国は150年前から常に西洋を追いかけ、追い付こうとしてきた。
現在に至るまで、学ぶべき対象としてアジアにはほとんど目もくれなかったといっていい。
だから、日本人の意識のどこかには、欧米に対する憧れとアジアへの蔑みの感情がある。
例えば、ある日本人が外国人に英語で話しかけられたとしよう。
多分その人はおどおどして、何とか英語を話そうとする。
けれど、それが韓国語や中国語の場合には、
「ここは日本なんだから日本語で話せよな」という態度に出る。

一方アジア側から日本を見る意識というのは、ちょっと違う。
自尊心の強い彼らは認めないだろうが、おそらく羨望とそれに対する反発の意識が混在している。
だから、日本製品や日本文化を愛する一方で(例えば日本のアイドルグループやアニメはとても有名)、
強烈な反日運動が起こったりする。
これは、日本の米国に対する感情と若干似ているところがある。
(アメリカ死ねとか言っておきながら、洋楽にハマっている人など笑)

日本で上記のような現象がアジアに対して起きないのは、
アジアに対する優越意識からと、学ぶべき対象としての無関心から来ているように思う。
正直、こうした感情からKも完全に免れていない。
だから、彼らと政治的・歴史的議論になると、「何をぬかすか、貴様ら」と、感情的になることがある。
こうした感情は英国人に対しては絶対に持たない。


この記事を通じて何が言いたかったかというと、
自分たちの位置に批判的になることがいかに大事かということだ。
私たちの「当たり前」は決して彼らの「当たり前」ではない。
これは異文化理解またはあらゆる分析において、基礎となるものであると思う。

人間としての力

2009-03-20 04:40:57 | 能力
最近暗い話題が続いておりました。すみません。
とりあえず、今日をもって一段落しました。
まぁ勉強やら何やらで結構大変で、泣きごとばっか心でわめいたのだけれど、
一応なんとか乗り越えることができそうです。

そんな中で、ちょっと意識していたことがありました。
それはすごく抽象的なのだけれど、
人としての能力とか魅力を引き上げるっていうこと。
言いかえればnon-verbal communicationの能力を上げるということ。
まぁ具体的にいえば、どうってことないことで、以下のようなことです。


一、疲れや感情を人に悟らせない

二、人の目を見て話す

三、努力と負けず嫌いとチャレンジ精神を大事にする


一は難しいです。どうしても徹夜明けとかは顔に出てしまうから。
でもできる限り悟らせないようにする。

二はKのちょっと苦手なこと。
大勢の前で話すのは得意なのだが、一対一というのはなぜかあまり得意でない。
特にKは目そらし症候群ですので、欧米文化になじむためには改善が必要でした。

三、努力は言うまでもなく、負けず嫌いは努力のバネに、
しかしそれは保守的な努力ではなく、常にチャレンジしていく革新的な努力に。


できたかな?
いや多分、できてなかっただろうな。

But I'm sure I did my best.

心配してくれた皆、どうもお騒がせしました

終わった・・・

2009-03-19 21:27:25 | 試練
終わった・・・

完璧じゃないけど、
今の俺のベストパフォーマンスは出せたはず。
その意味ではきっと妥協してなかったはず。

ups...

だめだ。

寝る。。。

逆境中の逆境

2009-03-19 07:22:24 | 試練
今までも結構大変なことはあったが、今回はマジで別格だ・・・

耐えろ、耐えろ。

あと、18時間。

体よ、心よ。頼む。もってくれ。。。

眠れねぇ。

2009-03-17 13:30:11 | 試練
ちくしょ、また頭ヒートアップ現象が起こってて、眠れない。
疲れているはずなんだけどな。

いや、でもきっと天が、
「てめえはまだまだ努力が足りねえんだよ。サボってんじゃねえよ!ボケ!」
って言っているのでしょう。

はいはい、すいませんでした。

今日も徹夜でがんばりますよ~っと。

更新

2009-03-16 23:11:19 | お知らせ/挨拶
今、勝負どころなので、
更新はしばしお待ちください。

多分、金曜くらいにはすると思います。

ではまたお会いしましょう。

人生の定義

2009-03-12 21:18:36 | 活きる
自分にできること。

周りを見渡せば腐るほどある。
些細なことから、ちょっとした野望まで。
もちろんできることよりもできないことの方が多いかもしれないけど、
自分にできること、できそうなことは数え切れないほどある。





じゃあ、

自分に「しか」できないことって、一体何?
これは難しい。探しても探しても見つからない。
俺よりも頭のいいやつはたくさんいる。
俺よりも英語のできるやつはもっとたくさんいる。
俺よりも親切なやつはもっともっとたくさんいる。

じゃあ、

俺にしかできないことって?
自分がこの世界に生れてきた価値って、一体何?


そんな他愛もないこと、答えの出るわけもないことを、
最近考えてました。


でも、これってゆっくり考えていく価値はあるかもしれない。
言いかえれば、人生ってもしかしたら、

「自分にしかできないことを探す旅」

なのかも、って詩人みたいなことを最近思っていて、
これが今のKの人生の定義になっています。





みんなも人生の定義を持っていますか?

つれえ・・・

2009-03-10 13:33:49 | 試練
現在、Kは逆境中の逆境にいます。

つらっ!

肉体的・精神的に、
そして勉強もそれ以外のことも、
全てにおいて追い詰められております。

ups...

さすがにキツイな~こりゃ。

もうすぐ5時です。
一時期はやめてたタバコと、
ペパーミントティーを精力の糧にして、
闘っております。


人間としての力は逆境のときにこそ発揮されるんだ!


っていいきかせながら、何とか土俵際で持ちこたえております。



にしても、日本の友達は誰もそんなKに連絡してくれないもんな~。
やっぱりあれでしょうか、
西洋化の過程で日本がアジア一の個人主義になったってことの反映でしょうか。
やっぱり自分のことは自分で片付けろってことでしょうか。

K,悲しス。。。

と、思っていた矢先にある親友がメールしてくれました。

あざーす!

相当嬉しかったです。