K巨匠のいかんともなるブログ

K巨匠:英国から帰国後、さらに扱いづらくなった者の総称。
また常に紳士的ぶりつつも、現実には必ずしもその限りではない。

クイズ番組の危うさ

2010-01-23 19:13:56 | 日本情勢
クイズ番組ブームである。
多分、若いころの勉強を思い出して楽しみたい大人に加えて、
子供の教育にとって有用だと考える家族層にうけているのではないかと思う。

もちろんそれを楽しむこと自体を否定する気はない。
けれど、クイズ番組ブームは日本全体の教育の傾向を反映している気がしていて、
もしそうならば日本の将来にとって非常に危ういと感じている。


クイズ番組と日本の教育を見ると、両者に共通しているのは「知識の追求」だ。
良くいえば暗記、悪くいえば丸覚えである。
確かにバラエティの感覚からいえば楽しいかもしれないが、
それが現在もしくは将来有用かといえば、答えはほとんどNoであろう。

言うまでもないことかもしれないが、インターネットが普及した現在において、
知識はほんの数秒で手に入る。
言い換えれば、知識があふれる情報社会の中では、「暗記人間」には市場価値が薄い。
それ自体では他の人材と差別化できず、希少性がないからだ。

例えば、「1985年に締結されたドル安に誘導するための国際上の合意は?」
と問われて「プラザ合意」と答えられてもあまり意味がない。
インターネットで調べれば誰でも分かるからだ。
そうではなくて、より重要なのは、それがなぜどのように起こり、
後世にいかなる影響を与え、今にどう活かせるかを考えられることである。

もちろんこれはただの例にすぎないし、この例自体に意味があるわけじゃない。
何が言いたいのかといえば、「暗記力」より「創造力」ないしは「思考力」が
これから大事になるだろうということだ。

なぜなら、日本はすでに先進国の一員であり、
創造力と思考力を働かせて自ら道を切り開いていかなければならないからである。
ミクロな観点からいえば、グローバル社会の中では、目指すべきモデルは自分の中にしかない。
だから「自ら考えることのできる」人材はこれから求められる一方で、
それができない人材は相対的に市場価値が下がるだろう。


したがって、「暗記詰め込み型人間」を作りあげるような現在の教育は間違っている。
(そういうKも暗記大好き人間だったので、自分への皮肉を込めて言っているのだが)
専門ではないのでかじった程度にしか知らないが、
フィンランドやインドでは、創造力や思考力を鍛える教育を導入しているらしい。
クイズ番組のような知識追求型の教育が正しい方向性だという風潮が日本に残っており、
またそうした風潮がクイズ番組によって強化されているならば、
これは上記のような国と比べて国際競争力の低下につながりかねない。

メディアの利権と世論調査

2010-01-20 00:59:32 | 日本情勢
メディアの声は国民の声ではなく、
メディアの声はただメディアの声に過ぎない。


メディアによる見解はその利権を擁護するためとしか思えない時がある。
事務次官の記者会見の禁止、放送利権の制限、そして今回の検察リーク騒動。
ここには全てメディアの利権が絡むため、全力をあげて民主党を批判してきた。

どのような団体にも利権はあり、それを擁護しようとするのは当然のことだ。
だが、許せないのは、
メディアはさも国民の声を代弁しているかのように報道する点にある。
つまり、メディアは民主主義の主権者である国民の威光を借りて、
「自分たちの意見」と分らせないように「自分たちの意見」を発するのである。


そして、その最たるものが世論調査である。


世論と世論調査は違う。
まず世論とは人々の意思の総体である。
言うまでもないが、日本の世論という場合は日本国民の意思の総体のことを言う。
それに対して、世論調査とは、世論をあるプリズムを通じてみせるものである。
しかし、そのプリズムが正確でなければ、
しばしば世論を歪曲して映してしまうのが世論調査の怖いところである。

例えば、確かこんな調査があった。
「普天間基地問題に対する民主党の対応に問題あるかどうか」
この問いに対して、「問題がある」と答えた人が6割を超えたため、
メディアは民主党に早期妥結を促した。
言うまでもなく、早期妥結から示唆されるのは現行案での解決だが、
これは明らかに世論を歪曲している。

なぜなら、「問題がある」と考えている人の中には、
現行案解決を求める人、県外・国外移設を求める人など、あらゆる層が含まれるからだ。
しかし、メディアはしばしばそれを自分の政治的主張に都合のよいように解釈し、
「国民の声だから」として時の政権を批判する。


こんな例は挙げればきりがないので止めておくが、
ここから分かるのは、世論調査はその質問内容によって、そして結果の解釈によって、
かなりの程度において解釈の余地があるということだ。
すなわち、世論は相当程度「作る」ことができる。
だが、それがあたかも国民の声を正確に(つまり、それ以外に裁量の余地なく)
反映する客観的指標のように作用ところに問題がある。


したがって、読者としてできるだけ正確に世論をつかむためには、
なぜその時期に世論調査が行われたのか?
その質問の意図は何か?
表れた数字に別の解釈はできないか?
などということを考えないといけない。


世論調査は世論を見せるものには違いないが、
あくまでも「作られた世論」を見せるものであることに注意しなければ、
簡単に情勢を読み違えることになる。

修論終了。

2010-01-15 01:02:11 | 試練
ふぅ。ようやく修論が終わりました。

最初はかなり緩い感じでやっていたんだけども、
やはり〆切前の一週間はそれなりに頑張りました。

これから二ヶ月間くらいはかなり暇なので、何しようか考えてます。

やはりここはインドアに読書でもしようかと。
読みたい本がかれこれ10冊はたまっていますので。

けど、たまにはKをアウトドアに引きづり出してほしいです。



さてさて、やはり結構長い論文を書くってのはそれなりに難しく、
今回も100%の出来というわけにはいかず、何点か反省点が残りました。

特に以下の二点について悔やまれるところです。

①仕上げへの行程表を甘く見積もりすぎていた。
②論理の構成を難しくしすぎた。


①については、英国にいたときからいつも反省点として挙がっていたので、
やはりまだまだ成長が足りないことを実感させられました。

確かに論文は行程表を作るのが難しい。
1日中考えても全く成果の出ない日もあれば、やたらとスイスイ進む日もある。

とはいえ、それならば行程表を厳しめに見積もっておくべきだったと思います。
そうしないと、最後に余裕をもってチェックできなくなってしまい、
結果としてよい成果が残せなくなってします。
〆切前にバタつくのは、やはり一流ではない。


また②に関して、論理は"Simple is best"が絶対的な法則であることを
改めて思い知らされました。
論文に限らず、人に伝えるためのものは、どんな形態にせよそれが言えると思います。

それを無駄に複雑な論理を組み立ててしまったので、
最後に混乱してしまったというわけです。

論理思考力が足りないと言われればそれまでですが(今後鍛えていきます)、
それでも全体をSimple, Precise, Communicativeな仕上がりにすれば、
この点は問題にならなかったはずだと思います。


とにかく、まだまだだと実感した今回の修論でした。
でも、この実感が最大の成果だったのだと思える日が来るように頑張らなくてはね。