K巨匠のいかんともなるブログ

K巨匠:英国から帰国後、さらに扱いづらくなった者の総称。
また常に紳士的ぶりつつも、現実には必ずしもその限りではない。

愚かな群れ

2011-03-27 23:21:23 | 日本情勢
日本人は群れるのが好きでたまらないようだ。


「群れ」を作るということが、
目的合理性に照らして合致していようとしなかろうと、
そんなことは関係がない。

あたかも「群れ」を作ることそのものが目的であるかのように、
あるいはそれが生物的な本能とでもいうべきかのように、
群れを作らずにはいられない。

日本人の社会にはそんな圧力がある。


当たり前のことだが、ある方向に行く推進力という点では、
群れは個人に勝るが、別の方向に曲がる転換点においては、
個人の力が強くないとどうしようもない。

そして現在の日本社会や多くの日本企業は、
新たな方向に舵を切るべき転換点にある。

しかし、そんなことはおかまいなしに、
「出る杭」は打たれ、
全ての人材を均質化しようとする。


そんな日本社会に強い憤りを覚えるが、
もっと憤りを覚えるのは、
それを所与として、当たり前として感じている、
日本人の知力のなさについてである。

引越

2011-03-22 00:35:06 | お知らせ/挨拶
引越の準備に追われております。

地震もあったせいで、家具の配送が遅れたり、
なんやかんやでバタバタしてます。

引っ越したら、パーティーでもしましょ~

テレビの時代の終焉とメディアの多様化

2011-03-15 23:40:09 | 日本情勢
地震でしたね。

白ひげの力でしょうか?

まぁどうでもいいKの妄想は置いといて、
本題に入ります。



テレビの時代が終わる。

一昔前は、費やす時間にしても、信頼性にしても、
テレビは第一のメディアであった。
だからコンテンツとしても端末としても、
テレビはメディアの中で第一の存在であった。

しかし、ここ10年間くらいで、
このトレンドが終焉を迎えつつある。
テレビに費やす時間が減少しているということは、
統計情報から分かっている。
またアンケート等からテレビメディアへの信頼性が落ちていることも、
よく言われていることだ。


では代わって、どのメディアが、
今後10年間くらいの中核的な位置を占めるのであろうか。
コンテンツとしてはネット情報が中心になるのだろうが、
端末の観点からは、
スマートフォン、タブレット端末、PC、
等が考えられるが、確信を持ってどれとは言えない。

おそらく、人のライフスタイルに合わせて、
情報をとる端末は多様化していくのだと思う。
同時に、ゆるやかに、
PCやテレビ等の「オールドメディア」から
スマートフォンやタブレット等の「ニューメディア」に移行するだろう。


このトレンドから言えることは、
(当たり前だが)人は「いつでもどこでも」を求めるということだ。
現代人のライフスタイルは、昔と比べて、
外で過ごす時間が多くなっていることを考えると、
スマートフォンやタブレットの方が便利なのは明らかだ。

そう考えると、付加情報をつけるという観点からいえば、
(例えば)テレビは絶対スマートフォンに敵わない。
オールドメディアにポータブル性はなく、
結局家にいる時しか情報にアクセスできないからだ。
その意味では、おそらく「スマートテレビ」の需要は、
限定的にとどまるだろう。
別の言い方をすれば、テレビのコモディティ化は止まらず、
価格は値下がり続ける。

まぁ情報ではなく、画面に付加価値をつけるという意味で、
3DTVはあるが、流行るだろうか。
これも他の端末の模倣可能性が高いことを考えると、
前途は暗い。


いずれにしても、今後10年は支配的なメディアは現れず、
多様化の方向に進む。
そしてより長期トレンドとしては、
移動端末に需要が移るだろう。


そして、コンテンツ企業にしろプラットフォーム企業にしろ端末企業にしろ、
メディア変化の波に迅速に乗れる企業と乗れない企業では、
今後大きな差が開くに違いない。

すごいやつ

2011-03-15 00:18:14 | ヒト
世界にはすごいやつがいる。


こういうと、大袈裟かもしれないけど、
ラオさんは本当にすごい。

イギリスの留学時代に会った彼女は、
知と志の両方をもっている。

この二つの性質は、意外と背反に近い性質をもっているらしく、
あまり両方を持っている人はいない。

けどラオさんは両方持っている。
まだ三つ下の彼女だが、
心の底ではKのライバルだ。


最近連絡があって、
上海のトップファームに就職したらしい。

負けたくない。
心底そう思える、
良い友である。

大切にしたい形容詞

2011-03-06 22:39:28 | 能力
好きな形容詞が三つある。

logical, global, hungry、だ。


logical.
前回記事と重複するが、
第一に、とにかく論理(演繹・帰納)に厳格さをもたせること。
実用的な観点からいえば、
仮説を立案して検証するプロセスを、
疑義がはさめない程、厳格かつ説得的に行うということである。

第二に、仮説というものは、
必ず無意識的に何らかの前提条件を置いている。
「Aという前提があるから、解決策/解決すべき問題(仮説)はBである」
といった具合にである。
この隠れた前提条件Aを意識化し、常に疑いの目を向け、
既存の仮説を変更/破壊し、よりよい仮説を生み出していく必要がある。
そうでなければ、B(仮説)はありきたりのものしかでないだろう。

まとめると、仮説としてはあらゆる可能性を検討し、
一番もっともらしいものに対して、厳格なlogicをもって検討する。
これが価値のある知的生産の在り方だと思う。


global.
日本は特殊だ。
もちろん、地球上の全ての地域に一定程度の特殊性はあるにしても、
日本社会は、グローバル社会から一種の隔絶状態におかれたまま今日に至っている。
だから、グローバルでは常識なことは、日本で非常識であったり、
その逆もまた然りである。

そのことを意識したうえで、
敢えて日本が特殊な道をゆく、ということならまだいいが、
ほとんどの日本人が自分がグローバルであるのかどうか意識しないし、
そんなことを考えるのは意味がないと思っている。
典型的な「日本村」である。

もちろん、日本の特殊性がいろいろな意味で強みとなっていた過去なら、
良かったのかもしれないが、今はそれが弱みとなっている。
(典型的には、日本の労働生産性の低さを見れば一目瞭然)

だからこそ、グローバルスタンダードに照らして、
日本での所与の常識を、「当たり前」と思わないマインドが必要である。


hungry.
最後にして、最も大切にすべきである。
なぜなら、logicalでglobalであっても、
結果を残せなければ意味がない。
そのためには、やや精神論的ではあるが、
結果に対して邁進する必要がある。

たまに、何かをする際に「態度」や「姿勢」が大事だという人がある。
個人的には、こうした価値観は大嫌いである。
大切なのは結果であって、「態度」や「姿勢」のようなプロセスには、
何の意味もないし、何も生み出さない。

本当の意味で自分が価値のある存在になるためには、
結果にhungryになること、がどうしても必要である。


とちょっと過激なことを書いてしまいましたが(-_-;)、
いずれにしても上記の三つの形容詞は大切にしたい。

この三つの形容詞の被修飾語となれるような人が、
うちの職場には一人いて、
いつかその人みたく自分がなれればよいと、
日々邁進したいと思います。