K巨匠のいかんともなるブログ

K巨匠:英国から帰国後、さらに扱いづらくなった者の総称。
また常に紳士的ぶりつつも、現実には必ずしもその限りではない。

「頭がよい」を考えるの補足

2009-01-22 20:00:09 | 能力
↓を読み返したら、かなりえらそうなことを書いていましたね。

もしKが自分の頭のよさを自慢しているとか、
Kが自分を頭がよいって思ってる、って誤解されると嫌なんで一応補足しておきます。


はい、そんなことは全く思っていません。


相手の論理を批判することと、
自ら論理を構築することは本質的にちがいます。

前者は一定のトレーニングを積めば誰でもできますが(だからKでもできる)、
後者はなかなかそうはいきません。

だから最後に書いたのは、
後者をもって「頭がよい」ことの基準とすべきと言ったわけです。


Kはその点全然、修行不足です。
ホントにだめポです。
ま、一応誤解されないための、補足でしたっと。

栄養ドリンク

2009-01-22 18:49:06 | ライフ
イギリスには、Red Bull(赤い雄牛)とかBlue Bolt(青い稲妻)とかいう名前の
Kがレポート執筆時に常用していた栄養ドリンクがあるのですが、
今日イギリス人に、
「あんま飲みすぎると心臓発作起こすよ」
っていわれました。


早くいってくれよ・・・


ちょっと最近は体を痛めつけすぎたかな・・・

皆さんは健康には気をつけて。

「頭がよい」を考える

2009-01-22 10:30:13 | 能力
頭がよいとか、賢いとかって日常でよくいわれるけど、それらの定義は人それぞれだ。

そういえば一年近く前、友達と頭がよいってどういうことかって語りあった覚えがある。
あの時は明確な答えが出せなかったけど、多分今なら自分の答えが出せる気がする。

特に「頭を良くすること」は今のKの目標の大きな一つなので、
ここで少し考えてみたい。





まず明確にせねばならないのが、何のための頭の良さかということだ。
ある目標への「頭の良さ」は、違う目標に関してほとんど役に立たない場合がしばしばある。
例えばIQがものすごく高い物理学者が有能な政治家になれる保証はどこにもない。
なぜなら、この二者に要求される「頭の良さ」の質は全く異なるからだ。
つまり、頭を良くすることの目標を明確にしなければ、
何をもって「頭が良い」というのかを考えることができない。

これに関してはもちろん人それぞれで全くかまわないのだが、
ここではK個人の利益に基づき、
「社会問題を分析するための頭の良さ」と定義することにする。


ではそのための「頭のよさ」ってなんだろうか?


1.学歴
これは多くの人にとって、「頭がよい」ことの指標の一つだろう。
もっとも分かりやすく、目に見える基準だからだ。

でもかねてから言っているように、学歴というのはたいがい一つの試験の結果に過ぎない。
だから学歴をもって「頭がよい」というならば、
頭のよさは英語や数学や国語の成績によって定義されることになる。
しかし、この成績がよいということが社会問題の分析にどれほど役に立つのかは疑問だ。

もし仮に上記の成績が社会問題の分析に役に立つと見なしたとしても、
学歴と頭が良いことの間には相関関係が成り立つにすぎない。
(すなわち、学歴が高いということが頭がよい「可能性」が高いということ)
だが、学歴があることによって「頭がよい」と保証される因果関係は成り立たない。
(すなわち、学歴が高い人が皆「頭がよい」というわけではないということ)


2.知識
これも頭がよいという時に多くの人が連想することだろう。
確かに、多くの知識を持っているということは、
社会問題を考える上で重要といえるかもしれない。
だがこれにも二点ほど問題がある。

第一に知識の質である。
つまり、①何を②どの程度深く知っているのかということである。
これを考えないまま、単に雑学王のような人を頭がよいと見なすことはできない。

第二に、上記をクリアしたとしても、
知識があることは頭がよいための必要条件ではあっても十分条件ではない。
ちょっと専門的にいえば、
頭が良い→知識がある、は成り立つといってよいかもしれないが、
知識がある→頭が良い、は成り立たない。

これはある命題の逆は成り立たないという論理学の基本でもある。
(ちなみに対偶は成り立つといってよいので、この命題はある程度的を得ているといってよい)


3.要領の良さ
これは上記二つに比べればある程度的を射ている。
つまり、要領がよい→頭がよい、は一定の条件下で成り立つ。

その条件とは何か。

上記のように今回の頭のよさは社会問題を分析する上での頭のよさなので、
その問題の本質をすばやく吸収し、自分のパースペクティブを出さなければいけない。
その意味で要領がよいというならば、これはKのいう頭のよさにかなり近い。

が、たいてい世間でいわれる要領のよさというのは、
もっと単純な仕事や勉強の仕方をすばやく吸収できる、という意味で使われることが多い。

それができることと、Kのいう頭の良さの間には因果関係は成り立たないし、
どれほどの相関関係が成り立つかも疑問だ。


4.論理的正確さ
正直、現段階ではこれが結論のように思う。
なぜなら論理的であることとKのいう頭のよさには、
おそらく因果関係が成り立つからだ。

まぁそんな小難しいことを抜きにしても、
この「論理」を使えば、誰が何をどれほど理解しているのかをいとも簡単に見抜ける。
要は、見かけは理屈っぽい人でも、本当に頭がよいのか、ただの知ったかなのかが、
論理を注視することではっきりと分かる。
これは例えば友達とかだけではなくて、有名な学者や政治家などの場合にも適用できる。

まぁこれには専門的なトレーニングが必要なので一朝一夕に身につくものではありませんが。
(←自慢w。Kも苦労したんですよ。)


だから、Kは基本的には論理性の指標によって
ある人が頭がよいかを判断しているのではないかと思う。