K巨匠のいかんともなるブログ

K巨匠:英国から帰国後、さらに扱いづらくなった者の総称。
また常に紳士的ぶりつつも、現実には必ずしもその限りではない。

一般化の意味

2009-01-25 03:42:16 | 論理/思想/理論
例えばある友達がこう言ったとしよう。

「日本人って和を大事にする人たちだよね。」

あなたはこの友達の意見を批判したい。

さて、何といえばよいだろうか?








(シンキングタイム)








はい、答えは固まりましたか?

もしあなたが、

「日本人のすべてが和を大事にするわけじゃないよ。」

と批判したとしたら、残念ながらその批判はかなり弱いといえます。


***


今回のトピックは一般化について。
一般化とは何らかの自然現象や社会現象を大まかにつかむために、
一定のモデル化をすることです。

別に学問の世界だけではなくて、
人間である以上、私たちは日常生活で一般化という手段を多様しています。

「この学校のやつらってよ~、・・・だよな。」
「やっぱりジャニーズは格好いいなぁ。」
「だめだ、イギリス人の飯はまずすぎる。」
「なんで女って結婚結婚うるさいのかね!」
「Kはすべての女の子を愛してやみません。」

とかは一般化の例の一部です。
なぜ私たちが一般化を使うのかというと、
おそらく一般化なしでは多様な現実を理解できないからです。
だから、一般化という手段は私たちにとって、とても重要な知的活動の一つだといえます。



なので、もうおわかりですね。
最初に挙げた、
「日本人って和を大事にする人たちだよね。」
というのも一般化の一つです。

この一般化を批判するには、
反例を上げるだけでは弱いのです。
なぜなら、一般化というのは、「概してこうだ」といっているだけなので、
いくつかの例外は織り込み済みだからです。

だから、例えば、
「でも、AちゃんもBくんも和なんて大事にしない。
だから全ての日本人が和を大切にするわけではないよ。」
って言ったところで批判にはなりません。


ではよい批判とは何か。
それには主に二通り考えられます。


第一に、この一般化自体が的を得ていないことを指摘する。
例えば(真偽は別として)、
「今の日本人は和などは考えない。なぜなら、西洋化の過程で個人志向が加速しているからだ。」
もちろんこれを言うには一定の証拠が必要なのは言うまでもありませんが、
論の方向性としてはOKです。


第二に、この一般化が過度の一般化であることを指摘する。
例えば、日本人の和を大切にする人と、そうでない人の割合が、
5:5や6:4くらいの場合は、
「日本人って和を大事にする人たちだよね。」
という命題は成り立たないといってよいでしょう。
なぜならこれは、過度の一般化(overgeneralization)といえるからです。


みなさんの批判はどうでしたか?


今回は比較的やさしいトピックでしたが、
学問的にこれをやるにはなかなか難しいものがあります。
様々に論拠を確定しなければならないからです。

何はともあれ、この一般化はいろんなところに転がっています。
例えば、その視点から新聞を見てください。
これはおかしいんじゃないか、
という記事であふれていますよ。(笑)