こんばんは。相変わらずレポートに追われております。
それにもかかわらず、今日は16:30-18:30と21:00-25:30まで爆睡してしまい、
否応なく徹夜しなえればならない状況になっております。
こうやってバイオリズムが壊れていくのですね。
まぁそれもあと数日ですので、頑張りたいと思うのですが。
さてさて、今日は最近ちょっと気になっていることを書きたいと思います。
というのは、妥協しないってのが難しいってことです。
ただここでは、妥協しないということ自体が難しいというのではなくて、
「妥協していない」と自分で思える「点」を探すのが難しいってことです。
けど、その基準をもたずに「妥協しないぞ」って意地はっていても、
それは大概にして感情的なものでしかなくて、
「妥協していない」ことが必ずしも高いパフォーマンスにつながる保証はありません。
(だから今までのKはホントにアホだったなぁとつくづく思うのですが。)
なので、現実的にどの「点」を超えれば自分にOKサインを出すべきなのか、
考えてみたいと思います。
1.体力の限界
ここに基準を持ってくるのは正直嫌です。
というのも、Kはマラソンは遅くとも、勉強に関しては意外とタフなので、
なかなか体力の限界は訪れません。
おそらく2、3日睡眠をとらないくらいだったら、まだ限界とはいえないでしょう。
けど、めちゃめちゃキツいのは確かです。
だから、事あるごとに体力の限界まで勉強していたら死んでまいます。
なのでこれは「妥協しない点」とは違うと思います。
2.精神の限界
これは議論の余地はありません。
なぜならKにとって体力の限界<精神の限界だからです。
つまり、妥協しない点<体力の限界である以上、
妥協しない点≠精神の限界です。
3.納得できる点
これは上記のように自分ではなくて、
対象にフォーカスを当てている点で、Kの中の「妥協しない点」に近いです。
しかしこれでは、「納得」というのが何を示しているのか、
さっぱりわかりません。
今やっているレポートにしろ、何を基準に「納得」というべきなのか、
そこを明確にする必要があります。
4.論理的基準による努力の限界効用の最小化
今のところ、Kの中ではこれが答えに一番近いです。
限界効用ってのは何人かはご存じのとおり、経済学の用語です。
でもここでは、1単位の財の消費による効用の増加ではなく、
「努力」の消費によるパフォーマンスの増加としてみようと思います。
そこで、x軸に努力、y軸にパフォーマンスをとったグラフを書くと、
おそらくそれは比例のグラフではなくて、
を90度回転したような(言ってる意味分かるかな?w)グラフになると思います。
(要は、経済学でいう限界効用逓減の法則と同じです。)
もうちょい噛み砕いていえば、パフォーマンスの最大値が100として(ここでは最大値が存在すると仮定する)、
それを0-50まで上げるのと、50-100まで上げるのに払うべき努力は等しくありません。
おそらく前者<後者となるはずです。
つまり、0-80くらいまで上げるのはそれほど難しくないのですが、
80-100まで上げるのは多大な努力を要する。
だからパフォーマンスが高くなれば高くなるほど、
それをさらに高めるための努力は甚大になります。
そこで、Kにとっての「妥協しない点」とは、
これ以上努力してもパフォーマンスの向上がほとんど望めないと思う点じゃないかなと思います。
そしてその基準は論理的に様々な角度から判断しなきゃいけません。
例えばKのレポートでいうならば、
全体の論理的整合性、アイデアの包括性・独自性、英語の正確さ、
から論理的に判断できると思います。
というわけで、これからも「妥協しない」ように頑張ろう。
個人的には、この点が体力の限界でないことが分かっただけでも収穫。
学問に体育会系的なアイデアを持ち込むのはスマートでないからね。
と、真夜中のつぶやきでした~っと。
それにもかかわらず、今日は16:30-18:30と21:00-25:30まで爆睡してしまい、
否応なく徹夜しなえればならない状況になっております。
こうやってバイオリズムが壊れていくのですね。
まぁそれもあと数日ですので、頑張りたいと思うのですが。
さてさて、今日は最近ちょっと気になっていることを書きたいと思います。
というのは、妥協しないってのが難しいってことです。
ただここでは、妥協しないということ自体が難しいというのではなくて、
「妥協していない」と自分で思える「点」を探すのが難しいってことです。
けど、その基準をもたずに「妥協しないぞ」って意地はっていても、
それは大概にして感情的なものでしかなくて、
「妥協していない」ことが必ずしも高いパフォーマンスにつながる保証はありません。
(だから今までのKはホントにアホだったなぁとつくづく思うのですが。)
なので、現実的にどの「点」を超えれば自分にOKサインを出すべきなのか、
考えてみたいと思います。
1.体力の限界
ここに基準を持ってくるのは正直嫌です。
というのも、Kはマラソンは遅くとも、勉強に関しては意外とタフなので、
なかなか体力の限界は訪れません。
おそらく2、3日睡眠をとらないくらいだったら、まだ限界とはいえないでしょう。
けど、めちゃめちゃキツいのは確かです。
だから、事あるごとに体力の限界まで勉強していたら死んでまいます。
なのでこれは「妥協しない点」とは違うと思います。
2.精神の限界
これは議論の余地はありません。
なぜならKにとって体力の限界<精神の限界だからです。
つまり、妥協しない点<体力の限界である以上、
妥協しない点≠精神の限界です。
3.納得できる点
これは上記のように自分ではなくて、
対象にフォーカスを当てている点で、Kの中の「妥協しない点」に近いです。
しかしこれでは、「納得」というのが何を示しているのか、
さっぱりわかりません。
今やっているレポートにしろ、何を基準に「納得」というべきなのか、
そこを明確にする必要があります。
4.論理的基準による努力の限界効用の最小化
今のところ、Kの中ではこれが答えに一番近いです。
限界効用ってのは何人かはご存じのとおり、経済学の用語です。
でもここでは、1単位の財の消費による効用の増加ではなく、
「努力」の消費によるパフォーマンスの増加としてみようと思います。
そこで、x軸に努力、y軸にパフォーマンスをとったグラフを書くと、
おそらくそれは比例のグラフではなくて、
を90度回転したような(言ってる意味分かるかな?w)グラフになると思います。
(要は、経済学でいう限界効用逓減の法則と同じです。)
もうちょい噛み砕いていえば、パフォーマンスの最大値が100として(ここでは最大値が存在すると仮定する)、
それを0-50まで上げるのと、50-100まで上げるのに払うべき努力は等しくありません。
おそらく前者<後者となるはずです。
つまり、0-80くらいまで上げるのはそれほど難しくないのですが、
80-100まで上げるのは多大な努力を要する。
だからパフォーマンスが高くなれば高くなるほど、
それをさらに高めるための努力は甚大になります。
そこで、Kにとっての「妥協しない点」とは、
これ以上努力してもパフォーマンスの向上がほとんど望めないと思う点じゃないかなと思います。
そしてその基準は論理的に様々な角度から判断しなきゃいけません。
例えばKのレポートでいうならば、
全体の論理的整合性、アイデアの包括性・独自性、英語の正確さ、
から論理的に判断できると思います。
というわけで、これからも「妥協しない」ように頑張ろう。
個人的には、この点が体力の限界でないことが分かっただけでも収穫。
学問に体育会系的なアイデアを持ち込むのはスマートでないからね。
と、真夜中のつぶやきでした~っと。