ボクシングをやめてまずやりたかったのは詩吟で川崎に本部のある流派の事務所に連絡を取って、21歳から始めてちょうど45年にもなるがここ15年は空手に忙しくて休会会員で年に何回かしか顔を出していなかったが、昨年の入院でしばらく遠ざかることにした。
始めた頃は本部青年部として、交流会として長野県をはじめとして何か所も訪問をしたりしていて活動していたね。
また吟行会では近代詩吟の父、木村岳風先生の生家が長野県にあり、そこを訪問したり、群馬県の新島襄の生家にも訪問して有名な「寒梅」を200人くらいで吟じたりと思えば近所迷惑なことだねぇ。
しかし、この詩吟のつながりが私の空手教室の普及に大いに力となっていまだにその恩は忘れていない。
九州から一人上京して、何のつてもない中で、空手に打ち込む私の姿に共鳴を受けて「上杉のためなら」ということで多くの手助けを得て今日に至っている。
井戸を掘った人の恩を忘れてはいけない、その気持ちで45年師事した先生が引退して2代目に代わった時に私も病気で入院して潮時かと思って遠ざかったが、何かことがあれば駆けつける気持ちではある。
写真は若い頃舞台で吟じたり、吟行会では当時NHK小説の「おしん」の舞台、山形の銀山温泉を訪ねたりした時の模様だ。長野にも、行ったねぇ。
一応七段奥伝免許までは早々と取ったのだが、そのあとは、教室をもって指導するように勧められて趣味で続けられなくなるので、そこで止めてずっと来ていた。


