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知られざる日独友好の歴史 バルトの楽園公開

2006-07-01 10:19:53 | 歴史
現在、「バルトの楽園」という映画が公開されていることを知り、CMを見たら収容所の話だそうで、お決まりの虐待ー反戦の映画か?と思っていたら、全然違う。この話は第一次世界大戦後、ドイツ人俘虜を手厚く収容した所長と、地元民の交流を通し、日独の歴史に迫る実話を元とした映画なのである。

映画はまだ見ていないので、どの様な形で取り上げられているのか解らないが、関連書籍を読んでみると、原作ノベライズ「バルトの楽園」はストーリーを盛り上げるため、若干事実を脚色し、史実とは違う部分もある。残念な部分も少なくないのだが、映画なので、盛り上げるストーリー構成には仕方がないと言うことだろうか。勿論、感動的な部分もきちんと残しつつ大筋は史実に沿うよう作られている為、真実の歴史に感心を持つきっかけには十分なると思う。

この収容所の所長・松江豊寿はサイパン島でシュガーキングとして有名な松江春次の兄である。会津出身の所長は俘虜に寛大で、新聞の発行、スポーツの奨励、音楽の奨励など様々な政策を行っていた。地元民も(徳島の坂東)お遍路さんが集う八十八箇所の第一霊場がある地の為、土地の者意外も受け入れる文化を持っていた土地であった。
驚くべき事に、俘虜たちが農業や、お菓子作り、器械体操や音楽など様々なことを地元民に教えている。我々が知る捕虜とは全く違っている事に大変驚いた。これはハーグ条約で捕虜の取り扱いについて述べられており、日本はこれを遵守した為であるが、世界中でこのようにきちんと条約を守った例は殆どない。

日本で有名なベートーベンの第九(歓喜の歌)はこの俘虜たちによって日本で始めて演奏された。ドイツ人にとってベートーベンは誇りであり、第九は準国家的意味合いがあると「バルトの楽園」で述べられている。収容所という敵国の兵を収容する施設に於いて何故、この様なことが行われたのか、次回から数回に渡って、当時の時代状況・松江所長の精神と坂東俘虜収容所・ドイツ人とのその後の交流を連載していきたい。