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知られざる日独友好の歴史 バルトの楽園公開②

2006-07-03 18:57:40 | 歴史
坂東の俘虜収容所の中で俘虜が作成し、発行していた新聞「ディ・バラッケ」という新聞がある。シベリア抑留時につくられた「日本新聞」とは大きく異なり、自由な言論で当時の状況が伝わってくる貴重な資料である。その一部をご紹介したい。

【武士道】
収容所の戦友のなかには「武士道」という言葉を知らない者が多いことであろう。それゆえちょっと簡単に説明しよう。感心をもっている人もいることだろうから。「武士道」とは日本語の「武士」プラス「道」、すなわち戦士のあゆむべき道であり、いい換えると古い封建社会のなかでの日本の騎士、サムライの古い作法であり、サムライが守るべきあらゆる道徳的な原理がそこに含まれている。自己の行いに責任を持ち、自制心を鍛錬し、恥を知ることである。決断に際しては熟考し、臆病でいないこと。主人と祖国のために、命をすすんで投げ出すこと、弱者と貧者に対して好意を持ち、親切であること、更には倹約を実行し、華美を戒めること、あらゆる不正に対する羞恥心と正義を行うという名誉心のなかに、おそらく武士道の最高の神聖性がある。


現代の日本人が書いてもここまで武士道の考察が書けるだろうか。見事な武士道に対する考察である。新聞記者になった者は収容所外にも取材に出かける事を許可されており、これだけの事を理解するまでには何度も取材を重ねた事であろう。これ以外にも八十八か所巡りの考察を書いたものなど、その内容は俘虜が書いたものとは思えない内容である。

この坂東以外にも立派な収容所はありその記録は岡山大学大学院文化科学科の高橋輝和教授によってまとめられた『「青島戦ドイツ兵俘虜収容所」研究』創刊号に掲載されているそうなので感心がある方は調べてみると面白いかもしれない。

坂東の場合、当時を偲ぶ事の出来るもう一つの資料があるそれは収容小歌である


【なぜそんなに急ぐのか】
坂東ってところは第一級のホテルだ おいらたち罪人がみつけたホームさ T大尉が警備兵に合図してるぜ 「ドアを早く開けろ」 なぜそんなに急ぐのかもうすこし待ってるぜ


この歌も非常に面白い。当時の人達の気持ちが伝わってくるようだ。この様な事を可能にしたのは松江所長の人柄によるところが大きいと言われている。松江所長の初日の訓示は実に感動的である。「諸君は祖国を遠く離れた孤立無援の青島において、最後まで勇敢に戦った兵士である。しかし、利あらず日本軍に降伏したのである。それゆえに私は諸君の立場に同情を禁じえない。諸君は自らの名誉を汚すことなく行動して欲しい」「私の考えは博愛と人道の精神と武士の情けをもって、諸君に接する事である。諸君もこのことを理解し、秩序ある行動をとって欲しい。」松江所長のこの発言はドイツが闘いに破れ不慮たちが解放されるまで終始一貫して貫かれた。所長の口癖は「ドイツ人も国のために戦ったのだ」というものだったそうである。

鳴門市ドイツ館館長田村一郎氏は「会津人・松江豊寿」と題した文章の中で、「松江の行動を理解する上で忘れてはならないのは、この人が会津の出身であることである。~中略~松江は賊軍の出である。松江は西欧的な意味でのヒューマニストというよりは、よい意味での純粋で頑固一徹な軍人気質の持ち主だったのだろう。そうした敗者の心をも思いやる姿勢が、武士道に西洋の騎士道にも通じる広がりを与えた」と書いている。

松江所長は会津武士道の精神を生きた。その精神がドイツ人に感動を与え、再び映画となり現代に甦った。この事を思うとき、真の国際人とは武士道の精神を持った真の日本人ではないかと考えずにはいられないのである。