鹿児島県出水市麓の武家屋敷群の「竹添家」見学時に頂いた物。
『出水兵児修養掟』
士ハ節義を嗜(たしな)み申すべく候。
節義の嗜みと申すものは口に偽りを
言わず身に私を構えず、心直にして
作法乱れず、礼儀正しくして上に諂(へつ)ら
わず 下を侮(あなど)らず人の艱難を見
捨てず 己が約諾を違えず、甲斐かい
しく頼もしく、苟且(かりそめ)にも下様の賎しき
物語り悪口など話の端にも出さず、譬(たとえ)
恥を知りて首 刎(は)ねらるるとも、己が為す
まじき事をせず、死すべき場を一足も
引かず、其心鐡石の如く、又温和慈愛
にして、物の哀れを知り人に情あるを
以って節義の嗜みと申すもの也
兵児とは、青少年のことで、数え年六~七歳から十四歳の八月までを「兵児山」(へこやま)と呼び、それから二十歳の八月までを「兵児二才」(へこにせ)、三十歳までを「中老」と、呼んだ。
教育は百年の計といわれますが、薩摩藩では子供たちを郷中教育で心身を鍛えていました。薩摩では、「薩摩を守るのは城ではなく人である」と考え、国防の重点を土民の訓育においてきました。
『出水兵児修養掟』
士ハ節義を嗜(たしな)み申すべく候。
節義の嗜みと申すものは口に偽りを
言わず身に私を構えず、心直にして
作法乱れず、礼儀正しくして上に諂(へつ)ら
わず 下を侮(あなど)らず人の艱難を見
捨てず 己が約諾を違えず、甲斐かい
しく頼もしく、苟且(かりそめ)にも下様の賎しき
物語り悪口など話の端にも出さず、譬(たとえ)
恥を知りて首 刎(は)ねらるるとも、己が為す
まじき事をせず、死すべき場を一足も
引かず、其心鐡石の如く、又温和慈愛
にして、物の哀れを知り人に情あるを
以って節義の嗜みと申すもの也
兵児とは、青少年のことで、数え年六~七歳から十四歳の八月までを「兵児山」(へこやま)と呼び、それから二十歳の八月までを「兵児二才」(へこにせ)、三十歳までを「中老」と、呼んだ。
教育は百年の計といわれますが、薩摩藩では子供たちを郷中教育で心身を鍛えていました。薩摩では、「薩摩を守るのは城ではなく人である」と考え、国防の重点を土民の訓育においてきました。