日本会議熊本ブログ

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靖国神社参拝を政治の駆け引きに使うな!

2006-06-28 12:21:58 | 靖国神社
靖国神社の参拝について聞くに堪えない発言が多すぎる。総裁選の重要性は理解しているが、亡き人の御霊に対し、それを政治利用する事は人間としてあってはならぬ事ではないかと思う。それに対し、首相の最近の発言は印象深い。総裁選や支持率などのしがらみがない分、ストレートな表現で本音を語っている。

中・韓両国に屈しない姿勢は次の政権にも重要なポイントになってくると思う。巻き返しを図りたい中国の意図に乗って、アジア外交を立て直すと言う話をする文化人がいるが、中・韓外交の間違えではないか。アジアは中・韓だけではない。マスコミは特に二国をアジア全てが言っているように摩り替えるのは止め、中・韓外交と正確な報道をすべきだ。

小沢代表も訪中し、九月の総裁選で靖国神社問題を争点化しようとする狙いではないかと言われている。もしそれが事実だとするならば、必ず民主党に逆効果になるだろう。お盆も近づくにつれ、「日本人が死者の視線」を意識する季節が近づいてくる。8月15日参拝するのかとの声に「遺族から今年も参拝して欲しいと言われた」と返したインビューは重要である。遺族の多くも首相の参拝を望んでいる。

一部の拝金主義の企業や偏向したマスコミを除いた多くの国民は参拝する事を悪いと思っている人は殆どいない。中・韓が余りにも騒ぐため、よく靖国神社のことを知らない人は別にそこまでしなくても・・・とよく解らずに考えている人が多かった。しかし、今は反日暴動や中・韓の傲慢な外交姿勢などは、逆に日本人を目覚めさせ、中韓の異常さを浮き彫りにした。

是非首相には昨年二十万人が参拝した靖国神社に国民の声を受け8月15日の公約を守り参拝して欲しい。それは中・韓に屈しない次の首相への道を開いて行く事になるであろう。そして次の首相は中韓におもねることなく、どうどうと行動していきたいものである。

【オタワ27日共同】小泉純一郎首相は27日夜(日本時間28日午前)、オタワ市内のホテルで同行記者団と懇談し、自らの靖国神社参拝について「参拝すれば首脳会談をしないというのがいいのか」と中韓両国の対応を厳しく批判、「何回行こうと問題にならない。個人の自由だ」と述べ、9月の退任前に参拝する可能性を示唆した。

[東京 26日 ロイター] 小泉首相は、任期中の8月15日の靖国神社参拝に関し、この夏が最後のチャンスとなることについて、23日に沖縄の戦没者追悼式に出席した際、遺族から毎年参拝していることに謝意を示されると同時に今後の参拝継続を求められたことを挙げ「様々な意見があるものだと感じた」と述べた。そのうえで「(マスコミから参拝について)毎回聞かれるが、そんなに争点化しようとしなくてもいいだろう」と苦言を呈した。官邸内で記者団に語った。

最近の分祀論や国立追悼施設建設の意見に関して

2006-06-20 21:26:22 | 靖国神社
最近、マスコミで首相の靖国神社参拝に関しての議論が増えてきた。これは次の首相を念頭に、中国などの戦略による揺さぶりから出発したものであるが、それに同調する議員がいることに驚くばかりである。
分祀論をいう議員も増えてきている。そもそも分祀という発言自体が、合祀もあるのだから分祀もあると言った発想の次元から生まれたものであると思われる。本来、分祀(分霊の方が正確かもしれない)は御霊分けで、御祭神はそのままに、別の所に更にその方々をお祭りする場を作る為の言葉である。議員などが言っているのは正確に言うと分祀論ではない。

分祀論であるならば、勿論靖国神社に法務死された方々も祭られ、更に別の所に特別にその方々だけを讃えるための神社を創建するという意味になる為、正しい意味での分祀論ならば、それらの方々の顕彰の為に多いに行っていただきたいものである。

そもそも、この分祀論や国立追悼施設なるものは中国・韓国から言われて考え始めた出自のいかがわしいものである。何故自国の先祖をどう祭るかを他国の人達から言われなければならないのか。ましてや宗教を否定する共産党が靖国神社にクレームをつけると言うのは冗談みたいな話である。彼らにとっては神も何もいないのであるから、そんなものに気に留めなくてもいいはずなのに、神様を信仰している人よりも過剰に反応し、政治利用する事に怒りを禁じえない。

最近は首相が八月十五日に参拝し、最後に公約を果たしてから辞めるのではないかと噂されている。色々物議をかもしてきたが、有言実行の多い首相だけに信憑性のある噂話である。是非首相には最後の花道を飾り、公約を果たして欲しいと思う。

とにかく、自民党の総裁選をにらみ靖国神社を政治利用する他国の姿勢には許しがたいものを感じる。九月の総裁選挙では、他国に配慮しない形で、「日本の将来は如何にあるべきか」という本質的課題の中から総裁を選んで欲しいと心から思う次第である。