こちら k-603.
文型 の中に 『~とき・・・でした』というのがあります。
~の部分には 普通形が入りますが、名詞が入るときは 『Nのとき』となります。
このクラスは、今わたしが受け持っている中では、いちばん活気があって、教室はいつも
発話 と 笑い のごった煮になります。
このクラスに、Mさんというおばさんがいます。丸顔で、温和でしかも しっかりもののおばさんです。年は52、3でしょうか?
以前日本語をどこかで習っていたというので、最初はみんなより進んでいました。でも、えてしてこういう学生は、授業を甘く見てしまい、知らない間に他の学生が自分のレベルに達してきたとき、つまらなくなってきて、やめてしまうんだそうですが、Mさんはちがいました。
このMさんに ~の部分の代入語彙として <22歳> を与えました。すると・・・
しばらく、考えてから Mさんはこういいました。
「22さいのとき、わたしは外国でべんきょうしていました」
教室が静かになりました。
もうこのクラスの学生たちは半年以上一緒に 学習している仲間です。でも、このことはだれもしらないことでした。
わたしが聞きました。「Mさん、どこにいましたか」
Mさんは、国の名前を日本語でなんと言っていいのか考えながら、「ロッシア」といいました。
「ああ、ロシアですか、そのころは まだUSSR ソビエト でしたね」
ソビエト ソビエト という声が 教室に上がります。
「なんねん いましたか」
「ななねんです」
「じゃあ、ロシア語 OK?」
Mさんが 笑います。
「Mさんは、ロシア語、ベトナム語、英語、フランス語、それから日本語・・・」
おおっ という声があがります。もちろん 英語とフランス語はわたしの推測です。
Mさんは 笑っています。
そのころMさんは才気にみちたしかも愛嬌のある女性だったに相違ありません。ソ連に留学したというなら、政府の留学生だったのでしょうか。
ベトナムとソ連との関係・・・。
Mさんの笑顔の中に、ベトナムの歴史を感じた授業でした。
つい、2、3日前、ベトナム人教師が、こういいました。
「あのクラスのMさんは、なぜ、日本語を勉強しているのか、わかりません。ふしぎ。」
Mさんには、他のベトナム人にはない 人生のふくみがあります。
テト は 2週間後です。
まいおちるもの
四季のない、熱帯の国でも 枯れ葉は、まう
天を突く巨木の空のかなたから いちまいの枯れ葉が
ゆめをのせた枯れ葉が、おちる。
枯れ葉は かれはいろの制服をきた掃除婦に はきあつめられ
かれはいろの箱車につまれて、すてられる。
わたしは この500万人の都会で、いちどだけみた
枯れ葉をひろうひとを
そのひとは アオザイのすそをあげ
ほそいゆびで
おちてきたばかりの枯れ葉をひろった
てのひらほどの枯れ葉だった
ゆめは、おちてから ひろわれる。
どの博物館にいっても
この国には
戦争の歴史しかないことが わかる
首をかききられた青年は
ゆめになって空をまう
腹をえぐられた妊婦は
風になってゆめをまく
うがたれた眼窩はゆめをのぞかせる
たえだえの息はゆめをうたう
そして ゆめは おちてから ひろわれる。
おちない ゆめは
ゆめでしかない。
なのに みんな ゆめをおとさない
わたしは あいたじかんで枯れ葉をひろう
じぶんのゆめがおちていやあしないかと
ひろって たしかめてみる
でも いまのところ まだ ない
まだ ない
ない
文型 の中に 『~とき・・・でした』というのがあります。
~の部分には 普通形が入りますが、名詞が入るときは 『Nのとき』となります。
このクラスは、今わたしが受け持っている中では、いちばん活気があって、教室はいつも
発話 と 笑い のごった煮になります。
このクラスに、Mさんというおばさんがいます。丸顔で、温和でしかも しっかりもののおばさんです。年は52、3でしょうか?
以前日本語をどこかで習っていたというので、最初はみんなより進んでいました。でも、えてしてこういう学生は、授業を甘く見てしまい、知らない間に他の学生が自分のレベルに達してきたとき、つまらなくなってきて、やめてしまうんだそうですが、Mさんはちがいました。
このMさんに ~の部分の代入語彙として <22歳> を与えました。すると・・・
しばらく、考えてから Mさんはこういいました。
「22さいのとき、わたしは外国でべんきょうしていました」
教室が静かになりました。
もうこのクラスの学生たちは半年以上一緒に 学習している仲間です。でも、このことはだれもしらないことでした。
わたしが聞きました。「Mさん、どこにいましたか」
Mさんは、国の名前を日本語でなんと言っていいのか考えながら、「ロッシア」といいました。
「ああ、ロシアですか、そのころは まだUSSR ソビエト でしたね」
ソビエト ソビエト という声が 教室に上がります。
「なんねん いましたか」
「ななねんです」
「じゃあ、ロシア語 OK?」
Mさんが 笑います。
「Mさんは、ロシア語、ベトナム語、英語、フランス語、それから日本語・・・」
おおっ という声があがります。もちろん 英語とフランス語はわたしの推測です。
Mさんは 笑っています。
そのころMさんは才気にみちたしかも愛嬌のある女性だったに相違ありません。ソ連に留学したというなら、政府の留学生だったのでしょうか。
ベトナムとソ連との関係・・・。
Mさんの笑顔の中に、ベトナムの歴史を感じた授業でした。
つい、2、3日前、ベトナム人教師が、こういいました。
「あのクラスのMさんは、なぜ、日本語を勉強しているのか、わかりません。ふしぎ。」
Mさんには、他のベトナム人にはない 人生のふくみがあります。
テト は 2週間後です。
まいおちるもの
四季のない、熱帯の国でも 枯れ葉は、まう
天を突く巨木の空のかなたから いちまいの枯れ葉が
ゆめをのせた枯れ葉が、おちる。
枯れ葉は かれはいろの制服をきた掃除婦に はきあつめられ
かれはいろの箱車につまれて、すてられる。
わたしは この500万人の都会で、いちどだけみた
枯れ葉をひろうひとを
そのひとは アオザイのすそをあげ
ほそいゆびで
おちてきたばかりの枯れ葉をひろった
てのひらほどの枯れ葉だった
ゆめは、おちてから ひろわれる。
どの博物館にいっても
この国には
戦争の歴史しかないことが わかる
首をかききられた青年は
ゆめになって空をまう
腹をえぐられた妊婦は
風になってゆめをまく
うがたれた眼窩はゆめをのぞかせる
たえだえの息はゆめをうたう
そして ゆめは おちてから ひろわれる。
おちない ゆめは
ゆめでしかない。
なのに みんな ゆめをおとさない
わたしは あいたじかんで枯れ葉をひろう
じぶんのゆめがおちていやあしないかと
ひろって たしかめてみる
でも いまのところ まだ ない
まだ ない
ない
これからも楽しみに読ませていただきます。