わたしは六百山

サイゴンでの365日を書き直す 

結婚しなければ ベトナム便り 71

2006年06月04日 | 日本語教師
こちらv-603.
動詞のナイ形+なければ を教えていた時のことです。
前件を提示しただけで、後件は学生に考えさせて、結合し、発話させます。
私----パスポートを持ちません。 
T----パスポートを持たなければ、外国へ行けません。
私----お金がありません。
Q----お金がなければ、????お金がなければ、母に借ります。
・ ・・・・・・・・
・ ・・・・・・・・
このドリルを続けてきて、もうこの辺で次に移ろうと、最後の提示をしました。
私----結婚しません。
私は、学生を指名せず、考えついた者が発話できるように、みんなを促しました。
どんな結論が出てくるのだろうかと、10人の学生の答えを待ちました。
私の用意してある後件は、“子供ができません”です。
『結婚しなければ、子供ができません』
これは、結婚の意味にもよりますが、今の日本では「そんなことないよ」と言われそうな文言です。
ところが、学生の中から返ってきた答えはちがいました。

『結婚しなければ、お寺へ行きます』

えっ、ほんとう?私は冗談だと思いました。これを答えたHさんは、よく、仮想の話をするからです。
そこで、確認の意味でSさんに聞きました。
「結婚しなければ、お寺へ行きますか? S さん どうですか?」
「行きます」 と、まじめなSさんが言います。
「じゃ、ベトナムではお坊さん(これは新出語なので、お経を読んで(お遍路で覚えたことが役立ちました)、お坊さんを理解させました)は、結婚していませんか?」
「結婚していません」
すると、ひじょうにまじめで、冗談という言葉すら知らないようなHoさん(女性)が、
「先生、お坊さんの女の人は、何ですか」と聞きます。
「女のお坊さんですか、それは・・・尼さん ですね」

えっ、まさか、Hoさん、尼さんになるんじゃないでしょうね?
心配してしまうほど、Hoさんの目は真剣です。
もちろん、結婚しない人が全て寺に入るはずがありません。
でも、ベトナムではお坊さんは独身のようなのです。
事実かどうかは、もっと調べなくてはなりません。
私の担当ではないクラスに、お坊さんが1人います。まだ、形容詞すら習っていない初歩の初歩ですから、直接聞いてみることはできませんが、そのうち聞いてみればわかるでしょう。
このお坊さんは36,7歳、日本に修行にいく予定があって、今日本語の勉強に時間を費やしている、ということだそうです。
このお坊さんを受け持っているのは、ベトナム人の教師も、日本人の教師も、どちらも若い女性教師です。先日、こっそりふたりに、民芸品の小袋をプレゼントしていました。 
いいね。

写真は記事とは別のクラスです。
Anさんという おかあさんが、子供をつれてきたので、写真を撮りました。
お母さんが勉強している間、一所懸命ノートにアルファベットを書いていました。
今年9月に小学校に入学するんだそうです。
お母さんは、日本語能力検定2級の合格をめざしています。
コウ ガン(がんばって)


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2 コメント

コメント日が  古い順  |   新しい順
タイの僧は女性の衣服にすら決して触れません ()
2006-06-04 16:40:22
◆ 日本の僧侶たちを見てきた者には「意外」に見えてしまいますが、タイの僧侶も結婚しません。

それどころか、女性の体の一部だろうと、衣類の襞だろうと触れることは決してありません。

◆ もしも偶然にせよ触れてしまうと、永年の修行がゼロになってしまうということになっていますから、街を歩くときにも、バスに乗ったりするときにも、女性たちの方が気をつかって、あまり近づきすぎないように ちょっと移動したりします。

◆ お寺の法要などで女性から何かを受け取るときにも、それ専用の布を敷いて載せてもらってから取り込むことで「間接的であること」を様式化していますし、祝福の木綿糸を手首に巻いて結んでくださるときなどにも、男性には指先で軽く念をすり込むかのような動作をしますが、女性には決して触れることなく、たいていは結びもせず腕に垂らすだけだったりします。

◆ 日本でも、昔は性欲の抑制が尊い修行の一環として認識されていたようで、

『今昔物語』の記事だったと思いますが、

◆ 修行のために陰茎を自ら切り取ったと称する怪しい坊さんの股をさすってみたら勃起してきてみんなで大笑いした話とか、

◆ 「一生不犯(ふぼん)の鐘」を撞く役目に抜擢された坊さんが 大舞台で妙にためらって なかなか撞かないのでわけを尋ねてみたところ、「かはつるみ(オナニー)は大丈夫でしょうか?」と言う、よくするのか?と更に訊ねたら「ゆうべもちょっと……」と言って、バカにされ逃げ帰った話とかがあります。

◆ 現代の日本では僧侶も結婚して子供がいると話すと、タイ人は驚きあきれて、「日本ではそれでも本当にお坊さんなのか?」と問うてきますよ。宗教的には、多分、日本のほうが変わり種なのでしょう。

◆ とは言え、日本語教室に通ったり、女性にプレゼントしたりするお坊さんの話も、タイではあまり無さそうな気がしますが、この点は定かではありません。



◆ なお、現在のタイの、「法律」に基づく「国家仏教」では女性の出家を認めておらず、法的には「尼さん」が存在しません。お寺で修行する女性もいるのですが、黄色い僧衣を着ることを許されず、白い衣装を纏っています。



◆ 現在の日本や欧米の方が「進歩?的」かどうか一概に言うつもりはありませんが、王様への尊敬ぶりなどを見ても、タイが「古い体質」を堅持することで安定し、まとまりを得ている国家であることは間違いない気がしますね。



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訂正。『宇治拾遺物語』でした。 ()
2006-06-04 19:10:42
◆ 幸い、『宇治拾遺』はタイに持ってきておりましたので確かめましたところ、先ほど投稿した記事中の『今昔物語』は『宇治拾遺物語』の間違いのようです。(『今昔物語』にも類話があるかどうかは判りかねます)

◆ 巻一の第六話、第十一話です。

ちなみにこの「一生不犯」のすぐ次にあるのが、第十二話「稚児の掻い餅するに空寝したる事」という、「古典」の教科書によく出ている話です。
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