現在のわたしの状況を短くたとえれば、戦争体験も、さしたる冒険談も持ち合わせない壮年の男が、疑似体験を求めて、志願兵となってあえて過酷な環境のもとに身をさらしてみた、とでもいいましょうか。
しかし、志願したわりには意気地がないようで、現実の前に、たじたじです。
まず、自然環境。暑さがあります。それでも、今は乾期なので過ごしやすいと現地の人々は言います。おまえの体調が悪いのは、日本はいま冬になったところなのに、突然真夏に戻ってしまったため、きっと身体が対応できず狂ってしまっているのだろう、と言う人もいます。
クインさん(フエ出身の受け付けの女の子)は、夜、仕事がおわると、穴蔵のような二階の部屋にはいり、ビニール製の簡易ベッドに横になれば、そのまま朝まで起きないそうです。私は五階の風が入る(あればの話ですが)へやで暑さに身をもだえさせているというのに・・・。
暑さの次は 蚊です。こちらの蚊は音無しです。ぶんとも言わず近づいてきて、きゅるるっと血を吸い、後にもうれつなかゆみと、腫れを残していきます。飛んでいる蚊をつかまえるのは、日本で飛んでいるはえを捕まえるのよりむずかしい。そして、例のハマダラカ、これはぶんと言って来るようなきがしますが、マラリアを運んできます。クインさんの言うには、だいじょうぶ、近くでマラリアになった人がいなければ、さされてもマラリアになりませんから、安心してください・・・。まあ、理屈はそうだけど、いい気分じゃない。これらの蚊は、どうも外人を集中攻撃してくるようです。夜中に外に出てみると、真っ裸で路肩に眠っているホームレスがいます。彼らはいっこうに蚊に刺される様子もありませんし、この学校のベトナム人の先生などは、同じ時間帯に同じ場所にいても、決して刺されません。これは、定説のようです。つまり、ベトナム辞典 という歴とした本にも『外人が刺される』と書いてあります。きっと、身体から発する何かが違っていて、外人の方が蚊の食感を刺激するのです。
これが、外人などいない田舎へ行けば、蚊は選り好みをいえる状況ではないので、適当に国籍も関係なくうまそうな血さえあれば、それを吸うのです。私の予想では、半年ぐらいここの食料を摂取し、半年ぐらい蚊の攻撃を受け、耐え抜ければ、もう現地人と同様な臭いと生態になります。そうすれば、さされません。それまでは、授業中であろうとなかろうと、ぼりぼり、手や足をひっかき続けるのです。
蚊の次は、蟻。
これは、ぴりっと かみます。この2~3mmの敵は、神出鬼没、どこにでもあらわれ、なんでもかじりとっていきます。それで、私の腕も彼らの食料に相当するのです。これがかなり刺激的です。寝込み時にかじられると、一気に睡魔も遠のいていきます。
蚊と、暑さは 相補関係にあります。窓を開ければ蚊、しめれば暑さ。そこで、奥さん(私のボスの奥さん:ベトナム人)は 窓を閉めて、殺虫剤を一時間効かせて、蚊を殺した後、窓を開けてカーテンを閉める、そうすれば蚊は来ない。涼しく寝られる。と、教えてくれました。
だめ、ちゃんとカーテンの隙間から蚊の襲来がありました。仕方ないから起きあがって窓を閉め、殺虫剤(電気式で液体が入った瓶の上にヒーターがあって、薬剤が気化する)をコンセントに差し込みます。すると、こんどはのどが痛くなる。咳が出る。暑い。
仕方なく天井の扇風機を回します。するとその風が強すぎて(いちばん弱くしても、羽が目にとまらないほどの早さで回っている。明らかに設計ミス)今度は風が寒い。買ってきてあった夏がけを掛ける。また暑い。こうして時計はあしたになり、戦いに疲れて何とか眠るのは2時か3時、朝は6時半に起きて、8時からの授業に備えなければなりません。
まあ、志願兵ですから、文句は言えないわけです。でも、これを乗り越えてもだれも勲章などくれやしない。死んでも一銭も出ません。
蟻と言えば、教材用のテープの管理ができていないので、クインさんにテープの入った箱に、番号を貼るように言いました、紙を切って番号を書き、箱の背中につけてくれたので、とても綺麗にできてありがとう、とお礼をいい、でもこの紙をのりで貼った方がいいね、といいましたら、のりがない、というのです。じゃあ、ご飯をつぶしてそれをのりの代わりにしたらいいよ、と言いましたら、それはだめです、と言うのです。ああ、ごはんがのりの代わりになることを知らないのだな、と思ってもういちど丁寧に教えると、知っています、でもそうすると、蟻が全部食べてしまいます、というのです。ああそうか、と納得しました。しかし、ほんとうに納得するのはもっとあとでした。
ある日私は、買っておいて箱の封を切り、机の上にしっかりと蓋をしておいたチーズ(8Pのプロセスチーズ)を食べようとあの、みかんを輪切りにした時の形のアルミ箔をはがしました。無惨。1/10がかじられ消えていて、何百匹の赤茶色の蟻がチーズの山にかじりついているではありませんか。それが、どのチーズも同じです。ふう、とため息をついて、ビニール袋に入れて捨てました。アルミ箔は密封されている筈なのに・・・。
ところが、たのしいお客さんもあります。家守さんといって、女の子(だろう)なんですが、これがお尻を振って歩く姿がかわいい。つい触ってしまいたくなりますが、簡単には触れさせません。小さな尾っぽを真上にあげて、ちょろちょろと歩き回り、壁から天井まで自由自在です。蚊を食べてくれるというので、大歓迎です。
ところで、日本にいた時に船便で出した小包がようやく届きました。40日ぐらいかかっています。ドラえもんのまんが本(こどもが読み古したものや児童書)などでしたが、これには何も関税はかかりませんでした。EMSで一週間ほどまえに届いた衣類や本にはしっかり輸入税がかかっていたのに、どうなっているのでしょう。たぶん役人の気分次第なのです。
こちらのスーパーでは手に入らないものがあります。小豆のあんこと、緑茶。
もちろん、高級輸入食料品店へ行けば売っているでしょうが、冷蔵庫もない生活者がそんなところで買い物できようはずがありません。まして、そんなものを日本からおくらせようものなら、きっと30~40%の関税がかかりそうです。でも、大福でお茶が飲みてえなあ。
街の中を行き当たりばったりに歩いていると 写真のようなおばさんに出会いました。
何を売っているかというと、生きたサソリとへび。
もちろん このおばさんは 正真正銘のさそり座のおんなということになります。
たくさんの男達が寄り集まってきていましたが、買う勇気のあるやからは、私を含めていなかったようです。注文をいただければ、買っておきますが、取りに来ていただくようになります。
ミンおばさん について書くのを忘れました。また、こんど。
日本は 寒気が押し寄せてきて氷室のようだと聞きます。こちらからは想像もできない現象です。それでも12月、夜の気温が25℃ぐらいに下がって、とても寒いです。ベトナムの人たちは半分以上がセーターやジャケットを着ています。(25℃で、ですよ。)私は半袖ですから、寒さに非常に強い男と言うことになります。
さて、日本人教師らしいことをひとつ。
『~と、いいました』 と 『~と、いっています』のちがいはなんですか、と聞かれて、つっと立ち止まってしまいました。
だれでもいいから、コメント欄でお教えください。
それから、養成講座で、日本語教育では高名なS女子大学のT先生が、ベトナムの人口がやがては日本の人口を超える。と言うようなことを話されていましたが、超えないように政府が人口抑制政策をとっていると言うことは、話されませんでした。
子どもはふたりまで、しかも、5年おいて、というきびしい法律があります。ですから、実際はT先生の言われたようになるとはかぎらない、というのが実情です。これを知らずに、いかにも知ったかぶりをして、生徒の前で、『ベトナムの人口は、やがて日本を追い越す』というようなことをいうと、恥ずかしい思いをするのです。(私はしてしまった)ただ、日本の人口が減って、その結果日本の方が少なくなる、というのなら間違いではないとおもいます。
いずれにしても、情報はただしいものだけに価値があるということです。
高名な先生と言うだけで信じてはいけませんね。
前回のブログへ、とても優雅に暮らしているようにみえる というコメントを頂きましたが(ありがとうございます)実際は、優雅でも何でもない、朝飯も、夕(夜)飯も 食べる気力がなく、かろうじて昼の食事で体力を維持している。という毎日(休みは日曜日だけ)です。絵教材もそろっていたりいなかったり、どこでどんな語彙が新出だったのかもわからず、超初級 から 中級直前までの8クラスを、同時にこなさなければなりませんから、どの文型がどこででたやら・・・。それに 容赦のない暑さでの、眠れない夜。
決して 優雅ではありませんが、せめてブログの上だけは優雅だと見ていただいて、ほっとしました。
これからも、エレガンスを装って、気力の続く限りブログを出していきます。体力が尽きたら、そのときは・・・・・・です。
なにしろ、志願兵ですからね。
ところで、あるクラスからリクエストがありました。日本のクリスマスの歌を、次の授業の時に教えて欲しいというのです。日本にクリスマスの歌はないけど、サイレント ナイトでもいいか、といったら、それでもいい。というのです。で、今週教えることにしました。歌詞は、ちょうどこちらで知り合った日本人の方が敬虔なクリスチャンで、電話したら、それは賛美歌109番です。歌詞は・・・・ですが、今、歌いましょうか、といって教えてくれました。もちろんほとんど知っていたのですが、救いの御子は まぶねのなかに と言うところが正しくなかった(みははのむねに だとおもっていました)ので、聞いてよかったと思いました。
また、このクラスは、ちょうど、『~とおもいます』 という文型を教えているところなので、持ってきたCDの中に、カッシーニの アベ マリア を スミ・ジョウ と シャロット・チャーチ のふたりの歌手が続けて歌うように 編集したものがあるので、これを聞かせて、どちらがいいと思いますか? と聞いて、授業を進めたいと思っています。 ベトナムの人たちに スミ・ジョウの祈りの響きが伝わってくれることを、しがない志願兵としてはきたいしているのであります。この結果はいずれまた。
しかし、志願したわりには意気地がないようで、現実の前に、たじたじです。
まず、自然環境。暑さがあります。それでも、今は乾期なので過ごしやすいと現地の人々は言います。おまえの体調が悪いのは、日本はいま冬になったところなのに、突然真夏に戻ってしまったため、きっと身体が対応できず狂ってしまっているのだろう、と言う人もいます。
クインさん(フエ出身の受け付けの女の子)は、夜、仕事がおわると、穴蔵のような二階の部屋にはいり、ビニール製の簡易ベッドに横になれば、そのまま朝まで起きないそうです。私は五階の風が入る(あればの話ですが)へやで暑さに身をもだえさせているというのに・・・。
暑さの次は 蚊です。こちらの蚊は音無しです。ぶんとも言わず近づいてきて、きゅるるっと血を吸い、後にもうれつなかゆみと、腫れを残していきます。飛んでいる蚊をつかまえるのは、日本で飛んでいるはえを捕まえるのよりむずかしい。そして、例のハマダラカ、これはぶんと言って来るようなきがしますが、マラリアを運んできます。クインさんの言うには、だいじょうぶ、近くでマラリアになった人がいなければ、さされてもマラリアになりませんから、安心してください・・・。まあ、理屈はそうだけど、いい気分じゃない。これらの蚊は、どうも外人を集中攻撃してくるようです。夜中に外に出てみると、真っ裸で路肩に眠っているホームレスがいます。彼らはいっこうに蚊に刺される様子もありませんし、この学校のベトナム人の先生などは、同じ時間帯に同じ場所にいても、決して刺されません。これは、定説のようです。つまり、ベトナム辞典 という歴とした本にも『外人が刺される』と書いてあります。きっと、身体から発する何かが違っていて、外人の方が蚊の食感を刺激するのです。
これが、外人などいない田舎へ行けば、蚊は選り好みをいえる状況ではないので、適当に国籍も関係なくうまそうな血さえあれば、それを吸うのです。私の予想では、半年ぐらいここの食料を摂取し、半年ぐらい蚊の攻撃を受け、耐え抜ければ、もう現地人と同様な臭いと生態になります。そうすれば、さされません。それまでは、授業中であろうとなかろうと、ぼりぼり、手や足をひっかき続けるのです。
蚊の次は、蟻。
これは、ぴりっと かみます。この2~3mmの敵は、神出鬼没、どこにでもあらわれ、なんでもかじりとっていきます。それで、私の腕も彼らの食料に相当するのです。これがかなり刺激的です。寝込み時にかじられると、一気に睡魔も遠のいていきます。
蚊と、暑さは 相補関係にあります。窓を開ければ蚊、しめれば暑さ。そこで、奥さん(私のボスの奥さん:ベトナム人)は 窓を閉めて、殺虫剤を一時間効かせて、蚊を殺した後、窓を開けてカーテンを閉める、そうすれば蚊は来ない。涼しく寝られる。と、教えてくれました。
だめ、ちゃんとカーテンの隙間から蚊の襲来がありました。仕方ないから起きあがって窓を閉め、殺虫剤(電気式で液体が入った瓶の上にヒーターがあって、薬剤が気化する)をコンセントに差し込みます。すると、こんどはのどが痛くなる。咳が出る。暑い。
仕方なく天井の扇風機を回します。するとその風が強すぎて(いちばん弱くしても、羽が目にとまらないほどの早さで回っている。明らかに設計ミス)今度は風が寒い。買ってきてあった夏がけを掛ける。また暑い。こうして時計はあしたになり、戦いに疲れて何とか眠るのは2時か3時、朝は6時半に起きて、8時からの授業に備えなければなりません。
まあ、志願兵ですから、文句は言えないわけです。でも、これを乗り越えてもだれも勲章などくれやしない。死んでも一銭も出ません。
蟻と言えば、教材用のテープの管理ができていないので、クインさんにテープの入った箱に、番号を貼るように言いました、紙を切って番号を書き、箱の背中につけてくれたので、とても綺麗にできてありがとう、とお礼をいい、でもこの紙をのりで貼った方がいいね、といいましたら、のりがない、というのです。じゃあ、ご飯をつぶしてそれをのりの代わりにしたらいいよ、と言いましたら、それはだめです、と言うのです。ああ、ごはんがのりの代わりになることを知らないのだな、と思ってもういちど丁寧に教えると、知っています、でもそうすると、蟻が全部食べてしまいます、というのです。ああそうか、と納得しました。しかし、ほんとうに納得するのはもっとあとでした。
ある日私は、買っておいて箱の封を切り、机の上にしっかりと蓋をしておいたチーズ(8Pのプロセスチーズ)を食べようとあの、みかんを輪切りにした時の形のアルミ箔をはがしました。無惨。1/10がかじられ消えていて、何百匹の赤茶色の蟻がチーズの山にかじりついているではありませんか。それが、どのチーズも同じです。ふう、とため息をついて、ビニール袋に入れて捨てました。アルミ箔は密封されている筈なのに・・・。
ところが、たのしいお客さんもあります。家守さんといって、女の子(だろう)なんですが、これがお尻を振って歩く姿がかわいい。つい触ってしまいたくなりますが、簡単には触れさせません。小さな尾っぽを真上にあげて、ちょろちょろと歩き回り、壁から天井まで自由自在です。蚊を食べてくれるというので、大歓迎です。
ところで、日本にいた時に船便で出した小包がようやく届きました。40日ぐらいかかっています。ドラえもんのまんが本(こどもが読み古したものや児童書)などでしたが、これには何も関税はかかりませんでした。EMSで一週間ほどまえに届いた衣類や本にはしっかり輸入税がかかっていたのに、どうなっているのでしょう。たぶん役人の気分次第なのです。
こちらのスーパーでは手に入らないものがあります。小豆のあんこと、緑茶。
もちろん、高級輸入食料品店へ行けば売っているでしょうが、冷蔵庫もない生活者がそんなところで買い物できようはずがありません。まして、そんなものを日本からおくらせようものなら、きっと30~40%の関税がかかりそうです。でも、大福でお茶が飲みてえなあ。
街の中を行き当たりばったりに歩いていると 写真のようなおばさんに出会いました。
何を売っているかというと、生きたサソリとへび。
もちろん このおばさんは 正真正銘のさそり座のおんなということになります。
たくさんの男達が寄り集まってきていましたが、買う勇気のあるやからは、私を含めていなかったようです。注文をいただければ、買っておきますが、取りに来ていただくようになります。
ミンおばさん について書くのを忘れました。また、こんど。
日本は 寒気が押し寄せてきて氷室のようだと聞きます。こちらからは想像もできない現象です。それでも12月、夜の気温が25℃ぐらいに下がって、とても寒いです。ベトナムの人たちは半分以上がセーターやジャケットを着ています。(25℃で、ですよ。)私は半袖ですから、寒さに非常に強い男と言うことになります。
さて、日本人教師らしいことをひとつ。
『~と、いいました』 と 『~と、いっています』のちがいはなんですか、と聞かれて、つっと立ち止まってしまいました。
だれでもいいから、コメント欄でお教えください。
それから、養成講座で、日本語教育では高名なS女子大学のT先生が、ベトナムの人口がやがては日本の人口を超える。と言うようなことを話されていましたが、超えないように政府が人口抑制政策をとっていると言うことは、話されませんでした。
子どもはふたりまで、しかも、5年おいて、というきびしい法律があります。ですから、実際はT先生の言われたようになるとはかぎらない、というのが実情です。これを知らずに、いかにも知ったかぶりをして、生徒の前で、『ベトナムの人口は、やがて日本を追い越す』というようなことをいうと、恥ずかしい思いをするのです。(私はしてしまった)ただ、日本の人口が減って、その結果日本の方が少なくなる、というのなら間違いではないとおもいます。
いずれにしても、情報はただしいものだけに価値があるということです。
高名な先生と言うだけで信じてはいけませんね。
前回のブログへ、とても優雅に暮らしているようにみえる というコメントを頂きましたが(ありがとうございます)実際は、優雅でも何でもない、朝飯も、夕(夜)飯も 食べる気力がなく、かろうじて昼の食事で体力を維持している。という毎日(休みは日曜日だけ)です。絵教材もそろっていたりいなかったり、どこでどんな語彙が新出だったのかもわからず、超初級 から 中級直前までの8クラスを、同時にこなさなければなりませんから、どの文型がどこででたやら・・・。それに 容赦のない暑さでの、眠れない夜。
決して 優雅ではありませんが、せめてブログの上だけは優雅だと見ていただいて、ほっとしました。
これからも、エレガンスを装って、気力の続く限りブログを出していきます。体力が尽きたら、そのときは・・・・・・です。
なにしろ、志願兵ですからね。
ところで、あるクラスからリクエストがありました。日本のクリスマスの歌を、次の授業の時に教えて欲しいというのです。日本にクリスマスの歌はないけど、サイレント ナイトでもいいか、といったら、それでもいい。というのです。で、今週教えることにしました。歌詞は、ちょうどこちらで知り合った日本人の方が敬虔なクリスチャンで、電話したら、それは賛美歌109番です。歌詞は・・・・ですが、今、歌いましょうか、といって教えてくれました。もちろんほとんど知っていたのですが、救いの御子は まぶねのなかに と言うところが正しくなかった(みははのむねに だとおもっていました)ので、聞いてよかったと思いました。
また、このクラスは、ちょうど、『~とおもいます』 という文型を教えているところなので、持ってきたCDの中に、カッシーニの アベ マリア を スミ・ジョウ と シャロット・チャーチ のふたりの歌手が続けて歌うように 編集したものがあるので、これを聞かせて、どちらがいいと思いますか? と聞いて、授業を進めたいと思っています。 ベトナムの人たちに スミ・ジョウの祈りの響きが伝わってくれることを、しがない志願兵としてはきたいしているのであります。この結果はいずれまた。
ブログ、とても面白く、お気に入りに登録しました。3月はお忙しいのか、それとも体調がすぐれないのか、どうかご自愛ください。