わたしは六百山

サイゴンでの365日を書き直す 

子育て ベトナム便り 75

2006年06月13日 | 雑想
こちらv-603.
ワールドカップの初戦、オーストラリアに負けました。
この日は授業があったので、前半は見ることができませんでしたが、学校のインターネットで1:0で勝っていると知り、帰宅途中、意気込んでC・Café(レストラン)により、ポークチャーハンと、レモンジュースを注文しました。欧米人が多い中で いけっ、いいぞ川口っ と叫んでいました。
ここまでは、いい気分でしたが、結局、土壇場で持ちこたえきれずに負けてしまい、喜びに沸く大勢の熱気と視線を背中に感じながら、むなしく、みじめに、がっくりと、Café を退出しました。
客引きの ダットくん(彼は大学生でアルバイトで客の呼び込みをやっている)が、肩をたたいて慰めてくれました。ダット君も、日本のユニフォームを着て応援してくれていたのに・・・。
愛国心がどうのこうのじゃないですが、なんともあわれな気持ちで、宿に帰ってきました。

閑話休題、
作者が誰だったか忘れてしまいましたが、『ベトナムから来た妻と娘』という、ノンフィクションの一冊があったと思います。
あの中では、ベトナム社会での、母のわが子へのしつけの厳しさということが印象に残りましたが、
ベトナム人の子育てという点で、おもしろいなと思わされることがあります。
ベトナムでは、どこの家庭でもお母さんが厳しくしつけているのかと思って、学生に、「こどものころ、お父さんは、叱りましたか」と聞くと、あるクラスではほとんどの学生が、「とても、叱りました」と答えていたので、「じゃ、お母さんは」と聞くと、「とても、やさしかったです」と言います。
「お父さんに、たたかれた(ジェスチャーでしめす)ことがありますか」「あります」「じゃ、お母さんには?」「ありません」

しかし、私が見たり接したりしている子育て中の家庭は、どこも、やわなお父さんに鬼の母です。
でも、お母さんは、厳しく叱り、時には、頬に平手打ちをくわせながら、ときどきわが子を愛情いっぱいに抱きしめています。
こんな家庭では、父親はいつもやさしく笑っています。
どうなっているんだろうと、思いをめぐらしてみたのですが、こういうパターンの家庭は共通してお母さんが稼ぎ頭であったり、家庭の中心的存在であったりしていると、思えてきました。

つまり、先のクラスの場合は、父親が定職についていて、母親は家事が中心という家庭が多かったのです。

げんこつ親父ならぬ、げんこつおふくろ。
はた目を気にせず、大声で叱りつけ、時には怒りをあらわにして怒鳴りますから、見ている私はおろおろしてしまいます。
子供が成長して、何の問題もおこさないかという事に関しては、ぜんぜんわかりません。
子育てに正解はない、といいますからたぶんこれでいいのでしょう。

さて、もうひとつ。
赤ん坊のかわいがり方は、尋常ではありません。
サイゴンに来て、大路小路を5分も歩けば、1歳未満の乳幼児が、大勢の大人(時には子供も)に交互に抱かれ、頬ずりされ、キスの洪水をうけ、あやされ、おどけたしぐさで笑わされているのを目にします。
とにかく、これでもかというほどかわいがります。
すこし歩けるようになっても、幼児の特権は続いています。
幼児にはあらゆる免罪符が与えられているようです。
これが何歳までつづくのかは、今のところわかりません。
しかし、少なくとも小学校にあがった子供には、もうありません。
先日、こんなことがありました。
歩き始めて、2ヶ月ぐらいの幼児が、ソファに座っていたいとこの小学1年生の女の子の足を、思い切り叩きました。
この女の子は、とてもわがままな子で、いつもは周囲の大人を困らせたり叩いたりしているのですが、いとこに叩かれたときは、「やめてよ」という顔をしましたが、叩き返すこともなく、しかも逃げようともせずこらえていました。
そばにいた女の子の母親は、ただその様子を眺めているだけでした。
そのうち、たまらなくなった女の子は、ソファの隅の手の届かないところに、移っていきました。

サイゴンと地方の田舎とは、似て非なるものがあると聞きます。
私の目にするものが、サイゴンの全てではなく、ましてや、ベトナムの姿でもないはずです。
しかし、幼子を親戚縁者、隣近所がよってたかってかわいがるのは、どうも共通のようです。


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