わたしは六百山

サイゴンでの365日を書き直す 

続『~ところ』 ベトナム便り 104

2006年09月07日 | 日本語教師
HOさん とおっしゃる方から、前回の記事に対してコメントをいただきました。
ありがとうございました。

『ところ』という表現は便利で、いろいろな使われ方をするようです。
その中で今回のような『ところ』の使われ方は、
(この授業のときのように)『勉強しているところ』という、時間的な状態(経過)を表している表現で、しかもその行為の行われている時間であることを強調したいときに使われるのではないか、と思いました。

たとえば、
彼は、ネクタイを盗んでいるところを見られてしまった。(あまりいい例文じゃないですね)
父はちょうど今外出したところです。
ラジオのニュースを聞くところだった。
などです。

『~ている』の使われ方は、単純ではなく、
『今、勉強している』といえば、動作が進行中のことを表しますし、
『消えている』といえば動作の結果が残っていることを表します。
『もうそこに立っている』なら完了、
『その山は私も登っている』なら経験です。
ほかにもあるでしょうが、今は思い浮かびません。
(たしか、金田一春彦がこのことを研究した結果があったかと思いますが?)

さて、『勉強している』と『勉強しているところ』のちがいですが、
今回の『勉強している』は、明らかに行為の進行を表していると思います。
では『勉強しているところ』はどうかというと、これも勉強している状態にあるということを表していますから、『勉強している』と同様に進行中であることを表現しています。
ただ、『ところ』をつけることで、はっきりと『勉強している時間的な状況である』ことが伝えられるのではないだろうかと思います。

私たちは、一回の電話の呼び出しでは「今勉強していますから・・・」と断ります。
しかし、これが繰り返されるようになると、「今勉強しているところですから・・・」と『ところ』をつけるようになります。これは、行為の行われている時間であることを強調したいためにつけているように思います。

今度の授業中の例では、1回目の電話で「今勉強していますから・・・」と応えたのは、正しいと思います。もちろん、2回目の電話も違う人のようでしたから、同じように応えてよかったと思います。
私が無理に『ところ』を使わせようとしたのは、ちょうどこの表現を勉強していたところだったので使ってみてほしかった、という私の願望にすぎません。
何度も電話があったとき、『ところ』を使わせればまさに時を得た指導だったと思います。
でも、3回目の電話はありませんでしたから、「まあ、いいか」とさせてください。

と、勝手な解釈を書き連ねましたが、日本語教育の末端ではこんな風に考えながら授業をしているという面を読んでいただきました。
HOさん、どうぞまたご意見をお聞かせください。
でも、私は学者じゃないので、理論は に が て・・・。



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