わたしは六百山

サイゴンでの365日を書き直す 

葬送 ベトナム便り 72

2006年06月05日 | できごと
こちらv-603.
昨日の記事に、健さんから、タイの僧についてのコメント(情報)をいただきました。厳格な戒律を守り通す僧の姿を、想像しました。南方仏教(小乗仏教と言わず、確かこの呼び方だったと思いますが・・・)のひとつの典型があるということだと思います。
ベトナムの仏教は、どちらの流れでしょう。
感覚的には、かなり日本的(宗教に対して、ルーズ、あるいは、おおらか)なように見えます。


職場は、日曜日だけが休みです。
同じホテルに泊まっているイギリス人の英語教師は、一日3時間教えて、あとはフリーだといいます。
私の勤務時間(拘束時間が8時間)を知って、クレイジーと言いました。
私も、そう思います。このごろは、プレースメントテストをすることもなく、空いている時間は教案の見直しをするか、本を読んで過ごします。
事務所はエアコンもないので、じっとしていると眠くなります。
かといって、フリーにしてもらったとしても、炎天下、サイゴンの街を歩き回って何をすればいいのでしょう。
ここは、事務所の机に向かって、今まで知らなかった分野の本を読んでみるのがよさそうです。

さて、日曜日、夜6時半、夕飯を食べようと、Bui Vien 通りを上っていきました。(いちおう、北の方角へ・・・)
すると、いつもは行かない、通りとは直角の狭い(幅1.5mぐらい)小路の奥から、鉦と太鼓を伴ったにぎやかな吹奏楽が聞こえてきます。
50mぐらい先です。ときどき、ぼっと、火の手が上がります。
最初、私は、例の獅子舞だ と思いました。でも、ちょっと様子がちがいます。
好奇心にひかれて、近づいて行きました。
すぐに、わかりました。お通夜です。
また、ずいぶん派手に火の手が上がりました。
大道芸人が口から火を吹くあの芸をやっているのです。

しばらくして、楽団(5人)は演奏を終えて帰っていきました。
通夜の家の前には、白装束に白いかぶり物の人たちや、白地に青丸の鉢巻をした人たちが、右に左に動き回っています。
私は、ここまで来たのだからと、どんな方がなくなったのかを知りたくなり、家の中をのぞかせてもらいました。二人のお坊さんがいます。
そこは私が泊まっているのと同じような小さなホテル(貸し部屋)で、亡くなった方は、写真を見るとおばあさんでした。
このあたりは非常に赤ん坊が多いと、常々思っていたのですが、死んでいく人がいても当然です。

ただ、どうしてでしょう。
いつもは、こんなこと思わないのですが、この夜は通夜を見て、非常に気がめいりました。
なくなった方には失礼ですが、いやーな気分になりました。
見なければよかった、と思いました。

翌日、朝6時、3拍子の軽快なリズムの響きが聞こえます。
トランペットが高鳴ります。
メドレーで演奏しているあの歌は、”帰れソレントへ”。
死者を送るのに、こういうのもあります。



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