本の感想

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渋沢栄一100の訓言(日経ビジネス人文庫)を読む。

2023-01-02 18:42:50 | 日記

渋沢栄一100の訓言(日経ビジネス人文庫)を読む。

 よく似た題の本に渋沢百訓(角川ソフィア文庫)があってこちらは細かい字でぎっしり書かれてあって、読もうと思っていまだに積読になってしまっている。100の訓言の方は、渋澤健という方がお書きになったようで渋沢百訓のダイジェスト版のように思われる。字が大きいのでこちらから読もうと試みた。まあ明治の偉い人の話だから自分があっちこっちで聞かされてきた訓話と同じようなことだろう、それにこの人は論語が大好きなようだからますます同じ話を聞かされるに違いないとあんまり期待せずに読み始めた。

 今はどうなってるか知らないが私どもの小さいころは、学校の先生は折に触れて長々と説教を垂れその内容はどうやら儒教の教えからきているようだった。ここは子供たちは聞いているふりをしないといけない我慢の時間であった。反抗的の眼付をすると我慢の時間が長くなることを何度も経験してきていた。そうなると一緒に我慢している多くの友人にいらざる迷惑をかけることになる。しかしいけないことに、聞いてるふりをする癖はその後人生のあらゆるところでこれを行ったために、後々の人生で様々なトラブルに巻き込まれることになる。

 それはさておき、渋沢栄一100の訓言には例えばこうある。「欲がない人は駄目。無欲は怠慢のもとである。」①私どもの小さい時は「欲深なことはいけない。ものを貰ったら兄弟や友達で分け合うように。」②という教えである。もちろん②の教えは守るはずもないが、言葉としては頭の中に残っている。いろいろ理屈を付ければ①と②はなんら矛盾しないということになるのであろう。しかし道徳は寸言でないと役立たない。どうもビジネスの世界では教訓②は分が悪そうである。と言うことは、わたしは学校で我慢して教訓を聞いたばっかりにビジネスの世界では役に立たない人間になってしまったことになる。

 「勉強の詰め込みはやめよう」(渋沢栄一100の訓言)③これはいまでこそ共通理解が得られてきているが、昔は「今勝負の時である。戦い抜かねばならぬ。」④という風潮であり戦うとは受験戦争に勝つためであった。これにより人生が開けるとされていた。学校の教師の中には、毎時間この訓話を垂れるのが居た。ひどい時には50分の半分も訓話にしてしまうのがいた。

「口は幸運の門でもある。」(渋沢栄一100の訓言)⑤これに対しておおむね「モノ言えば唇寒し」⑥の生き方が良しとされた。現にあの長くてつまらぬ訓話も黙って聞くふりをする訓練を施しているのである。

  「生ぬるい湯につかるな。」(渋沢栄一100の訓言)⑦こちらは学校でも同じようなことを言われていた記憶があるがあまり印象に残っていない。当時の社会一般の気風としては「なるたけ楽な職場を選び、倒産や解雇のないところで自分だけはぬくぬくとやっていけ。そういう職場に潜りこむために今受験勉強を必死になってやれ。人生の苦労はこの18歳までに凝縮されているぞ。ここを乗り越えると楽になるぞ。」⑧というのが流行っていた。この当時の風潮にうっかり乗ってしまったのが人生のつまずきのもとであると渋沢栄一100の訓言をよみながら考えた。

 どうも⑧に限らないが今世間で流行っている言説をまともに受け取るとあとあと碌でもないことになるようである。わたしなら、101番目の訓話に「ヒトの話は、それに乗っかって誰が得するのかをよく考えよ。あなたのためというのが一番怪しい。あなたのために大きな声で説教する人が居るはずがない。自分のトクは自分で考えるより他ない。」と付け加えるところである。

 


世界史における中国と日本(宮﨑市定全集22)を読んで考えたこと。①

2023-01-01 10:55:47 | 日記

世界史における中国と日本(宮﨑市定全集22)を読んで考えたこと。①

 陳舜臣さんの中国史(これは人物を中心にして記述してあるからだけど)を読むと唐も宋も明(唯一元だけが色合いが違う)もみな同じように栄えて同じように衰退していったように見えるけど、この一文を読むと宋の時代がそのほかとは全く異なる時代であったとある。第一に4大発明がなされた。4つとは普通言われる火薬羅針盤印刷に加えて磁器の製作があげられている。しかも磁器が第一番に取り上げられている。

 陶器と磁器ではご飯を食べるときの器としてなら同じじゃないか。よそったご飯の味が変わるわけでもないのになにをそんなに書き立てるほどのことがあるものかと思うが、磁器を焼く時の火加減の技術が違うだけで売れ行きが全く違ったらしい。磁器はアラブの王様には宝石のように珍重され高値で売れたようだ。なるほどもとは土と顔料であるのにそれが宝石並みの値段になるんだったら大儲け間違いない。

 あろうことかアラブの王様は高値で買った磁器の器で御飯を食べたのではなく、磁器の器を壁いっぱいに懸け、壺は専用の台の上に並べてお客に見せびらかすために用いたという。金持ちの見せびらかしの消費のお手伝いをすることがこっち側が儲かるポイントである。ちょうどひと昔前の外車や宝飾品を扱うようなものだろう。もっとも、アラブの王様の磁器を見せられる側は、通行税を払わされる側の商人であった可能性が高い。こんなものを見せられながらご馳走でもてなされると、通行税を値切ろうという気が失せてしまうからそこを狙った演出かもしれない。

 さらには当時の創設になる朱子学はかなり進んだ哲学であってのちのヨーロッパで高く評価されたと書かれている。これは朱子学を知らないから何とも言えない。しかしのちの世で我が国の昌平黌で教えた先生は「日朱夜王」とか言って日のあるうちは朱子学で行くけど夜になるとそれはあほらしいから王陽明の陽明学で行くと宣言されているから日本ではあんまり高く評価されない学問であったようだ。これも陽明学を知らないから何とも言えない。ただ別の先生は、「役所にあるときはしょうがないから朱子学で行くが、家に帰ったら老荘で行く。」と言ったという。老荘なら少しはなじみがあって怠け者には嬉しい言葉である。どうも朱子学は日本では受け入れられなかったようだ。

 ということで私には、磁器も朱子学も値打ちが分からないがそのほかの3つは値打ちが分かる。ではその発明はなぜ宋の時代におこったのかというと、コークスの利用であると市定さんはおっしゃる。コークスを使うようになると磁器の製造もさることながら、鉄の生産が増えるからそれに従って食べるものやそれ以外のものの製造が楽になる。余った時間を発明などの工夫に向けるからというのであろう。ならば三大発明よりコークスを発明した人にもっと栄誉をあげたらどうなんだと言いたくなる。

 さらにここでこう思った。コークスの利用で中国の料理が今のおいしいものになったという。わたくしの思うところでは、おいしいものを食べると頭の働きが良くなって発明や難しい哲理の創造もできるようになる。磁器の火加減を発明した人も朱子さんもきっとおいしい料理を食べていたに相違ない。現にさすがにコークスで調理した料理には当たらなかったとは思うが、孔子さんはやたらに食べ物の調理にうるさいヒトであったという。