醍醐寺国宝展(大阪中之島美術館)
如意輪観音像を見に行った。大阪観心寺の像はほぼ等身大であるが、こちらはその半分に満たないような小ぶりである。観心寺のは平安初期の美人を彷彿させるが、醍醐寺のは小さいだけあって美人というより可愛い印象を与える。仏師は、自分の好みの女性にモデルを依頼して宝冠をかぶってもらい、実際に輪宝と如意宝珠を持ってもらってこの像を刻んだと思われる。モデルの違いが、二体の観音像の全体からうける印象の違いになっている。
如意宝珠はどんな宝物でも生み出すというから私ならこの観音さんだけで充分であるが、敵に勝つことを祈願することの必要上、降三世明王とか大威徳明王とかの勇ましい像も勿論展示があった。この如意輪観音はどのような位置づけであるのかが不明である。お客から病魔退散とか、男子出生とかの依頼があるとそれぞれ担当の明王を備え付けて儀式を行ったと考えられる。その時この観音さんも何かを担当していたんだろうか。明王の方は護摩の煙にいぶされたという色であるが、観音像はそんな風に見えない。昼間はお仕事で気合の入った祈祷をしていた密教僧が、夜寝る前に自分の栄達と財産の増加を願って今度は観音さんにお祈りをしていたというのが真相ではないかという気がするがどうか。
展示物の少ない国宝展でがっかりであったが、(凡そ中之島美術館はいつでも展示物が少ないのが特徴で、そのくせ入場料は一人前にとるというがめついところである。観客が少ないからがめつくないとやっていけないという悪循環に陥っているようである。建物もだれが設計したか知らないがエネルギーを喰う割には使い勝手の悪い設計である。)吉祥天の手相を見れたのは良いことであった。醍醐寺の吉祥天は、ごくごく素朴な表情で衣装も地味でお腹周りがふくよかで、現代的の意味では美人ではない。しかし、モデルの手相まで写し取っている。写し取られた線だけであるが鑑定すると、常識からかけ離れた発想をし 感情は冷静 やや芸術家肌である。これでは旦那である毘沙門天さんはかなりご苦労ではないかと同情する。
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