本の感想

本の感想など

大吉原展(東京藝術大学大学美術館)②

2024-04-18 17:51:32 | 日記

大吉原展(東京藝術大学大学美術館)②

 歌麿の絵は、女性の表情(個性)を写さないが姿勢の良さを写す。姿勢の良さならどんな絵師にも写せそうだが、気品までも写し取ってこれは歌麿の独壇場である。モデルの女性は歌麿に相対峙した時が生きている時間、至福の時間であったろうと想像できる。そんな両者の緊張関係が絵から読み取れる。今の時代でもそうだと思うが、女性(に限らないが)の美は体の姿勢にあるとされていたようである。しかも単にいい姿勢だけではなく、そこに気品を載せねばならない。

この気品を商品にするのが吉原であるようだ。これは大変なビジネスで、どんなに気品を放出しても相手(旦那さん)の心を打たなければ商品にならない。商品になり得るかどうかは、もっぱら受け手の側のこころの状態によることになってしまう。しかも、その場限りのもので売れ残ったから冷蔵庫に入れておいて明日半額にして売りに出そうとなるものではない。その場限りのものである。なるほど幇間のような場を盛り上げる職掌のヒトを必要としたはずである。ここでは旦那さんもよい心掛けでないといけないだろう。お客にはお客としての振る舞いの良さが求められたはずである。

美人画はすべて斜めに向いたお顔である。正面向きは描きにくいのだろうか。廓で宴会を大人数でやっている絵があるが、(どういう訳か女性ばかりである)大人数だと斜めばかりというわけにもいかず二人ほど正面のお顔も描いている。それが歌麿にしてひらべったい子供の描いた漫画のような顔になってしまっている。それでも絵全体からは華やかさと威勢の良さが出ている。昔は不自由な時代であったというけれど、そうとばかりは言いきれないのではないか。

広重は、夜の吉原周辺の風景を写している。その構図の取り方は西洋画の影響を受けていると思われる。版画であるから多くのヒトが鑑賞したはずである。江戸のお武家は自己保身に汲々とし、庶民は貧困にあえいでいたとのイメージを持っているがそうでもなさそうである。お武家は自己の仕える共同体以外の世界をこの絵を鑑賞することで持つことができた。庶民も同じである。両者とも単属ではなかった。こういった絵を鑑賞することで、自分の所属している共同体を合理的に批判することが可能になったと考えられる。絵画を見ることで他者の視点を持つことができるからである。

北斎の絵は洒落の効いた漫画である。ただし解説をしっかり読まないと何が面白いのか分からない。昔のヒトはこれを見て即座ににやりと笑ったのであろう。

江戸中期の文人で十六の芸事に通じて随筆「ひとりね」などの著者、柳沢き園(きの字がどうしてもワープロで出てこない)は、江戸で育って大和郡山に転封になった。吉原に相当するものがないのはいかんとして、遊郭の大きなのをわざわざ拵えたという。芸事、芸術または美は、その母体に遊郭を必要とするようである。



コメントを投稿