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戦国の忍び (司馬遼太郎 PHP文庫)

2024-04-06 00:40:24 | 日記

 戦国の忍び (司馬遼太郎 PHP文庫)

 嘘か真か多分嘘だと思うけど、司馬さんは中野学校で間諜の教育を受けたという噂がある。モンゴル語を専攻しているのに戦車隊の指揮官になったのは、モンゴルの奥地で「快傑ハリマオ」みたいに敵地諜報の任に当たるためだという。まあ確かに戦車に乗って適切な地で下りれば、そういう活躍はできたかもしれない。第一モンゴル語ができるヒトを、わざわざ前線に出すというのはなかなか臭いものがある。現に日本語が達者なドナルド・キーンさんは、前線には出なかった。

 さらに臭いのは、戦後司馬さんは忍者小説で世に出た。忍者の気持ちが分かるヒトでないとこんな小説はとても書けない。その小説がヒットしたのは、当時の読者の側にこれを読みたい事情があったからだと推察する。当時のサラリーマンは、忠誠心を売る商売であった。成果主義とかいうのは比較的新しい言葉で、当時は成果はさておき、まず社長重役部長に自分の忠義を見てもらうのが仕事であった。あざといまでのゴマすりがそこかしこで行われていた。一方忍者は、今小説で描かれている通りカネによって働くのであって忠義のヒトではないようである。当時のサラリーマンは、ここに痺れるほどの憧れを持ったのである。

 自分の実力をおカネに変えて生きていく。誰にもゴマを擦らない。この忍者の生き方が当時のサラリーマンの理想であったがその生き方は許されなかった。(今からは信じがたいことであるが)会社からの帰りの電車のなかで、この短編を読んでわずかに溜飲を下げ、また次の日は昨日と同じゴマすりと周囲への気遣いで仕事をするのが標準的な日本のお役所も含めた日本のサラリーマンであった。それでこの小説は売れた。(昭和30年40年の頃の話である。)

 時代が変わって、忠誠心を売る時代は終わった。今のように実力を売る時代になると、もはや忍者小説は売れないであろう。今現に行われていることを、帰りの電車の中で読んでもつまらないからである。小説は夢を売る商売であるべきだと思う。わたくしは、森鴎外の渋江抽斎が名作であると聞いて何度も挑戦して、何度も敗退している。たしかに日本語の鑑にするべき名文であるが、この小説に盛られている夢がわたくしの夢と一致しないのである。時代が違うからやむを得ないと、せっかく書いていただいた鴎外さんには申し訳なく思っている。

 わたくしは、司馬さんの忍者小説に盛られた夢を理解できる最後の世代かもしれない。



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