小説 清玄坊の出奔②
黒川の決断は実に早かった。市役所は自分の隣に住んでいるヒトが大卒で行っているから一緒になるのが嫌で寺に行くと決めた。次の日は土曜日であったので朝からその墨で書かれた紙を持って寺に出かけた。寺の入り口には拝観料五百円を徴収する係の若い女のヒトが座っているので紙を見せて来意を告げると、奥の方から作務衣を着た髪の毛を普通に伸ばした初老のヒトが出てきて案内されたところは、受付の裏にある事務室である。
大きなソファに腰かけて、作務衣の人は聞かれもしないのに真っ先に自分は何とかという有名な国立大学の法学部を出て大きな銀行に勤めていたが、事情あってこの寺の事務長になったんだと聞かれもしないのにしゃべりだした。まだ心が幼かった黒川は、この作務衣のヒトの心境を理解することができない。作務衣のヒトは、黒川に自慢しても無駄ということが分かるまでずいぶんな時間を浪費した。
この長い時間の浪費の挙句に
「仕事は、ご住職が朝昼晩三回のお勤めをするときに、衣装を着せたりお勤めをなさっているときに姿勢を正して斜め後ろに正座しているのが主な仕事であとは多少の掃除の仕事がある。お経はおいおい読めるように勉強してくれたらいい。給料は安いがいい仕事だぞ、詳しくは兄弟子に聞くがいい。どうだやるか。やるなら早速今日の昼からやってほしいんだが。前のが、駆け落ちしていなくなってしまったからヒトが居なくて困っている。やるなら今日の分から日割りで給料をだすがどうだ。うん名前は清玄坊がいい。玄とは玄妙の玄の字を使う。うちはみな苗字の一時を取るんだ、しかし黒川の黒を使う訳に行かんからな。」
と名前まで一気に考えてくれた。黒川は、まさか今日からやるわけにもいかないので、正式に退職した後で再び来るとだけ返事して帰った。
その後黒川が退職して、割り増しといってもささやかなものだが退職金を受け取った次の日の朝のことである。その日の朝から寺で勤めることになっていたのだが、黒川の姿は忽然と消えた。同時に寺の拝観料受付の女の子も消えた。作務衣のヒトは大騒ぎしたが、黒川の母親はなぜか泰然自若としていた。二人が駆け落ちであることは確実であった。母親は居場所を知っているに違いないのだがそれを喋ることは決してなかった。
ところで作務衣のヒトは、年に数回いや十数回かもしれない、東京の歓楽街をほっつき歩くのが唯一の楽しみであった。寺から離れているので知り合いには会わないであろう。東京の有名な国立大学を卒業し、メガバンクに就職したのである。本当なら今頃は本社に残ってバリバリ仕事をしているか、たとえ天下りでももっといいところへ行っているはずの身であるのにこんな仕事をしているのがみじめで、そのみじめを忘れるために歓楽街を歩くのである。大学入試前の模擬試験では全国二位の成績であったのにである。
それから三年ほどしたころのことである。いつものようにほっつき歩いているある夕方、歓楽街の目立つ場所に、大きな看板があって「清玄坊拉麺店」とある。大きくて清潔な店で、お客が数人並んで待っているほど流行っている。この時作務衣の人(と言ってもこの時は作務衣を着ているわけではないが)は、その入り口で並んで待っているお客をさばいている黒い服を着ている人物が黒川に似ているんだが、そんなはずはないと自分に言い聞かせる努力をした。
次の日の朝早く、作務衣のヒトは(こんどは作務衣を着て)門前の黒川の家がどうなっているのか見に行ったところ、家は取り壊されて猫のひたいほどの土地に草がわずかに生えているだけであった。近所の土産物屋の前を掃除しているおばさんに尋ねると、東京に出ていった息子さんが成功したのでお母さんを呼び寄せ、今は東京のどこかに住んでいるはずだということであった。この時作務衣のヒトは、自分の人生が失敗であったと思い込んで、深く落ち込んだ。小さいころから毎晩夜遅くまで塾に通ったのは何の役にも立っていないではないかと愕然とした。作務衣のヒトの給料は決して低くはなかったし、この大きな寺を一人で切りまわしていたので世間からは仕事のできるヒトとされていたのにである。
作務衣のヒトが、辞表を出していなくなったのはその日の夕方である。初老の妻だけがひとり淋しく家に残されたという。
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