地獄極楽巡り図 河鍋暁斎 (静嘉堂文庫美術館)
暁斎のパトロンであったおそらくは裕福であった商人のお嬢さんが十四歳で亡くなったのを、悼んで作られた漫画である。もちろん画料を受け取っての仕事だと考えられる。こんな楽しい漫画を見ると、遺族はずいぶん癒されたと想像される。
なにしろお嬢さんは、特別待遇であったと見えてお釈迦さんご自身であちこち案内するのである。お釈迦さんはどこかの寺院に納まっている仏像のような偉そうな態度ではない、旅行の添乗員のような恭しい表情でお嬢さんのそばに立っている。お釈迦さんをこんな表情に描くのは相当の画力である。お釈迦さんが閻魔大王をお嬢さんに紹介した時の閻魔の平身低頭するときの態度表情は、特に優れている。ちょうど普段は何かと偉そうで態度の悪い課長と一緒に怖い部長の前に出ていった時の、課長の態度表情を彷彿させる。
お嬢さんを接待するときの閻魔の顔がまたいいものである。嫌だけどここは接待に努めないといけないとの表情を見事に映している。ちゃんとしないとお釈迦に叱られて、閻魔の地位を追われては大変と思っているのであろう。お釈迦さんや閻魔さんにここまで大事にされたらまああの子も幸せなんだろうとして癒されるのである。もちろんこのアイデアも大事であるが、お釈迦さんや閻魔さんの表情を描く暁斎の力がものをいっている。一冊それも十数枚の漫画だけど、気合の入った絵である。全力でパトロンを慰めようとの意欲がみなぎっている。または、釈迦閻魔までも茶にして笑い飛ばしてしまう反権力の気分も横溢している。
少し前、時の総理大臣が国立漫画博物館を建てたいと提案したことがあった。野党どころか自民党内からも反対されてつぶれたようだが、もしできていれば真っ先に入れるべき漫画であろう。国立の機関に反権力のアートを入れるのは果たしていいことなのかどうかはまた別問題だが、私は入れるべきだと思う。
明治初年の芸術家は気骨があった。こんなところまでも、反権力の雰囲気を出してきている。本気で反権力の漫画を描いたらさぞや凄かろう。アートはヒトの心を慰めるものであると同時に、時代を批判する毒を持たねばならない。役立つ漫画はどこかに毒を潜ませているものであろう。この絵は、慰めは十分ある。しかしお釈迦さんや閻魔さんの表情に時代を批判する毒を載せて、わかるヒトだけわかってくださいと言ってるようなところがある。その載せ方が見事である。