本の感想

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地獄極楽巡り図 河鍋暁斎 (静嘉堂文庫美術館)

2024-05-16 18:16:59 | 日記

地獄極楽巡り図 河鍋暁斎 (静嘉堂文庫美術館)

 暁斎のパトロンであったおそらくは裕福であった商人のお嬢さんが十四歳で亡くなったのを、悼んで作られた漫画である。もちろん画料を受け取っての仕事だと考えられる。こんな楽しい漫画を見ると、遺族はずいぶん癒されたと想像される。

 なにしろお嬢さんは、特別待遇であったと見えてお釈迦さんご自身であちこち案内するのである。お釈迦さんはどこかの寺院に納まっている仏像のような偉そうな態度ではない、旅行の添乗員のような恭しい表情でお嬢さんのそばに立っている。お釈迦さんをこんな表情に描くのは相当の画力である。お釈迦さんが閻魔大王をお嬢さんに紹介した時の閻魔の平身低頭するときの態度表情は、特に優れている。ちょうど普段は何かと偉そうで態度の悪い課長と一緒に怖い部長の前に出ていった時の、課長の態度表情を彷彿させる。

 お嬢さんを接待するときの閻魔の顔がまたいいものである。嫌だけどここは接待に努めないといけないとの表情を見事に映している。ちゃんとしないとお釈迦に叱られて、閻魔の地位を追われては大変と思っているのであろう。お釈迦さんや閻魔さんにここまで大事にされたらまああの子も幸せなんだろうとして癒されるのである。もちろんこのアイデアも大事であるが、お釈迦さんや閻魔さんの表情を描く暁斎の力がものをいっている。一冊それも十数枚の漫画だけど、気合の入った絵である。全力でパトロンを慰めようとの意欲がみなぎっている。または、釈迦閻魔までも茶にして笑い飛ばしてしまう反権力の気分も横溢している。

 

 少し前、時の総理大臣が国立漫画博物館を建てたいと提案したことがあった。野党どころか自民党内からも反対されてつぶれたようだが、もしできていれば真っ先に入れるべき漫画であろう。国立の機関に反権力のアートを入れるのは果たしていいことなのかどうかはまた別問題だが、私は入れるべきだと思う。

 明治初年の芸術家は気骨があった。こんなところまでも、反権力の雰囲気を出してきている。本気で反権力の漫画を描いたらさぞや凄かろう。アートはヒトの心を慰めるものであると同時に、時代を批判する毒を持たねばならない。役立つ漫画はどこかに毒を潜ませているものであろう。この絵は、慰めは十分ある。しかしお釈迦さんや閻魔さんの表情に時代を批判する毒を載せて、わかるヒトだけわかってくださいと言ってるようなところがある。その載せ方が見事である。


河鍋暁斎による松浦武四郎の涅槃図(静嘉堂文庫美術館)

2024-05-16 09:16:08 | 日記

河鍋暁斎による松浦武四郎の涅槃図(静嘉堂文庫美術館)

 松浦武四郎は幕末から明治にかけての北海道の探検家で、その後官を辞して古物の収集家になったという。武四郎の晩年、友人の河鍋暁斎に依頼して自分を釈迦に見立てて涅槃図を描いてもらったという絵を見にいった。実際の涅槃図では遠くから集まった弟子が嘆き悲しむのであるが、武四郎の涅槃図では武四郎の集めた古物が嘆き悲しむ姿を描くという趣向になっている。古物と言っても天神さんの絵やお多福の像などであって、これが寝っ転がっている武四郎の周囲で悲しそうな顔をしている。こんな楽しい漫画みたいな絵画はいくら見ていても見飽きない。もちろん暁斎の画力が卓越したものであるから楽しいのであるが。

 画料20円であったという。一両が一円になったはずで幕末なら一両今の5から7万円くらいか。明治はインフレも進んだはずで今の100万円前後か。こんな楽しい絵がこの値段なら私も依頼したいものである。ただし、私の場合悲しんでくれる古物がないから絵にならない。腕に覚えのある画家が、こんな副業をやってみるのは良いかもしれない。壺や茶碗のコレクターの涅槃図を描いて差し上げる仕事である。涅槃図そのものにも、価値が出てこの武四郎の絵のように美術館に多くの人が鑑賞しに来るかもしれない。子孫は、収蔵品の他に涅槃図まで受け継げるので大喜びであろう。

 

 この絵だけではなく、実際に集めた古物も展示してある。その中に西行法師の像もあって、はじめて西行の顔がひどく柔和で優しいことを知った。漂泊の思い立ちがたく縋る我が子(女の子)を蹴飛ばして家を出たひととはとても思えない。たぶん朝廷に命じられて西国(西行という名前に痕跡がある)の探索に出かけたのであろう。松尾芭蕉や観阿弥世阿弥と同じような立場ではなかったか。尤も本人が探索者である必要はなく弟子や護衛の者がその任についたはずである。西行の像を大事にしたところを見ると、武四郎もたぶん北海道探索を命じられた隠密であったろう。ちょうど007やアラビアのローレンスみたいな立場であったのではないか。ついつい江戸時代末期の政権はもう大混乱していて力がなくなってきていたみたいに思っているけど、武四郎のような人材を育てて派遣する力がまだあったのである。また、そんな厳しい仕事に従事した人が、晩年このような楽しい絵の中に納まるようなヒトであったことに何とも言えない風雅を感じる。

 実際の涅槃図では、お釈迦さんが涅槃に入ったときにおかあさんの摩耶夫人が雲に乗って現われお薬を投げるという趣向になっているが、武四郎の涅槃図ではあろうことか𠮷原の花魁が手下の女性を引き連れ雲に乗ってやってくる。肝心の武四郎の妻は黒の紋付を着て足元で泣き崩れている。(妻はごく地味に小さく描かれ花魁は華やかで大きい)こう描こうと提案したのは暁斎に違いない。厚かましく堂々としているところが笑えるところである。

 明治の初めの日本はこんなにも風雅に富んでいた。いつから引きつった顔をして笑いのない時代に突入したのか。引退したもとサラリーマンが毎日げらげら笑っているか?